私は坂田という男に甘い。
実に甘い。

面倒な事を頼まれれば嫌な顔をしながらも引きうけてしまうし、坂田のせいで腹の立つ事があろうとも最終的には許してしまう。派手な喧嘩をして怪我をしたと聞けば、百円ショップで安い包帯と愛読書であるジャンプを買って家へ行き、「脳味噌の怪我は治ってなかったか」と言いながらも少しだけ看病じみた事だってし、「金がない」と泣きつかれれば、ご飯だって奢ってしまう。まあ、奢った分はお金のある時にしっかり返してもらうし、私が困った時には奢った金額以上の事をしてもらっているが。
世間には「ダメ男にしてしまう女」と「ダメ男に引っかかる女」とがいるが、坂田は私と出会った時からダメ人間だった。でも、最近じゃ、友人を連れて連絡も無しに家に突然やって来る、無断で私の飲み物を飲む等、くるくるぱーが輪をかけて酷く、私は私でそれらを怒りながらも許してしまった。私はどうやら「ダメ人間を更にダメにする女」なのかもしれない。
それもこれも、好きだから、嫌われたくないばかりに甘い目で見てしまう、のが原因で、片思いの男にそんな事をしている自分自身のせいだ。だから幸せかと聞かれればそれは違う。苦労が絶えない。たまには良い事もあるが、付き合える保証はないし、大概が後悔する事ばかりだ。いっそさっさと告白してフラレた方が楽だと思う事だってある。




坂田に好きな女がいるかもしれない。

何となく、だが、最近、そんな事を思い始めた。死んでる目に変化はないが、表情全体は柔らかくなった気がするし、私の目の前で大っぴらにエロ本を読まなくなった。知りたくはなかったが、誰よりも何よりも坂田の事を見ている。気付かない方が無理だというものだ。
もし、その予感が当っていた場合、坂田と相手が上手くいったらそれはそれで「あっそう、良かったね」と表情を無にして興味のないフリをし、たまに会った時に笑いながら愚痴という名の惚気話を聞いてやり、彼女を大切にしろと応援までしてやるだろう。

好きな男に?
そう、好きな男に。

普通はこんな事をしないだろう。私だって今までにそんな事をした事はない。坂田にだけだ。それでも、お人好しにも程がある。自分でも嫌になる程、坂田には甘い。甘過ぎる。




女の子にとって一大イベントであり、勝負の日でもあるバレンタイン。その日が近付いてきた。

私だって一応は女である。女の子ではなくなっても、このお祭りに便乗して想いを伝えたい。坂田にチョコレートを渡したい。そんな乙女な気持ちはある。
だからといって、既製品は誰かと被りそうなので迂闊に手を出せない。坂田自身も買っている恐れがある。それは坂田が大の甘党だからだ。甘い物を売っている店に関しては、私やその辺りの女子よりも恐らく詳しい。
そうとなったら手作り。と思ってトリュフを作ろうにも、お菓子なんざ生まれてこのかたまともに作った事がない。だからと思って本を探したが、本によって材料が違う、お菓子作り用の道具だって必要、分量を一々計って、粉類は振るっておいて、と結構面倒臭いし手間がかかる。
それに、トリュフを作ると決めたら決めたで作っているうちに色々と考え出してしまった。甘過ぎたらすぐに飽きられそうだが、甘い物が好きな坂田には甘ければ甘い方が良いかもしれない。ただ、糖尿病寸前の人間にそれはいかがなものか。トリュフじゃなくてクッキーやチーズケーキの方が良かったんじゃ…。
迷いながら味見を繰り返しているうちに中の部分のガナッシュの味が分からなくなり、一旦冷蔵庫に入れて冷やし固めてみる事にした。とりあえずコーティングした物を食べてみよう。そう思ったからだ。




待ってる間のおよそ二時間が数時間も経ったように思いながら、やっと冷蔵庫から出した、丁度その時、玄関のチャイムが鳴った。

…見間違いだろうか。玄関先にいたのは坂田だった。
勿論、呼んでなどいない。たまに黙って来られる事はあるが、一人で、しかも今のタイミングでは来て欲しくなかった。…追い返そうかな。
迷った挙げ句、極力普段の表情でドアを開けると、坂田はへらへらした顔でコンビニの袋を目の前に掲げた。中身は何か分かっている。イチゴ牛乳とコーヒー牛乳。坂田の好きな物と私の好きな物だ。私の分までわざわざ買ってきてくれるのは有り難いが、どうしよう、これで「帰って」とは言いにくい。
そうして態度をはっきりさせなかったせいで、坂田が家に上がるのを許してしまった。ああ、もう。


「ちょ…」
「あれ。何でチョコなんて作ってるわけ」
「まあ…もうすぐバレンタインだし」
「相手は?」
「教えない」


本当は坂田だと言いたい。そして帰って欲しい。
でも、このタイミングで「帰れ」と言ったって面白がって帰らないだろうし、どうせ坂田にあげる物なのでバレンタインが一足先に来たと思えば良いのだが。実際に坂田本人を目の前にすると「実は坂田にあげるものだよ」とはとてもじゃないが言えないし、どんな顔をしたらいいのかも分からない。こっ恥ずかしくて、チョコよりも先に私自身が自分の熱で溶けてしまう。

すると坂田がいきなりガナッシュを一つ取って食べた。何て事を。思わず「うわああ!」と全く可愛げのない悲鳴をあげてしまった。
坂田はそんな私にツッコんでくるどころか、焦る私には目もくれず、口をもごもご動かしたまま、照明以外は何もない天井を見つめている。
何時もならこういう時は平気で坂田の頭を叩くのに、今は手が震えている。部屋の空気は何かがきっかけで爆発しそうで、怖い。ガナッシュを直ぐに吐き出されなかっただけいいのかもしれないが、この沈黙が逆に嫌だ。


「…どしたの?美味しい?」
「……苦すぎやしねぇか?」
「うそっ!?」


チョコレートが入った鍋を火にかけたわけではないし、苦味のある物を入れてはいないので、そんな筈はない。嘘でも吐かれたのかと思って坂田を見たが、冗談を言ってるような顔ではない。
坂田は一瞬むっとしたような顔になった後、ガナッシュを一つ唇に挟んだ。そして、そのまま私の目の前にまで迫ってきたかと思ったら、私の口の中にとろっとした甘さが広がった。
坂田は何をしたのか、私は何をされたのか、坂田と私の間に何が起こったのか、いまいち把握出来ない。僅か数秒だっただろうに、さっきの、ガナッシュが固まるまでの時間より長く感じる。
ゆっくりと坂田の顔が離れると、坂田はぐいと指で唇を拭った。その唇には、さっきまでは確かにあった筈のガナッシュが無い。
つまり、今のって、もしかして…。は?


「な?」


同意を求めてきた坂田の言葉に、素直に頷ける事は出来ない。坂田が言う様に苦くはないからだ。真っ白になった頭の今なら分かるが、このガナッシュはかなり美味しく出来た。
でも坂田の機嫌は悪いままだ。その上、「仕方ねぇから俺が全部食ってやるよ」と言い出し、私の目の前で勝手に食べ始めてしまった。
一口、二口、三口…。自分以外の男にあげる物だと思っているらしい坂田は、苦いと言った筈のガナッシュを食べる手や口を止めようとしない。あれだけ悩んで作ったものがあっという間に減らされていく。
その現場を目の前にしながら、坂田を止めるばかりか許してしまっている上、キスまでさせて黙ったままの私は、やっぱり坂田に甘い。


ビターオアスイート


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