あれから色々と考えた結果、医学部ではなく、別の学部へ進む事に決めた。やりたい事が決まったからだ。そして、目標としてた当初の大学よりもワンランク上の大学を受け、合格した。
そのせいか周囲の反応は複雑で、俺の事を屑呼ばわりしていた校長は、受かったと知った途端、掌を返して持ち上げた。銀八は「放課後に勉強に付き合ってやった俺のお陰。俺が書いた内申書のお陰」と恩着せがましく言い続け、同じクラスの馬鹿共は、授業中にずっと寝てた俺が受かるわけがないと言い張り、今までとは別の意味で俺を異端児呼ばわりした。鬼兵隊の連中は俺以上に喜んだが、俺が鬼兵隊を辞めるのではないかと不安がった。どいつもこいつも下らねぇ。
そして俺の親はというと、数年ぶりに俺を外食に誘った。当日、父親は仕事で来られなくなったが、母親が上機嫌でワインを飲んでたところを見ると、それなりに喜んでくれてたんだろう。それが例え自分の作った夜食が無駄にならなかった事への喜びだったとしても、作ってもらった飯がどれも美味かった事を思えば、飯に付き合う事位、何て事はない。
そして俺はそのまま高校を無事に卒業し、大学に入ってそれなりに遊び、鬼兵隊の連中との付き合いも切らないまま、早期卒業制度を利用して四年を待たずに大学院への進学を決めた。

そしてその年の正月。正月の恒例行事となっているらしい高校の同窓会へ初めて行くと、そこにはクラス連中のほとんどが来ていた。勿論、沖田と銀八の顔もある。そして酔っぱらい共と話してるうちに、あの理科教師の事が話題に上がった。しかも、呂律が回っていない沖田の口からは意外な事を聞いた。
あの女が、あと少しで日本へ戻ってくるらしい。
それを聞いて「来年にここへ呼ぼう」と盛り上がる周囲とは対照的に、俺は口を噤んだ。女の人気に陰りがない事に驚いたからではない。寝耳に水だったからだ。
表情を平静に保ったまま席を立つと、沖田が俺の名を呼んだ。先程までとは打って変わって、はっきりとした口調だ。しかも、沖田の目は酒を飲んでたのにもかかわらず、しっかりと俺を捉えている。

「頭がいいくせに分かりやすい面しやがって。居場所は聞かなくてもいいんですかぃ?ま、どうせ教える気はねぇけど」
「俺がどこで何しようと関係ねぇ。前にそう言った筈だ」
「…なあ、高杉。俺はもうすぐ近藤さん達と警視庁の試験を受ける事に決めたんだが、何でか分かるか?大事な人を守りてぇからだ。だから、あの人に何かあったら、てめぇを堂々とム所にぶち込む」
「脅しか?」
「いや、これは警告だと捉えてもらわねぇと。俺は、やると言ったらやるんでね」


暖房の利いた部屋だったが、俺と沖田の間の空気だけが下がった様だった。その中で距離を保ったまま睨み合いが続く。すると頭をがしがし掻きながら、銀八が間に入った。酒の入ったグラスを握ってはいるが、目は元々死んでるので、酔っ払っているのかいないのか、判別が付かない。


「沖田君、そんな事言ってもこいつには効かねぇよ。だって、知ってんだろ、こいつは札付きの不良だったって。何があろうとそれ相応の覚悟はもうあんだろ」




そしてそれから半年後。院と共同で研究する事になったある会社の研究施設へ行き、一通り挨拶を済ませた後、屋上へ上がった。そこは外資系の企業の施設の為か、喫煙には煩く、施設内は完全禁煙。そこで屋上へ行って一服する為だったが、目的はもう一つある。
昼飯時でもないのに、青空の下で何をするでもなくぼーっとしている先客の隣へ立つと、そいつは幽霊に会ったかの様な驚いた顔になった。それもそうだ、高校の教え子だった俺が、理科教師をしてた女の現在の仕事先に現れたんだから。
だが、驚いたのは俺もだ。およそ四年ぶりに見た元教師は、女だというのに相変わらず髪の毛がぼさぼさだし、度の合っていない眼鏡をかけたまま、化粧っ気がない白衣姿でいる。まるで色気が無い。話す内容も相変わらずで、院の研究の為にここで世話になると話すと、直ぐに俺の研究内容を聞かせろとせがんできた。可愛げがないにも程がある。沖田から話を聞いて色々なつてを頼り、資料を読み漁り、何とかしてこことの研究提携にこぎつけたってのに、俺との間には何もなかったかのような態度だ。
それもそうか、俺と何があったのかなんて思い出したくないのかもしれない。でも俺は忘れた事はなかった。忘れたくもなかった。だから会った時に何を言うべきか色々と考えてもいたが、


「…色々とすまなかった」


誰にでも振り撒いてる様な笑顔でいる女を前にして、余計な背伸びをせずに、やっとその言葉を押し出すと、女が笑顔を消した。返事はないが、俺が言わんとしている事が何か、察したに違いない。


「…学校を出たのは俺のせいだろ」
「違う。…と言いたいところだが、高杉が背中を押した様なものかもな。こんな事を生徒だったお前に言っていいものかどうかは分からんが」
「………」
「最初に高杉を見掛けた時にな、私に似てるのがいると思ったよ。あの時の高杉は、居場所が無くて、ただ生きてるだけに見えたからな。はぐれ者同士、私とは気が合いそうな気がしたんだが…、高杉と関わるうちに気付いたんだよ、高杉と私ははまるで違うって事に。それなのに高杉といると高杉の事がよく分かるし、自分の事がどんどん分からなくなる。丁度その頃、体を壊している友人の容体があまり思わしくないと聞いてな。…それで、自分の事が分からなくなる前に、知人を失いたくない為に、本来居るべき場所へ戻った。だから高杉は何も謝らなくていい」
「じゃあ俺の事を嫌ってはなかったって事か」
「…今から一緒に働く人間へわざわざ言う事じゃないだろ」
「いいから言えよ」


一歩、近づく。女は笑顔を消し、面倒臭そうに重い息を吐いた。


「高杉には恋人がいるんじゃないのか」
「んなもんいねぇよ。あんたは」
「いや…」


また一歩、近づく。女の目に警戒の色が滲んだ。


「高杉はまだ若い。可愛い子なら幾らでもいる」
「だから何だ」


もう一歩、近づく。女は表情を完全に消した。


「私はまだそこまで…」
「人間がまだ怖ぇか。自分が変わるのが怖ぇか。だったらこれはもう外せ」


更に一歩近づき、女の眼鏡に手をかけてそれを外した。大きく開かれた女の目が、俺をじっと見返す。


「過去を忘れるなとは言わねぇが、曲がりなりにも科学者だろ。失敗したり、失う事ばかり考えてどうする。自分勝手に物事を排除すんのもいい加減辞めたらどうだ。手始めに、その目ん玉でよく周りを見てみろ。何が見える」
「………」


それは俺自身にも言えた事だ。居心地のいいものだけで周りを固め、つまらねぇものは全部クソ、それで良しとしてた過去の俺に。だが、今は違う。濁った目で何もかもを見てた、あの頃の俺とは。


「空の色が少しは違って見えんだろ」
「…ああ、そうだな」
「俺の事はどう見える。怖ぇか」
「………いいや」


銀八に触られてた時や、俺が無理矢理押し倒した時の様な、諦めた感じとは違う、観念したような、感嘆した様な声だった。そして俺に向けた視線を再び空へ戻すと、穏やかに笑った。
昔、銀八はこの女を「悪魔そのもの」だと言ったが、よく言ったもんだ。現に、空へ視線を戻した女の綺麗な横顔を見ると、心臓に杭を突き刺されてるかのように痛む。女を諦めれば感じずに済むんだろうが、それは俺自身を殺す事と一緒だ。痛みのないつまらない人生を再び過ごすくらいなら、こんな痛み、喜んで受け入れてやる。


「俺の事も、他の事も、全てを一度で分かれとは言わねぇ。ただ、これだけは言っとく」
「………」
「俺は、今も、多分これからも、ずっとあんたの事が好きだ。それに、前に言ったよな、俺とあんたが会った事は奇跡的な事だって。だから簡単に目の前からいなくなったりしねぇよ」
「高杉…」


俺の名を小さく呟いた女は俺が言った言葉の意味を理解したのだろう。小さな頃から周りの人間がどんどん離れていった女にしてみれば、あまり現実味がないであろう言葉を。
それを簡単に飲み込んでもらえるとは思ってないが、俺がここにいるという動かし難い現実は受け入れたらしい。
女は困ったような、照れたような笑顔を見せた。


「二人とも科学に携わる人間だ。足りねぇもんを分析し、生み出す努力は絶対に惜しまねぇだろ。それともこの俺じゃ役不足か?」
「…お前、本当にあの高杉か?私より年下には思えないぞ」
「なら、これで俺だって思い出すだろ」


女の頬にそっと触れたが、女は嫌がらなかった。そしてそのまま大粒の涙を零した。それは勿論、初めて見る涙で、キスをしてもいいか聞くのに躊躇いが生まれる。やっと触れられた指先に震えが走る。この俺が、だ。
だが、一度の躓きで全てを達観した気でいるのは狭い世界に生きるガキのする事だ。言い訳なら後で考えればいい。
だからそのまま女にキスをした。すると女の両手が俺の頬に触れ、どちらからともなくキスをした。それも何度も。…もう言い訳を考える必要はなさそうだな。



パーフェクトワールド

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -