昼の十二時を告げる音がスピーカーから流れると、直ぐにロッカーへ行ってバックを取り出し、外へ飛び出す。お昼ご飯を一人でとる為だ。
会社勤めをしている普通の女性であれば、仲の良い人同士でどこで食べるのか話しあってそこで食べたり、お弁当箱を持ってきゃあきゃあ言いながら何人かで集まって食べるのだろうが、私は皆で集まって喋るのが苦手だし、お昼ご飯を食べてる時にまで仕事の話をしたくない。
それに人事部に所属している身としては、他の部の人間に捕まりたくもなかった。
人事部なんて花形の部署、お昼ご飯のお誘いだって引く手数多、だと思われがちだが、そんなものは都市伝説に等しい。実際はというと、部の人間以外との深い付き合いは禁止だし、便宜を図ってもらおうと下心丸出しで近づいてくる人もいれば、隙を見つけて付け入ろうとする人も多く、少しでも話に乗ろうものなら自分の評価にも直結するので、お昼ご飯を誘われても断るに越した事はない。だから誘われるだけ無駄なのだが、私はそもそも断るのが面倒なので、いつも誘われる前に逃げている。
加えて、不倫だの、その言い訳だの、責任のなすりつけ合いだの、人間の汚い部分を散々見聞きしているので、人の言動を嫌でも気にする様になるし、嘘を見抜く目はプライベートでもいかんなく発揮され、逆切れともいえる恨みを買う事も多い。社内の派閥争いも少なくないので、それにも配慮しなければならない。だから社内に友達はほとんどいない。うっかり口を滑らす様な事があろうものなら、内容によってはクビを覚悟しなければならなくなる。
それから私は「融通のきかない鉄の様な女」と噂されていて、沖田総悟とかいう総務の特命係に所属する馬鹿男に「もしかしてパンツも鉄で出来てんじゃねぇですか?」と面と向かって言われた程だ。下手な同情はしないし、政治的な駆け引きもしない。だから私の事をよく知る一部の人間や下心のある人間以外の人が積極的に関わってくる事もなかった。
そうした幾つかの事情により、お弁当を持って公園に行き、一人で食べるのを習慣としてはいるが、一人が好きだというわけでもないので、社外の友達をお昼ご飯に誘う時もある。反対に、誘われる時もあるので、何が何でも誰かと食べようと毎日胃を痛める事もない。他の部の人と気軽にお昼ご飯、だなんて夢のまた夢だが、実際は今のままが一番いい。
幸か不幸か、お弁当箱の入ったバックを持って出たそんな私を呼び止める人は、今日も誰もいなかった。


普段行く公園へ行ってみると、改修工事の為にベンチが幾つか取り払われてしまっていた為、残されたベンチは既に会社員で埋まってしまっていた。そこで少し離れた小さな公園へ行ってみると、普段より人は多かったが、空いているベンチを見つけてやっと座る事が出来た。
ほっと一息吐いて辺りを見渡すと、誰かと隣り合って食べている人もいれば、私の様に一人で何かを食べている人もいる。それに寝ているサラリーマンもいる。どこにでもある、ありふれたお昼の光景だ。
でも一人だけ、周囲から少し浮いている男がいた。銀髪頭で、ワイシャツ姿の男だ。ホームレスの様な格好をした男と親しげに話している。
この辺の会社のサラリーマンであれば、大概の人はスーツに社章を付けているので、どこの会社の社員か大体分かるが、詮索するだけ無駄かもしれない。クビになったのを家族に言い出せずに会社に行くと言って、ここで暇を潰している求職者かもしれないからだ。そうした人を見かけるのは、ここに限らず、意外と少なくない。
するとその男と目があった。その男に限らず、周囲から見ても、弁当を持ってるくせに食べようとしない私の方が、よっぽど怪しいに違いない。
…止めた、余計な詮索は。ここへはご飯を食べに来たのであって、通りすがりの人を観察しに来たわけじゃない。
お弁当箱を開けて、メインである卵焼きを口に入れた。うん、美味しい。我ながらよく出来たもんだ。


それからもその公園へ行く度に銀髪頭の男を見かけていたが、ある日、その公園へ行ってみると、ベンチはもう空いていなかった。仕方なく別の場所へ移ろうとしたところ、あの銀髪頭に手招きされた。
何かと思って行ってみると「隣に座れば?」と言う。声をかけられた事にも驚いたが、その男が食べていたものにも驚いた。いちご牛乳とおにぎり。一体どういう組み合わせなんだろう。少なくとも成人男性のまともな昼食には見えない。
銀髪頭の男は大きく足を組んだまま端へ寄り、私が座るスペースを作ってくれた。ここまでされては断りにくい。それに時間を考えればここで食べた方がいいという腹もある。
そこで一言かけて反対の端に座ると、銀髪頭の男は弁当を食べている私には一瞥くれただけで特に何も喋らず、ぼーっと空を見たり、週刊少年漫画誌を読んで欠伸を繰り返した。
下手に話しかけられて気を遣うのよりはずっといいし、好きで一人でいるわけでもない私には、男の隣にいる間、実はかなり過ごしやすかった。


その後も何度かその公園で、銀髪頭の男と会った。離れて座る事の方が多かったが、ベンチが空いていない時は隣に座るようまた手招きで誘われた事があったし、ベンチが一杯で銀髪頭の男が後から遅く来た場合は私の方から誘う事もあった。特に言葉を交わす事はなかったし、男の名前さえ知らなかったので、男に対する警戒心が完全に抜け落ちていたとはいえないが、顔見知り程度と言える間柄になっていったのに、そう時間はかからなかった様に思う。
男が何を食べているのかを知るようにもなったのは、そうした下地があったからだった。それは相手も一緒の様で、いつもデザートを食べない私に、とコンビニで売っているプリンをくれた事がある。糖分をとらないと疲れが取れないという男なりの持論があるらしい。そこで次の日、お詫びにカツサンドを作って持っていくと、男は自分で買ったおにぎりよりも先にカツサンドを食べた。それも、あっという間に。


「…あのー、お口に合いませんでしたか?」
「いやいや、こちらこそ作ってもらった上になんかすいませんねー。美味かったもんだから、つい一気に食っちまった」
「…あ、ならよかった」


勿論、一緒に働いている同僚や社内の人間は、私の弁当を食べた事が無いどころか、中身をまともに見た事さえ無い。つまり、銀髪頭のこの男は、私の同僚や社内の人間より私の料理の腕や弁当の中身に詳しくなった事になる。何だか皮肉な話だ。でも男の満足そうな横顔を見ると、虚しさや寂しさは不思議と湧いてこなかった。


男の事を少しずつ知るようになっていった、ある日。課長のデスクに呼ばれて行くと、現在受け持っている案件の進捗状況を聞かれた。
その直後に構えてしまったのには訳がある。課長と部長は社内で同じ派閥にいるが、人事部の中には勿論別の派閥の人間もいる。だから有名ではない大学の出身であるが故に、どの派閥にも属さない私は、ポジション争いには関係のない小さくて面倒な案件を押し付けられる事が多い。今もまたそうした用件で呼ばれたのではないかと疑ったからだ。
ただ、黙っているわけにもいかない。正直に、セクハラの調査が二件、パワハラを受けているという相談も一件預かっている、と報告すると、課長は頭の中で何かと何かを秤にかけているかのような間を置いた後、パワハラの件は誰かに回そう、と独り言のように呟いた。言っておくが、そのパワハラの件は被害者も加害者も派閥には全く関係のない人達だ。まさか、また?
やりようのない気持ちを表情にはおくびにも出さず、煮え切らない態度の課長の言葉をじっと待っていると、課長は感情を排除したような口調で、ある男を調査してくれ、と言葉を続けた。様々な内部規定に抵触してる恐れがあるらしい。


「どんな内容でですか?」
「セクハラ、パワハラ、それと会社の金を不正に得ている疑いがある。大まかに言うと、取引先からキックバックを受けてる、って話があってな。そっちの方はもう既に会計が動き始めたようだ」


会計ではお金の流れを重点的に追うのだろうが、セクハラにパワハラ、ともなればクズも同然。いかなる事情があるにしろ、セクハラやパワハラをしていいわけではないし、会社の金に手をつけていい道理もない。そんな男の為に一件の相談を途中で手放し、挙げ句、会計との合同調査も視野に入れなきゃならない…とは。
履歴書と添付されている写真を面倒臭そうに投げて寄越した課長に対し、これみよがしに溜め息を吐きだしそうとした、その時。写真に目が釘付けになり、慌てて溜め息を飲み込んだ。


「…この男、ですか?」


しっかりと頷いた課長に対し、私は言葉を失った。
私の手元にある写真には、あの公園で私にプリンを渡した男と同じ顔があった。



一つの終わり


title:joy
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -