官僚の夫と、輸入業を営む妻。私達が追っている事件の重要参考人として、その二人の名前が浮かんだ。捜査をそこまで進展させたはいいが、ガードが固く、証拠は一切残されていない為、逮捕に踏み切るには無理がある。つまり、逮捕状を請求する為の証拠を固める必要があった。
そこで、独身の人間より、社会的信頼のある夫婦を捜査員として送り込む作戦が立てられたわけだが、事件を担当している班の中で妻も警察官だというメンバーはいない。それになるべくなら事件の概要や手口を細かく知っている人間の方がいい。そこには外部から応援を頼むのではなく、自分達だけで手柄をあげたいという欲もある。
そういった事情により、偽の夫婦を作りあげよう、という話が持ち上がった。そこで頼まれたのが、怪我をしたばかりで作戦を立てた張本人である土方と、班の中で唯一の女である私、だった。
土方とは同期で、よく知った顔だったが、男として意識した事は今までに一度もない。仕事と割り切って夫婦を演じるくらい、どうって事はないだろう。それに戸籍を汚すわけでもないし、この作戦に皆が期待を寄せているのも分かる。二人とも周りの評価が高く、特定の相手がいない上に、付き合っててもおかしくはない雰囲気と外見だから、と上の人間は私達の顔色を伺いながらまくし立てたが、全て聞かなくとも、私には拒む理由が無い。
にも関わらず、土方は話を聞くや否や、隣で渋い顔をしている。


「土方さぁ、自分が立案した作戦でしょ?何で不服そうな顔してんの?」
「他にいんだろ。適当なのが」
「…へぇ。やり遂げる自信ないんだ」
「んなわけねぇだろ」


だから少し考え込んだ土方とは違い、私は二つ返事で引き受けた。


偽であっても夫婦は夫婦。二人で身分や職業を偽るのと同時に、生活を共にしなければなかったので、捜査対象者である夫婦を監視出来るような部屋を本部が借り上げてくれたが、行ってみると2LDKの広いとは言えないような部屋だった。新婚だったらこれが普通の間取りだと言えるだろうが、一部屋は監視用の機材がそっくりそのまま置かれていたので使えない。つまり実質的な居住空間は1LDK分しかなく、当然の様に寝室にベッドが二つ並んであった。でも今までの捜査方法を思い出せば、狭い部屋だろうと寝室が確保されてるだけマシだ。直ぐに頭を切り替えた。
それを見た土方はそこでやっと覚悟を決めたかのように息を吐いたが、最初のうちは一緒の部屋で寝る事を躊躇い、枕と布団を持って、わざわざリビングのソファで寝起きを繰り返した。しかも夜は大概書類に目を通してた為、私が先に寝る時は目も合わせずに「おやすみ」と言うだけ。朝も「おはよう」と私が言ってから不機嫌そうに返すだけ。忙しかったのに加えて、私とは必要以上に関わりたくない、という意思表示でもあったんだろう。会話もどうでもいいものがほとんど。内容すら覚えてない。
土方が忙しい分、毎日の家事は主に私が担当して、休みの日はどちらかが夫婦の部屋を監視し、どちらかは好き勝手に過ごした。私は知り合いに会わないよう本を読んだり家事をしたりとなるべく家の中で過ごし、土方はコンビニへ行くか、書類に目を通しているか、寝てる事がほとんどで、食事以外で一緒に何かをした事はなかった。
そんなわけで、土方との偽装夫婦生活は、社員寮にたったの二人で生活してるかのようなスタートだった。


そうした生活を続けていくうちに、捜査対象者である夫婦の夫と妻、それぞれの生活パターンが分かり、二人は仮面夫婦である事も分かった。同時に土方の事も大分分かるようになっていた。
眠る時はほとんど寝返りを打たない事や、靴下を履く時は必ず左から履く等の小さな癖に気づくようになった。監視で目が疲れると、そのタイミングでコーヒーを淹れてくれたり、寝てしまってたら毛布をかけてくれる優しさがある事も知った。私が逆の事をすると、お礼を言い、コンビニに行った土産だとお菓子やデザートを買って来てくれるようにもなった。
逆に、監視先の夫婦は、ご飯すら一緒に食べない。夜も別々に眠っていて、どちらかが酔い潰れて帰って来ても、どちらかが介抱をする事は決してなかった。酷い時には朝までそのままだったりする。
皮肉な事に、監視先の仮面夫婦より、私達の偽造夫婦の方が、よっぽど夫婦らしい、と言えた。


一緒の部屋で寝ない日が二ヶ月以上続いたある日。捜査対象者である夫婦の家にまんまと招かれて、親交を深めたのはいいが、家に帰り着くなり、酔っ払った土方にキスをされたのをきっかけに、いくところまでいってしまった。大の男にずっと性欲を抑えていろという方がそもそも無理な話だし、土方と私の何かが減るもんでもない。
それどころか、遅すぎた、と後悔していた。あの夫婦に会う前に、するべきだった。恋愛感情が生まれたわけではないが、土方はあまりにも不器用で愚直すぎる。その場凌ぎの嘘は上手いかもしれないが、長期的に人を騙すには向いてない。
どうして私がこう思ったのか、朝になって謝ってきた土方は全く分かってないようだった。


「あのさ、あの夫婦に会ってる時でも私に全く触ってこようとしなかったの、気付いてた?」
「…いや」
「私に遠慮してんのか知らないけど、土方の都合で身バレする方がよっぽど迷惑だから。これを機にとはいわないし、受けたくて受けた話じゃないのは分かるけど、昨晩の事を悪いと思ってんなら、これからは少し夫婦らしくして」
「…悪ぃ」


私の言葉が効いたのか、土方はそれなりに接してくるようになった。再びいくところまでいくような事はなかったが、スキンシップが格段に増え、一緒にテレビを見るようになった。監視の必要が無い休日は二人でソファに並んで座って借りてきたDVDを見、土方が私の方へ頭を預けて寝た事もある。数える程しかないが、私が膝枕をするような事もあった。している間に互いの髪の毛に指を絡ませたりもした。本人はバレてないと思ってるようだが、土方は私が寝ている間によく頭を撫でるようにまでなった。
仕事の為だとはいえ、こうまでする必要はあるのか。そう自問しなかった日はないと言えば嘘になる。土方もきっとそうだっただろう。でもそのお陰か、捜査対象の夫婦が確実に私達を夫婦だと信じ、隙を見せるようになっていったのは明らかだった。


そして、一緒に暮らし始めてから三ヶ月程経った今日。土方はどこかへ出かけてしまい、家事を終えた私は監視の業務にあたった。しばらく経つと、捜査対象者である夫婦二人も出掛けてしまったので、景色を見るだけの望遠鏡から離れて、パソコンで書類を作る事にした。これが結構大変で、毎度毎度、首と肩がやけに凝る。ずっと目を使っているからだ。
そこで、ソファの上で体を横にした。少し目を瞑れば多少は楽になるし、土方がいない今なら気兼ねする事もない。
それから、しばらく経ってからの事だった。耳に充たる違和感に気がついたのは。柔らかいクッションを充ててた筈なのに、今はやけに硬い。
目を開けると、土方の顔が私の顔の真上にある。どういう風の吹き回しか知らないが、膝枕をしてくれてるようだった。
そのくせ、起きた私を垂直に見下ろした土方の目には、素っ気無さが滲み出ていた。俺のベッドで寝るとはいい度胸だな、とでもいいたいんだろうか。でも土方は黙ったまま視線を別の方へ移し、白くて小さな箱を寄越した。


「山崎が持ってきた。これつけてろ」
「…何これ」


口を噤んでしまった土方の、いつ出るともしれない次の言葉を待たずに箱を開けると、石の付いた指輪と飾り気のないシンプルな指輪が並んで光っている。これはどう見ても、婚約指輪と結婚指輪だ。
まじまじと見る私を意外に思ったのか、土方は感情を殺したような声で、言葉を押し出した。


「あまり喜ぶなよ。石は偽物だ」
「…へえ。詳しくないから、それなりに見えるけど…偽物なんだ。予算がないない言ってるくせに、本部はよく用意したもんだね」
「それだけ期待されてるって事だろ」


それなりに光っている二つの指輪を左の薬指に嵌めて、電気の下で翳してみると、意外に重い。サイズは少し大きめだが、直してもらえばいい。石は角度を変えても、本物に見える。この指輪を付けてあの妻に会う機会があるとしたら、上手く騙せるだろうか。
指輪を嵌めた指を眺めている私を、土方は自分の視界から除外してるようだった。一切見てこない。話題にもしようともしない。下手に関わりたくないような雰囲気すらある。
好きでもない相手に指輪を渡した自分自身に対し、嫌悪感でも芽生えたんだろうか。指輪を眺めている私に罪悪感でも抱いたんだろうか。どちらにしろ、下らない。
どうせ私達は偽物の夫婦だ。幾ら相手の事を知ろうが、生活を共にしようが、それらしく指輪を嵌めようが、任務が終わって部屋を引き揚げる時には同僚に戻る。…その筈だし、そのつもりだからだ。
ふと土方の左手の薬指を見ると、きれいさっぱり、ない。指輪は嵌められていなかった。


「…何だよ。石が偽物だからって俺に文句言うんじゃねぇぞ」
「まさか。本物じゃなきゃいけない必要はないでしょ」
「…まあな」


偽物だと知っててそれを受け入れ、嘘の上で成り立っている私達にとって、何か一つでも本物でなければならない必要はない。
誓いのキスのつもりなのか、土方の唇がゆっくりと降りてきた。
それを受け入れる為に目を閉じた私には、土方の唇の形がどう変化したのかも、知らなくていい事だった。



かぼそい唇は愛を知らぬのだ

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