私達の担任として教壇に立つその人の最初の頃の印象は、「何だこの天パ」。
目は死んでる、授業はテキトー、堂々とジャンプを読む、飴をよく食べてる、その上、セクハラも差別発言も当たり前。何の為に着てるんだか分からない白衣だけが無駄に先生らしいだけで、教育者らしい雰囲気すらないその天パとの出会いは、未知との遭遇そのものだった。
そんな相手に先生を付けて呼ぶには勇気がいる。だから私は自分の担任を坂田と呼び始めた。

そんな坂田だが、うちのクラスだけではなく、他のクラスの生徒からも密かに人気があり、先生と認めている人には坂田先生、中には親しみを込めて、本人に対して下の名前の銀八と呼ぶ人間までいた。
でも、私と同じように名字を呼び捨てにする人は他におらず、休み時間に教室でジャンプを読む生徒もまた私以外にいなかったので、坂田からみると、私もまた随分とおかしな生徒に見えた事だろう。
ただし、それのお陰か、坂田が単に馴れ馴しいだけだったのかは分からないが、徐々に話をすようになり、ジャンプの貸し借りをするようになるまで、時間はそうかからなかった。

そうした事が積み重なるうちに、坂田と話しをするのが楽しくなっていき、いつの間にか坂田の事を気にするようになった。それから坂田の事を何でも知りたいと思うようになり、いつの間にか坂田を目で追いかけている事に気付いた時に、自分の気持ちまで知ってしまったわけだが、私の気持ちに気付いたんだか気付いてないんだか、坂田は「先生を付けろ」と事あるごとに言い続けた。時には私の頭を殴りつけ、時には鼻をほじりながら面倒臭そうに。

それでも私は坂田と呼び続け、本格的な受験シーズに入る秋頃。遅くなったから送ってやると言ってバイクの後ろに乗せてくれたり、適当な話をしながら、それでも私の進路について頭を捻る坂田が好きになりすぎて、二者面談や補講で顔を合わせる機会がピークに達すると、すっかり坂田と呼べなくなっていた。
坂田としか呼ばない事で優越感には浸れる。でも、先生と付けろ、と事あるごとに正され、その接触が心臓にきつくなっていたからだ。坂田は私を生徒の一人としか見てないだろうし、教師と生徒という関係を抜きにしても付き合えるとは思わない。それで辛くもなっていた。
だから、ある日から、先生のお望み通りに「坂田先生」と呼び始めた。それは自分の気持ちにけじめをつける事でもあり、先生と呼ぶ事で、自分自身に言い聞かせるつもりでもあったから、だが。それで易々と諦められるような恋ならどんなに良かった事か。




坂田先生と呼び続け、結局告白をしないまま卒業をした私は、いつの間にか、大学三年になっていた。それなりにバイトを頑張って、それなりに友達と遊んで、夜遊びも覚えたが、一向に彼氏が出来ない。好きな人すらいない。友達の誰もが不思議がったが、誰よりも理由を知りたいのは、この私だ。
そんなある日。高校の時のクラスメイトで、卒業してからも仲のいい近藤君から同窓会へ誘われ、参加する事にしたのはいいが、待ち合わせ先で坂田先生を見かけると、心臓が止まりかけた。坂田先生は、ワイシャツや白衣、ジャージ姿ではない普通の男の人の格好だったからだ。そうだった、坂田先生はあくまで元担任だった。
その当たり前の事実を思い切り目の前に突きつけられた事で、ろくに話しかけられない。目を合わせる事も出来ない。ジャンプを貸し借りしたり、バイクに乗せて貰った事もあったし、二者面談では散々顔を合わせたのにもかかわらず、坂田先生がどんな服を着ているのか、どんな人と何を話てるのかすら、全く知る事が出来ずにいる。
先生はそんな私を気にも留めてないようで、皆と飲んだり騒いだりしていた。そんな坂田先生を見て、寂しいというより、安心した。私の事を皆の中の一人だと思ってくれててよかった。もし、下手に気に掛けてくれるような事があったら、私はきっと期待してしまう。下手に気をもたされては、困る。

坂田先生とはそのまま一言も話さず、そろそろ二次会へ行こうかという話になった。でも坂田先生と面と向かって話せなさそうだし、店のあちこちを破壊しかけてる酔っぱらい共を見ていたら、二次会を楽しめないような気がしてきた。あ、近藤君がとうとう脱いだ。
二次会に行くか気持ちを固めないままトイレへ行き、戻ろうとしたところ、坂田先生に出くわした。お酒のせいで少し赤くなった顔のまま、壁際に立って腕を組みながら、誰かを待っているようだが。誰かをトイレに連れてきてるんだろうか。それともトイレに入るのを待ってるのか。
どのみち私には関係のない事なので、そのまま通り過ぎようとしたところ、坂田先生に名前を呼ばれた。意外に思いながら、その日になって初めて坂田先生と目を合わせる。あ、やばい。近くでまともに坂田先生の顔見たの、何年振りだろ。


「…お前さ、まだジャンプ買ってんの?」
「ああ、まあ」
「悪いんだけど、先週の貸してくんね?あれ見逃したんだわ、ギンタマン」
「えー。あれ、まだ見てたんですか?」
「いいだろうが別に」
「誰かに借りたらいいじゃないですか」
「いやあ、実は服部先生っていんだろ?あいつも買ってんだけど、あいつと言い争ってるうちに破いちまってよ。何か奢るから」
「いや、あげますよ。明日にでも学校に送りますから」
「持ってくりゃいいだろ。あ、ラーメン。ラーメン奢るわ」
「いや、いいですって」


坂田先生の気遣いは嬉しい。そこに悪気はないだろうからだ。
でも先生には彼女がいるかもしれない。それに私は単なる元生徒で、先生は元先生だ。私が嬉しいと思ってしまう気持ちは、坂田先生に彼女がいようといまいと、あってはならない。
だから坂田先生とはこれ以上関わらないようにしよう。そうすれば、告白しなかった私の決断は、無駄にならない。坂田先生とわざわざ呼んでた日々も、報われる。




ジャンプをわざわざ学校に送るというバカみたいな事をした、その二日後。携帯に知らない携帯の番号から電話がかかってきた。誰かと思って出てみると、坂田先生だった。
素っ気無い文字で、あげます、とだけ書いた真っ白いメモ用紙を同封した上、依頼元の電話番号の欄を空欄のままにしたのに。それでもかかってきた。
聞くと、同窓会の幹事の一人である志村メガネという男子生徒から番号を聞いたらしい。あのメガネ、余計な事を教えやがって。
坂田先生は先生で何でわざわざ携帯から電話をかけてきたんだろう。しょっちゅうお金が無いと騒いだ、あの坂田先生が。通話料金が発生するのは嫌だと言って、学校の電話を使いそうなものなのに。


「これ俺の電話だから。いたずら電話はしてくんなよ」
「大丈夫です。すぐに履歴削除しますから」
「元担任相手にそう遠慮すんなって。それとも何。保存出来ねぇ特別な理由でもあんの?」


特別といえば特別な理由だ。でもそれを言えるわけがない。告白すら出来なかった私には、勿論、消す勇気もない。
これなら携帯の番号なんて知らないまま、直接会って渡して、ラーメンを食べさせてもらってた方が良かった。その方が後腐れがなかったんじゃないだろうか。いや、でも、それだとデートみたいだし。
そもそも、私はまだ坂田先生の事が好きなんだろうか。告白できなかった事が心にひっかかって、そこから抜け出したいだけじゃないのか。大体、坂田先生は元担任であって、私を生徒としかきっとまだ見てな…。


「あ、それから。もうお前の担任じゃねぇから、先生呼ばわりしなくていいからな」
「………」


いや、元担任なんだから先生を付けたって何もおかしくはない。自分だって前は先生を付けろとあれ程言ってたじゃないか。大体、坂田先生と心の中で呟いただけで心臓が壊れそうになってるのを、死んだ目をしたこの男は分かってて言ってんだろうか。
ろくに喋れなくなってしまった私に、坂田先生は呆れたような声で追い打ちをかけた。


「で、いつなら飯食いに行く時間あるんだよ」



前略、神様、死んじまえ


title:箱庭
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