また電話だ。
坂田さんが出てから電話は一旦収まっていたのだが、タクシーが走り出してから何度もかかってきていて、今もまた掛かってきた。ここまでしつこいと瞬間移動の能力がないのを責められているようで、呑気に鳴り続ける着信音にまともにとりあう気にならない。でも、運転手さんの探る様な視線からは逃げられないし、タクシーに乗る時に飲み込んだ言葉が刺さったままの心臓を落ち着けたくもあったので、化粧もせずに寝てるふりをした。なんなら、このまま逃げたい。
とはいっても、タクシーの運転手さんの仕事は乗車してきたお客さんを指定された場所まで送り届ける事。着きましたよーと優しい声をかけられて目を開けると、温泉施設でも、海の見えるリゾ−トホテルでもなく、案の定、私が指定した場所、つまり、署。運転手さんは間違いなく私を死に場所へと送り届けてくれたようだ。
ここまで来たら、もう腹をくくるしかない。現場に突入する前の様な緊張感が体を襲う。
お金を払ってから直ぐに更衣室へ向かうと、廊下で同僚の山崎にばったり会った。疲れてるんだか、何かに憑かれてるかのような、冴えない表情なのは何時もの事だが、今日はその印象が殊更際立っている。ただしそれは私のせいだったようで、山崎は私を見るなり、大声を出して慌てた。そればかりか、何してたんだよ!と喰ってかかってきた。


「招集がかかってるってのに、何のこのこ来てるんだよっ。土方さんが滅茶苦茶怒ってるぞ!」
「…もしかしてずっと土方さんが電話してた?」
「いや、三回目以降は俺がかけてたけど。あ、着替えるんなら早くしろよっ!?」
「五分で行く」


山崎の恨みがましい目を避ける意味もあって、人の間を縫うように廊下を走ると、更衣室には一分もしないで着けた。
幸か不幸か、更衣室には誰もいなかったので、真っ直ぐに自分のロッカーの前へ行き、置いてある服に着替えようと着ている服を脱ぐと、手が止まった。シャワーを浴びた時はあまりに急いでたので見もしなかったが、内股に痕が付いてある。そんな場所をぶつけた覚えはないし、勿論、誰かに付けられるようなヘマをしたわけでもないので、昨晩坂田さんに付けられたんだろう。そうだったような、思い出したくないような。
でも、その痕を見ても、不思議と嫌じゃなかった。それは坂田さんの事が嫌いじゃないからだし、だからああした事をしたんだろうが、かといって、恋愛感情が元々あった、とは言い難い。でも、酔っ払って気を許したからといって誰とでも寝たりはしないし、坂田さんだったからしてしまった理由がない事はない。後腐れがなさそうだから、と思ったからだ。坂田さんとなら何があっても気楽に付き合っていけそうだ、と思っていたから事に及んだ。
それなのに結局こんな風に色々考えてしまってたんじゃ意味がない。坂田さんだって、一晩限り、と考えているかもしれないんだから、あれこれ考えるのはもう止めよう。坂田さんにも悪い。
必死に無駄な事を考えてたせいか、頭が痛くなってきた。ロッカーの中に首を突っ込んで、今すぐ叫びたい。
と、思ったら、更衣室の外が急に騒がしくなった。私ではない誰かが叫んでもいる。そして、いきなりドアが開いた。


「おい、来たなら来たで何で俺の所に…あ」
「え」



土方さんの変態行為への抗議と称して、少し時間をかけて化粧をして、服を着てから皆の元へ行くと、土方さんはかなり大人しくなっていた。
それもそうだ。私は背中をドアの方に向けていて、下半身の着替えは済ませていたが、上半身は真っ裸、ブラジャーすら着けていなかったところへ、頭に血が上ってた土方さんが、ここが更衣室だという事をすっかり忘れてドアを開けてしまったんだから。
土方さんは私のそんな格好を見て、しばらくの間、固まっていた。状況を理解するのに少しばかり時間が必要だったらしい。それから土方さんは一気に言葉の勢いを削いで「悪ぃ…」と小さな声で零すと、ドアを閉めた。女の裸なんざ珍しくもないだろうし、私の事なんて女だとも思って無いくせに、だ。ヘタレもいいとこだろ。
でも今の土方さんからは、更衣室に怒鳴りこんで入って来た形相は少しも伺えない。しかも、全体での話が終わってから私の元へ来るなり、さっきは悪かったな、と謝りに来た。
…何だこれは。あの土方さんが、と目と耳と頭の中身を疑った。
着替えが遅い、着替えてるお前が悪い、と開き直ってもおかしくないような人なのに、言わなかったどころか、罪悪感と気まずさに苛まされている顔付きで自分の非を素直に認めて謝罪する土方さんなんて、あまり見た事が無い。私にだけそのままずっと謙虚でいればいいのに。坂田さんと話した事を忘れてくれたらいいのに。
でも直後に「旦那はあっちの方も強ぇんですか?」と隣に座っていた沖田さんから下衆な質問を繰り出されたので、持久力は無駄にある、と本当の事を言えずにいると、それを聞いた土方さんの態度と表情が、瞬く間に硬化した。
沖田さん、あんた分かってて言っただろ。絶対わざとだろ。面白がってるだろ。近藤さんがほくほくのゴリラ顔でやって来ちゃっただろ。


「何だ、トシ、まだ怒ってるのか?いいじゃないか、ちゃんと早くに来てもらったんだから。それに恋愛は自由だぞ」
「あいつは絶対にダメだ。俺は認めねぇ」
「いいじゃねぇですか。旦那と付き合ってんなら、探る手間が省けて」


山崎は土方さんの命を受けて、坂田さんについて何度か身辺調査を行っている。坂田さんは黒い噂が絶えない人物なので、当然といえば当然なのだが、警察業務は片手間で出来るものではない。だから山崎がいない間は、その穴を埋める為に皆が少しずつ負担を負っていた。そこで坂田さんの情報を私が仕入れるようになれば、皆の負担は軽減される。悪い話じゃない。沖田さんが言ったのはそういう事だ。
沖田さんの一言が利いたのか、土方さんは不味い物を食べた後の様な顔をしたまま、何も言わずに黙ってしまった。
その沈黙が恐ろしい。私と坂田さんの気持ちなんて一切考えていないらしい土方さんの次の言葉を待つ、この間が。
しばらく考えた後、土方さんはやっと口を開いた。


「…付き合ってるってのは本当なのか?」
「…はっきりとはまだ話し合って無いんで、私もよく分からないんですけど、そういう事になると思います」
「何ではっきりしてねぇんだよ。まあ、いい。今度連れて来い。この職業にいる限り、付き合ってる相手の調査があるのは、お前も分かってるな。そこでだ、どういう男か俺達が直々に調査してやる」
「じゃあ認めないってなった場合はどうするんですか」
「交際は認めねぇが、餌としての価値は十分にある。知り合い程度に付き合って情報を集めりゃいい」


何言ってんだ、この人。どうせ認める気はないくせに。
あーあ、坂田さんが救いようもない馬鹿で、どうしようもない悪人だったら、「坂田さんの無駄な一言のせいでとんでもなく面倒臭い事になった、何て事を言ってくれたんだ」と坂田さんを責められたのに。土方さんの話にだって喜んで乗るのに。そうも言ってられなくなった。坂田さんを傷つけないよう土方さんから突き付けられた提案の抜け道を必死で考える必要がある。それも、私の為ではなく、坂田さんの為に。

招集がかかった原因の対処に取りかかりながらも、頭の片隅でぼんやりとそんな事を思った。
…おかしいな。それでもやっぱり嫌な気がしない。



その時、狂気の産声をきいた

title:揺らぎ

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