あ、電話だ。
色気も可愛げもない某寄席番組のテーマソングが途切れる事なく鳴り響いた事で、そうだと簡単に知る。
この着信音のせいで、ふざけた人間だと思われがちだが、これは沖田さんによって勝手に設定された立派な着信音である。それも、眠っている時に聞けばどんなに熟睡してても飛び起きてしまうし、困った時に聞くと泣きたくなったりもする、魔法の着信音だ。でも、緊急性を伴わない平穏な用件で鳴り響く事は滅多に無いので、耳以外の全てがまだ夢の中でまどろんでいる今は、地獄からの呼び出し音にしか聞こえない。
音のする方へ急いで手を伸ばして、既に震えているそれを掴むと、怒りを押し殺そうともしない土方さんの声がいきなり鼓膜を貫いた。参ったな。土方さんにこのトーンで喋られて、面白い話を聞いた試しがない。まだ居座っている眠気を頭の中から締め出す必要があるようだ。
えーと、用件は何だろう。大きな事件でもあったかな。捕まえた痴漢を締め上げ過ぎたのがバレたかな。昨日提出した書類に不備があったかな。沖田さんに脅迫されて、マヨネーズに辛子入れたのバレたかな。
思い当たる事が多過ぎて、「今どこに居る」と質問されても即座に答えられなかった為、土方さんの心の中を支配してた怒りが、殺意に変わったようだった。土方さんの言葉にどう対応したらいいのか考えてたのに、何だか元も子もない。
というか、…あれ?ここ、どこだろ。


「えーっと、分かりません」
「…分からねぇってのはどういう事だ。まさか誰かに拉致られてるってんじゃねぇだろうな。だったらさっさとそいつ連れて戻って来い」
「…いや、あの…」


ここがどこだか本当に分からない。枕は私のじゃないし、シーツも違う。
太陽の光に慣れ切っていない目で辺りを探りながらそんな事を口に出そうとすると、何十センチと離れていない隣で何かがもぞもぞした。


「…今、何時?」


あんた、誰?
くぐもった声だが、聞いた事のある声だ。心の中で一瞬間を置いて突っ込む。でも、驚いたのと怖いのとで、声になって出てこない。
そうして固まってる私の口より先に反応したのは、電話の向こうにいる土方さんだった。


「…まさか、今の声って…」
「と、とにかく、すぐ帰りますからっ。じゃ、後で」


私は裸だし、私の腰に手を回してる坂田さんのどこからも布の感触はしないし、手の届かない所に着てた服が放ってあるしで、欠けてたり、ぼやけてたりする曖昧な記憶が、完全なものになっていく。ただし、側に幾つもある丸められたティッシュからは、そっと目を背けた。ティッシュはあれだ、坂田さんが鼻水でも噛んだんだろ。裸で寝てたんだからそうだ、そうに違いない。
幸いな事に、私は二日酔いにはなってないが、坂田さんは違うのか、お酒で枯れた様な、ダルそうな、死んだような声で喋ってきた。


「もう少しゆっくりしてけって」
「いや、もう朝だから行かないと。あ、シャワー借して。早く行かないと殺される」
「現在進行形で生殺しにされてる俺はどうでもいいのかよ」


知らねーよ。
裸のまま覆い被さってこようとする坂田さんの頭を叩くと、とても気持ちのいい音がした。でも、本人は痛みを感じないばかりか、気にしてもないようで、顔まで近づけてこようとする。まだ遠慮を捨てきれない私のささやかな抵抗は、叩いた私の掌が痛いだけで終わってしまったようだ。本気でいくしかないのか。面倒臭い。
無駄な脂肪のない坂田さんの脇腹を思い切り抓上げると、少しの間なら坂田さんに全裸を見られてもいい覚悟の上で、急いで坂田さんの下から這い出し、色々な場所に散乱してある服をかき集めて、手当たり次第に身に付けた。その間、わずか十秒。今迄に、こんな短時間で、服で肌を隠した事はない。
すると、また雰囲気無視のあの着信音が鳴った。やばい。土方さんの様子を知った誰かか、土方さん本人かもしれない。すると、坂田さんが勝手に私の電話に出て、電話から聞こえてくる怒鳴り声に顔をしかめながら、面倒臭そうな声でこう言い放った。


「何だよ、朝からぎゃんぎゃんうっせーな。付き合ってんだから、俺ん家にいてもいいだろ別に」




電話の向こうの土方さんに一方的に喋ってただけならまだ誤魔化せたかもしれない。あの人、変なところで疎いから。妙な部分で天然だから。
でも、坂田さんにああもはっきり言われてしまっては、どうしようもない。言い訳がきかなければ、誤魔化しようもない。帰ったら土方さんに何を命じられるか分かったもんじゃない。
だったら、もう死のう。今直ぐに死のう。この世でのゾンビ生活より、あの世の地獄だ。
そこで、嫌な沈黙を振り払いたかったのと景気付けの為に、余計な事を喋った坂田さんへ思い付く限りの悪態を吐いた。何でわざわざ電話に出てあんな事言ったの。付き合おうって言ったっけ。坂田さんの口から聞かれてもないけど。


「何でって…。酔っぱらったらセックスしたくなったのでしました、それはそれは気持ち良かったので寝込んじまいました、って言えるわけねぇだろ。ああ言うしかねぇだろうが」
「だってさ、土方さんは坂田さんの事、目の敵にしてるんだよ。下手すりゃそれを口実に殺されるよ」
「上等だよ、やってみろってんだ」


そうだった。この人も土方さんと一緒で、鈍感な上に馬鹿だった。売られた喧嘩は必ず買う。そんな人だった。こんな人の事で死ぬくらいなら、赤の他人の為に死のう。
さっさと風呂場へ行ってシャワーを浴び、髪の毛をよく拭きもしないで出た。化粧落としがなく、顔を石鹸でごしごし洗ったので、本当なら化粧水でもつけたいところだが、どこを探してもそんなものを見つけられるわけがなく、ハンドクリームかボディクリームでもつけてしまえと思って聞いても無駄だった。ないそうだ。だったら時間もないし、何もつけないでいるしかないが、顔がつっぱって仕方が無い。洗濯糊でも塗りたくったかの様だ。
それに加えて、自己嫌悪に陥ってるし、時間が無くて焦ってもいるので、かなり感じの悪い顔付きになってる自覚がある。今、鏡見たくないもの。
服を着て出ると、坂田さんは既に服を着ていて、靴を履く私の背中を壁に寄りかかりながらじっと見ていた。よかった、顔を見られずに済むかもしれない。


「なあ、ほんと帰んの?」
「だって仕事だもん」
「んじゃ、送ってくわ」
「えっ。……じゃあ、タクシー乗れる所まででいい」


私の返事を待たずに私より先に靴を履いた坂田さんは、外に出て私の足が小走りになると、何故か一緒に走って付いて来た。タクシーがつかまりそうな道路へは私の方が一歩早く着いたのに、息を切らせてる場合じゃなかった、道路を走る車に向かって手を上げたのは坂田さんの方が先だった。タクシーならどうせすぐにつかまるし、眠そうな顔してるんだから寝てればいいのに、文句を言わずに後を付いて来るのは、それなりに誠意を見せたいからなんだろう。坂田さんにもそういうとこがあるんだ。意外だけど、嫌いじゃない。
お陰でタクシーには直ぐに乗れたので、乗り込んでから窓を下げて坂田さんにお礼を言おうとしたところ、息はもう整ってあるのに、それ以外の言葉が喉に詰まった。額に汗を滲ませた坂田さんが、一瞬だけ、笑顔を見せたからだ。


結果、二日酔いでもないのに、走り出した車内で頭を抱える羽目になる。
坂田さんは今後どうするつもりなんだろ。どさくさに紛れて聞くつもりだったのになあ。私もこれからどうしたらいいんだろ。
…あー、もう、不覚。



選択肢はもう死んだ

title:揺らぎ

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