同じ高校に勤めている坂田さんとは、一年半程の付き合いになる。
現在、私は二年生のクラスを、坂田さんは三年生のクラスを受けもっているが、坂田さんのクラスは問題児ばかりを集めたようなクラスで、喧嘩も学校の備品を壊すのも日常茶飯事だし、髭面や長髪の男子生徒はいるし、外国人留学生の子もいるしで、見た目も雰囲気も、とにかく騒がしい。その上、皆、成績が悪い。その為か、クラス替えがあっても、彼らだけは同じメンバーで固められた。
他の教師ならば直ぐに匙を投げてしまう様なそんな彼らを、坂田さんは、彼らが入学してからの三年間、何とかまとめあげたわけだが、その間、何度校長室へ呼ばれたか知らない。本人も、六回目以降は、数えなくなったそうだ。
坂田さんのクラスで小論文を教えていた私は、坂田さんからわざわざ詳しい事情を聞かなくても、彼らがどういう子達なのかを知る事が出来たわけだが、その事により、坂田さんばかりか、私も、それも何度も、頭を抱えた事があった。坂田さんの苦労を、身を以って知った。それは否定しない。
でも、個性が強いだけで、皆、悪い子達ではなかった。だから、頭を抱えた数より、思い出し笑いをしてしまう出来事の方が多かった様に思う。難しいだろうと思われていた大学へ、面接と小論文だけで合格した子もいたので、今じゃ全てがいい思い出だ。

そんな彼らが、明日、卒業する。

履いていくヒールは昨日のうちに磨いておいたし、明日持っていくバックに普段使っているバックの中身を移しておいた。これで大概の事には困らない筈だ。明日の為に新調したスーツのポケットには、アイロンをかけたハンカチとティッシュを入れておいた。泣くのは分かってるんだから、準備しておくにこした事はない。
生徒達には内緒で、実は一緒に住んでる坂田さんはというと、普段より少し早い時間に夕飯を食べたのにも関わらず、いつもと変わらずにダラダラと過ごしている。卒業式は朝のホームルームと違って全員の名前をちゃんと読み上げなきゃいけないから面倒臭い、体育館って何であんな寒いんだよ、とわざわざ口に出してまで明日行われる卒業式を否定したりもしている。
そこで、十時を過ぎても何もしない坂田さんの代わりに、坂田さんが明日着ていくスーツや靴、ハンカチやネクタイピン等の小物の用意を私がしたのだが、私が先にお風呂へ入ると言っても、坂田さんの反応は薄い。それどころか、坂田さんはそのままベランダへ出てしまい、私がお風呂から上がっても、状況は何も変わっていなかった。
煙草と灰皿の他に、紙パックのイチゴ牛乳まで持って出たので、直ぐには戻ってこないつもりでいるようだが、風邪でも引いたらどうするつもりだ。だからといって、沈黙を貫き通す背中を此方へ向けている坂田さんへ、何と言えば良いのか。気の利いた言葉が何も浮かばない。
というのも、明日は式の後に謝恩会があるので、夜は泥酔してしまってるだろうし、三年生を受け持っていた教師陣は、翌日から新年度へ向けて準備に入るので、とても忙しくなる。春休みに入ると、生徒を見かけなくても、それで寂しくなっても、春休みを建前に出来るので、諦らめがつく。そうして来年度になると、新入生が入ってくるので、寂しいとすらあまり思わなくなり、気付いた時には懐かしむ余裕が生まれている。それに、何事もそうだが、けじめをつける前は、覚悟や勇気がいる。
つまり、今だけだ。無気力な態度の理由を、寂しさ、から、けじめをつける前の面倒臭さ、にすり替えていいのは。坂田さんがあの子達の事だけで頭の中を一杯に出来るのは。本人は否定するだろうが、坂田さんはそうして一人で気持ちの折り合いをつけるつもりでいるんだろう。
坂田さんに変に意地っ張りな部分があるのを知る私には、そうとしか思えない。
仕方ない。じゃあ、あと十分。十分経ったら、声をかけよう。

そう心に決めて、十分後。夜風に当たって縮こまっている肩とは対照的に、まだ部屋へ入る様子のない坂田さんの堂々とした背中へ、声をかけた。


「坂田さん、寝ないの?」
「何で。まだいいだろ」
「ただですら死んでるような目なのに、クマまで作ってどうすんのよ。明日は大事な日なのに」
「いいじゃねぇか。今生の別れじゃあるめぇし。大体、考えてみろ、明日が卒業式ったって、あいつらの籍は一応今月末まであるんだぞ。それまでにあいつらのうちの誰かが事件を起こして俺がケツ拭かねぇって保証はねぇんだからな」
「……そうかもね」


想像の段階でうんざりしている坂田さんの気持ちも、分からなくはない。
確かにそうだ。あの子達と登下校が一緒になる事はもうないし、彼らの制服姿を見るのも明日で最後。授業もないし、行事で一緒にはしゃぐ事ももうないが、卒業式が終わったからといって、一切会わないわけではない。特に、坂田さんのクラスの子の場合、就職を希望していながら就職先が決まっていない長谷川君がいたり、喧嘩っ早い子も何人かいる。坂田さんへホワイトデーのお返しをねだりに来そうな女子も少なくなさそうだし、その際にもひと悶着ありそうだ。
ただ、私が余計な事を想像させてしまった事により、坂田さんは少しだけ元気を取り戻したらしい。良かった。ぶつくさと文句を言いながら、部屋へ戻ってきた。


「じゃ、もう寝よ」
「…何だよ、今日はやけに積極的だな。まあ、そう急かすなって、俺もヤる気だったから」
「…何言ってんの?明日に備えて今日はさっさと眠りましょうって言ってんの」
「性欲が溜まって悶々とした顔でいるより、さっぱりした顔で式に臨んだ方がいいに決まってんだろうが。それに、寝る前に運動しとけば、疲れてすぐに眠れんだろ」


何だ、その屁理屈は。疲れるまでする気か。ベランダに戻っていいから、一人ですればいいのに。お腹出したままで寝て、下痢でもすればいいのに。鍵掛けてあげるから。もう声かけないから。
心の中ではそんな事を考えていたが、風呂にも入らずに、躊躇いもなく上半身裸になった坂田さんを、ほんの少しだけ、甘やかす事にした。
というのも、時間が経つのを足踏みをしてやり過ごさなければならない上、体がすっかり冷たくなってしまった坂田さんには、嫌でも眠ってもらわなければならない。明日は絶対に皆の名前を間違えて呼べないし、明日の体育館は温かいだろうから、式の最中は欠伸だって出来ない。
それに、目の下にクマを作っては、流石に寝不足だとバレる。皆の前でも、私の前でも、今日まで普段とは変わらない表情を装ってきたつもりであろう坂田さんにとって、それは避けたい筈だ。

坂田さんと一緒に布団に潜り込むな否や、坂田さんが私の体の上に乗ってきた。それを機に、リモコンに手を伸ばして、電気を消した。でも、坂田さんは私を真正面から抱きしめたまま、動かないでいる。黙りこくったまま、始める素振りを見せようとすらしない。
本当はその気はなかったくせに。ったく、また変に意地張って。
じゃあ、坂田さんの顔は、なるべく見ないであげよう。これで坂田さんが眠れるのであれば、朝までこうしてたっていい。
多分、来年は、私が坂田さんの立場になる。そうなった場合、坂田さんも同じ事をするんだろうから。



最後の時まで、どうぞよしなに

title:花畑心中
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