小学生の頃から、バレンタインには、あまりいい思い出が無い。

三年生の時に好きだった男の子は、スポーツが良く出来るクラスの人気者だったので、皆から貰ってて私があげる隙なんてなかったし、六年生のバレンタインでは、本当に好きだった子に渡す事が出来たけど、それがどこかで知れ渡り、その事で、翌日から周りの男子にからかわれる羽目になった。
中学一年の時は、そのトラウマがあったせいで、好きな男の子にチョコを渡せず、二年の時は、塾で一緒だった別の中学の子に渡してめでたく付き合えたものの、三年のバレンタインに「遠くの高校に行く事になった」と告げられて、その日の内に別れた。彼がいい人だったからよかったものの、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった私の顔は、見るに耐えなかったに違いない。ばったり会ったら、謝りたいくらいだ。
高校一年の時は、部活の先輩に渡したけど、好きな子がいるから、と言われて撃沈。後に、先輩の好きな子というのが私の親友だった事が分かり、泣くに泣けない思い出が出来、二年、三年はそれなりに彼氏がいたけど、他の女の子からも本命チョコを貰った、と自慢されたり、デート中に喧嘩してしまい、それが原因で別れたり。
大学になると、彼氏がいたりいなかったりで、チョコは渡したり、渡さなかったり、だった。

それでも、義理チョコを渡さない年はなかった。高校までは実家にいたので必ず父にあげてたし、学校の先生や塾の先生、バイト先の人や、ゼミの仲間、どの時代のバレンタインにも義理チョコは必ずついて回った。
何、義理チョコって。何で義理でやらなきゃいけないの。普段からその人に感謝の気持ちを示してんなら、わざわざやる必要はないよね。しかも、大したお返しはしないくせに、もらって当然だ、と思ってる男がいるから余計腹立たしい。
それに、社会人ともなれば、女性だけで集まって打ち合わせして、時間を割いて混んでる中買いに行って、誰々は酒飲みだからチョコじゃない方がいい、だの、部長と課長と係長と平社員は少し差をつけなきゃいけない、だの、学生と違ってある程度気を使わなきゃいけないからまた面倒臭い。お中元やお歳暮ってものもあるのにさ、何か意味あんの?義理チョコの。
だから、彼氏がいない今年のバレンタインは、上司や同僚へチョコを配る為にだけ存在する「チョコ配りマシーン」と化すのが決定付けられてるようなもんだから、苦痛なイベント、としか思えなくなってしまった。彼氏がいたら別なんだろうけど、バレンタインではしゃぐような年でもないし。

いっそ、バレンタインなんて、もう滅べばいい。来年のカレンダーから、バレンタイン、の文字が消えてなくなればいいのに。


「…何、だからそんな不貞腐れた顔してんのかよ。つまんねー女だな」
「自分でチョコ買って食べてる男に言われたくないね」
「これはパチンコで手に入れた景品のチョコですう、自分で買ったんじゃありませんー。つーかよ、そんなに嫌なら、あげません、って言えばいいんじゃねぇの」
「簡単には言えないもんだって」


私の目の前には、お菓子や雑誌の代わりに、買い出し班の同僚が買って来てくれたチョコとラッピング用の袋が、ズラリと並んである。ラッピングなんて、会社で昼休みに皆でやればいいのに、お局がそれを許さなかったからだ。何でも、男性陣を驚かせたいから、だそうだけど、会社内で配る物にサプライズっているの?
あー、それにしても、量が多い。もうやだ、面倒臭い。ラッピングが終わった物をまた会社に持っていかなきゃいけないのかと思うと、どうでもよくなる。ラッピング班に振り分けられた何人かの同僚も同じようにやってんのかと思うと、私だけやらないってわけにはいかないけど。
私の疲れた顔に見かねたのか、坂田は「しゃーねぇな」と口にすると、私が飲んでいたマグカップのコーヒーを勝手に飲み干し、苦い、と子供みたいな文句を零してから、台所へ向かった。

そしてしばらく経って戻って来ると、坂田はマグカップを私の目の前に置いた。ただし、今度は中身が入ってある。どうやら、私の家の冷蔵庫を勝手に開けて、牛乳を使い、ホットチョコレートを作ったらしい。
私は、坂田程、甘い物が好きじゃない。だから、坂田の好みに合わせたらしい甘ったるい匂いを嗅いで、マグカップへ口をつけるのに怯んでしまった。でも、折角だからと飲んでみると、…あ、ちゃんとホットチョコレートだ。しかも、私がたまに作るのより、美味しい。


「チョコも悪かねえだろ」
「…最悪」
「俺が食ってるの分けてやったのに!返せコノヤロー!」


誤解を招く様な言い方をした私も悪い。けど、呼んでもいないのに勝手に家に上がり込んで、作業をする私の前でごろごろ寝転びながらパチンコの景品のチョコレートを食べ、テレビを見て笑う坂田に、悪いところが一ミリもないと言えるんだろうか。このくそ忙しい時に何しに来たの、ほんと。
にしても、あまりにも坂田が文句をぶーぶー言ってうるさいので、今度は私が台所へ行って、冷蔵庫を開けた。手に取った銀色のバットには、昨晩、何度も本を読んで作った、茶色と白のトリュフが何個も固まっている。ホイルをかけてて良かった。じゃなかったら、さっき、坂田に見られてた。
それをそのまま坂田の前に持っていくと、怒っていた坂田は私から顔を背けたまま、目だけをトリュフに向けた。


「…あ?何これ。え?いいの?俺が食っていいの?だって、これ、どう見たって手作りだろ」
「…いいよ。あげる、それ」
「ふーん、お前が手作り、ねぇ。でも、分かってるって。どうせ、本命じゃねえってんだろ?んなもん、いちいち言うな、細けぇ事は気にしねぇからよ、俺の事をちゃんと男としてみてるっつー事が分かればそれで。んじゃ、それ手伝ってやるよ、さっさと終わらせちまおうぜ」
「何、終わらせちまおうぜ、って。いいからどっか行ってよ、うるさいんだけど」
「どっか行けって何だよ。遠慮すんなって」
「いや、ほんと邪魔」


柄にもない事を言いだして、私の話を自分の都合のいいように解釈する、少し面倒臭い男になった坂田。これはもう完全に浮かれてるよね、それはもう恥ずかしいくらいに。
そんな坂田を尻目に、私は息を吐いた。今更、義理じゃない、とは言いにくい。色々な勘違いをしている、と否定もしにくい。
トリュフは焼き物と違って、味見がしやすいし、失敗しにくいし、持ち運びしやすいから作ったんです。坂田は甘い物が好きだって知ってるから、それを作ったんであって、義理とか本命チョコって枠で作ったんじゃないんです。そもそも、私は、もうイベントに乗らないと告白出来ない様な繊細な女じゃないんです。あんたといる時間の全てが勝負な私には、バレンタインなんて関係ないんです。
なんて、義理チョコをもらったと勘違いしてるくせに、何故かにやけている坂田に言えたらどんなに楽か。

…あーあ、だからバレンタインなんて、さっさと滅びればいいのに。


弐壱肆事変

title:水葬
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