過激派の攘夷浪士が集まるという旅籠への潜入を土方さんから命じられたのは、三が日が過ぎた直ぐの頃の事だった。鬼。畜生。ニコチン中毒。年末の一斉摘発がやっと一段落したと思ったら、松の内も明けきらない内にそんな事を命じられたので、当初は土方さんを心の中でそう罵ったものだ。
不幸中の幸いとでも言うべきか、旅籠へは住み込みで働く事になったので、潜入してからはそんな鬼の顔を見る事と小言を言われる機会は全くなかった。それどころか、真選組の人間と関わる事すらほとんど無く、真選組の事を知るのは、新聞やテレビ、連絡係としてたまにやって来た山崎さんが零すどうでもいい愚痴、からが大概で、攘夷志士を検挙した、だの、沖田隊長がまたやり過ぎた、だの、将軍様のお守をさせられた、だの、アンパン生活五日目だよ、だの、どこから何を聞いても、想像の域を超えた事が無い。それが良かった事なのかどうかは別として。


そして、浪士達がテロを画策している証拠をやっと固めたので、二日だけ休みを貰って、一ヶ月半ぶりくらいに屯所へ戻ってきたはいいが、屯所の敷地へ足を踏み入れるなり、全身にそわそわした空気が纏わりついてくるし、皆が妙に集まって来て馴れ馴れしい。元気か?大丈夫か?と普段はされないもしない心配までされる。
…何て気持ち悪い。バレンタインの日にチョコを待つ男子高校生達に囲まれてるかのようだ。バレンタインなんてとっくに過ぎてるってのに。
ところが、だ。近藤さんの元へ挨拶に行くと、傷だらけの顔で、こう切り出された。


「何だよ。仕事、抜けて来たのか?仕方のない奴だなあ、バレンタインはもう過ぎてるんだから、チョコなんて気にせんでもいいのに。どうせ、俺、お妙さんから貰ったしぃ〜、お妙さん一筋だしぃ〜」

「………」


勘違いにも程がある。この時の、勝手な勘違いによって浮かれまくっている近藤さんの馬鹿面を、私はきっと一生忘れない。
しかも、勘違いしてるのは、近藤さんだけではないようだった。妙な空気の事もあって、皆の事をよく注意して見てみると、近藤さんのように口には出さないにしろ、私の荷物をまじまじと見ている。荷物ってそんだけ?とも言う。荷物の少なさを気にかけていないような素振りを見せてはいるが、チョコは食堂のおばちゃんからしかもらってません、って顔に書いてある。しかも、疲れて適当に挨拶を返す私の視界に飛び込んでくる隊士が後を絶たない。
それがまた悲しい。虚しい。用意してないから、ガツガツしないて下さい。根拠のない期待は不幸な現実に追い打ちをかけるだけなので、お願いだから止めて下さい。
大体、普段は私の事を全く女扱いしないくせに、こういう時だけ女扱いするのはおかしいんじゃないか?私だって無駄に女扱いして欲しくないし、ここへはチョコの為に戻って来たんじゃない。


土方さんの部屋へ入ると、空気がそれまでのものとは全く違っていたので、どうにか溜まっていた溜め息を吐き出さずに済んだ。それでも私の表情は冴えないままだったようで、土方さんはめざとくそれに気付き、眉を片方だけ上げた。


「どうした」

「いや、皆に期待されるのが面倒臭くて」

「何をだよ」

「チョコですよ、バレンタインのチョコ」

「…誰かに渡したのか」

「何でですか。真っ直ぐにここへ戻って来たんですよ、買う暇なんてありませんよ。チョコより私が帰ってきた事の方が嬉しくないんですかね。これって副長の教育がなってないからだと思うんですけど」

「下らねぇ事言ってねぇで、さっさと出すもん出せ。あの馬鹿共が待ち望んでんのは、てめぇのその報告書だ」


あ、なるほど。なら、寝ずに書いてきた甲斐があった。
何人かの人生を変えかねない数十ページにも亘る報告書を副長に渡すと、土方さんは直ぐに目を通してくれた。
すると、流石は土方さん。時期が過ぎた甘くて美味しいチョコレートなんかではなく、食えない連中について書き連ねたその報告書にかなり満足したようで、珍しく、いい物をくれるという。


「こいつらを三月十四日にしょっ引くぞ。二週間以上あるんだ、準備をぬかるなよ」

「…血生臭いお返しですね」

「甘い言葉の一言でもかけろってか?何言ってんだ。一段落したら、もう関わらねーでいいだろうが。この報告書じゃ十五日にテロを仕掛けてきそうだしな」

「…まあ、そうなんですけど」


朝から夜まで旅籠の仕事をし、夜中は旅籠に出入りしていた浪士達の監視をしていたので、毎日明け方に二時間、昼に一時間程寝て、休みの日に寝だめをするしかなかった。肌がぼろぼろにり、疲れで目の下のクマが消えにくくなってきた。力仕事も少なくなかったので、二の腕が逞しくなった。
それが報われるんだから確かに文句はない、けど。土方さんから甘い言葉をかけられても気持ち悪いのでいらない、けど。その日に彼女とのデートを予定している隊士が万が一にでもいたら、少し可哀想な気がする。イベントの日は避けてあげたらいいのに。
すると、土方さんがおもむろに立ち上がり、側に置いてあった紙袋から箱を取り出し、私にそれを投げてよこした。あ、チョコっぽい。土方さんは貰えたようだ。
明らかに余り物をくれた感じだが、これはもらっていい物なんだろうか。本命チョコをくれたんだとしたら、この男は女の敵だ。攘夷浪士に変わり、今、この場で、私が天誅を下す。
チョコを持ったまま考え込む私に対し、土方さんは面倒臭そうに息を吐いてから言った。煙草屋のババァに貰ったもんだ、と。
そこで私は涙を堪えて受けとる事にした。土方さんにくれた人がいる、その事実が嬉しかったからだ。
というのも、真選組はあまりに人気が無い。それは私に集まって来た皆を見れば明らかで、攘夷志士を捕まえたり、やり過ぎた沖田隊長のフォローをしたり、将軍のお守りを押し付けられたり、アンパンだけを食べる日が続いたり、今の土方さんのように書類とも向き合ったりして遊んでるわけじゃないのに、チンピラ警察、だの、税金泥棒、だのと、世間からは散々な事を言われる。
隠れてこそこそやる私らはともかく、表に立って真っ正面からそうした批判を浴びる皆の事を考えれば、世間からはそれが正当な評価だと判を押され、チョコを同僚にねだる状況に置かれるのは、少し不憫だ。チョコの一つや二つ貰っても、罰は当たらない筈なのに。


「…じゃ、これで」

「帰るまでゆっくり休め。皆にはお前の部屋に近づかないよう言っとく」

「いえ、結構です。今から、チョコ、買いに行ってきます」

「チョコだぁ?」

「チョコって言っても、駄菓子屋で売ってるようなマーブルチョコとか、あんなのですよ。何でもいいから渡しといて、女らしさをアピールすれば、女を利用したい時に出来るかもしれないじゃないですか」

「俺には通用しねぇぞ」

「副長には私だって期待してませんよ、気持ち悪い。でも近藤さんには泣いて喜びそうだからバナナあげようかなあ、沖田さんは後が怖いから量を多めにするし。副長は…どうせもらうなら、チョコよりマヨネーズがいいですよね」

「…あたりめぇだ」


土方さんは、さも当然のように言い放った。何だ、欲しいのか。断らないのか。
久しぶりに土方スペシャルを見るのは憂鬱だけど、皆が無駄に命を捨てないように裏でこそこそ動くのが私の仕事。期待に応えてみせよう。
うん、今日はよく眠れそうだ。



親愛なる人でなし共へ



真っ黒な愛をくれてやろう

title:花畑心中
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -