平日も学校も嫌いだが、学校へ行くという選択肢を強制的に排除される休日よりはずっといい。鬼兵隊は日曜に集まる事が決まってはいるが、土曜は違う。特に三年になってからの土曜は、喧嘩以外に何もする事が無く、暇で暇で仕方がない。鬼兵隊の連中が集まるあの部屋が出来たからといっても、それは変わらないだろう。
例の部屋が出来て初めて迎えた土曜の午前。だから、喧嘩をするか、どこかで昼寝でもして時間を潰す為に、今までの土曜と同じように誰もいない家を出た。
すると、学校の近くで例の女教師に出くわした。休日だというのに相変わらず意味不明の眼鏡をかけ、寒くもないのに長袖を着、何故かペット用のゲージを持っている。ただし流石に白衣は脱いであり、緩く巻かれた髪の毛をゴムで束ねられていないので、あまり地味でもない。薄化粧だがそれだけでその辺のOLにでも見える。
女は俺を見て表情を柔らかくした。だから咄嗟に目を逸らした。女に会うとロクな事が無い。嫌な予感しかしない。
だが女はお構いなしに俺に近づいてきたので、俺に向けられる女の笑顔を無表情で黙殺した。ついでに、心の中でこの道を歩いてしまった自分の運の悪さを呪う。


「高杉、ちょっと付き合え」
「…何で俺が」


女はゲージを持ち上げて見せた。するとあの猫がいる。眠っているのか目を瞑ったままだ。
目を背けて、この場からさっさと逃げたって良かったが、一度は関わった猫だし、休みの日に猫と女が会った経緯もほんの少し気がかりだ。だが、当たり障りがないようどう言葉を返したらいいのか分からない。
俺が黙ると、女は聞いてもいないのに勝手に口を開いた。学校へ行ったら木の下で猫がぐったりしていたので、これから動物病院へ行く、んだそうだ。…本当にお節介な女だ。しかも厚かましい。女は、教えてやったんだから協力しろ、と言わんばかりに、俺にいきなりゲージを押し付けて、さっさとタクシーを呼び止めた。そして先に俺を乗り込ませた。
…結局、動物病院へ一緒に行く羽目になったわけだが、病院へ行くまでの間、それに診察までの待ち時間、女はずっと猫を気にかけていた。大学じゃ実験で解剖もしてただろうに、何故自分の猫のように向けるような顔をするのか。俺には到底理解出来ない。
診察の結果、猫は軽い食あたりにかかっているそうで、大した事はないが、念の為に病院で一日だけ様子をみる事になった。
そして、女は申し訳なさそうに目を伏せながら、自分の財布から金を出し、会計を済ませた。それよりも驚いたのは、次の予防注射の説明を受けていた事だ。聞きゃしなかったが、実はこの病院でもう何度か受けているらしい。キャリーまで持ってたって事は、飼い主がいないか調べあげたんだろう。もしくは飼い主が現れるまで預かる気か。
…この女にケツを拭いてもらってたとはな。俺はとんだ半端者だ。




「食あたりか…。よかった、と言えばいいんだろうか」
「いいんじゃねぇのか?命に別条はねぇんだったら」
「実はほっとしただろ」
「気のせいだ。とうとう頭をやられちまったらしいな」


そうだ。良かった、としかいいようがない。俺に付いて来ただけで学校中から慕われ、飯を食わせてもらい、日がな一日勝手気ままに過ごし、少し具合が悪くなりゃ心配してもらい、病院にまで連れこられて。
俺にしてみれば皮肉を込めたつもりだが、女は励まされたと思ったようだ。「そうだな」と呟いた後、背筋を伸ばした。


「暇ならもう少し付き合わんか?昼を奢らせてくれ」
「…勝手に着いてきたんだ。んなもん、いらねぇよ」
「そうか。高杉も忙しいものな。…悪いな、付き合ってもらって」


女は俺の背中を引き留めずに今度はあっさりと引き下がった。だが、少しすると別の場所で再び出くわしてしまった。しかも今度は抱えきれないだけの荷物を持っている。
ゲージを持ちながら買い物するなんざ相当の馬鹿だ。教師らしく俺に命令でもすりゃいいだろうに。
再び目の前に現れて「持つ」と言い放った俺に女がどんな顔をしたかなんざ知らないし、知りたくもない。それに俺が女の荷物を持つ気になった理由も、だ。
すまんなあ、悪いなあ、と口では言われながら、その後も実験の準備の為だからと色々な所へ付き合わされ、結局、午後の二時を廻ってしまった。そこでようやくお礼と称して飯を奢ってもらう事になったが、女に連れて行かれたのは小さくて寂れた洋食屋だった。
銀座で働いてたんだったらそれなりにいい店を知ってるだろうし、自分で礼だと言うくらいだ、そんな店へ連れて行かれるものだとばかり思ったが。厚かましい上にケチか、この女。
だが店を出るまでの間、恨み言を並べる機会には恵まれなかった。
手っ取り早く、ハンバーグやエビフライが乗ったランチプレートを頼んだが、湯気を立てて運ばれてきたプレートの上の物はどれも美味い。女が後から勝手に頼んだ名物だという分厚いパンケーキも中々だった。
女が笑ってなければもっと美味かっただろうに。一々腹が立つ。



夕方。荷物を両手で抱えたまま学校へ着くと、部活を終えたばかりらしい運動部の連中とすれ違った。俺と女のセットが珍しいのか、荷物の多さに驚いているのか、俺がパシられてるようにでも見えたか、その全部か。とにかく、どいつも珍しい物を見るかのような目つきを寄越す。見せ物じゃねえと叫ばなかったのは、俺がそいつらを睨んだからに他ならない。全く、面倒臭ぇ。
食いしばった歯の間で呟きながら理科室へ着くと、俺は直ぐに荷物を置いた。流石に腕が痺れている。その間、女はビーカーに水を入れ、背中を向けた俺に座るよう言った。どうやらまたここでコーヒーを淹れるつもりのようだ。
だが、言われた通りに座らなかった。かといって女の手伝いをする気もならず、窓の外を眺めながら考える事にした。この次はどこで何をするか、をだ。鬼兵隊の連中が集まるあの部屋に行ったって、どうせ誰もいまい。


「あ。そういえば、高杉。何故夕日が赤く見えるか知ってるか?」
「…さあな」
「青く見える理由は前に説明したな。夕陽の場合はな、埃や塵が多ければ多いほど赤く見えるんだよ。少なければ紫に見える」


言うや否や、女は俺の側にあるカーテンを一カ所だけ閉めた。…一体何をする気だ。
黙って見ていると、女はバックの中から飲みかけのペットボトルを出し、中身を捨て、口一杯まで水を入れると、近くにあった床掃除用のワックスをその中に入れた。勿論、ペットボトルの中の水が少し濁る。それから女はどこからか懐中電灯を出してきて、テーブルの上へ横に置いたペットボトルに対し真上から光を当てた。すると薄く濁ったペットボトルの中がほんの少し青に染まった。
次は俺が懐中電灯を持ち、今度は斜め下から当てろと言う。湯が沸いたからだった。
早くしろと急かされたので言われた通りに渋々やってみると、ペットボトルの中が今度は淡い赤を帯びる。
女はコーヒー豆が入ったファイルターにちびちび湯を廻し入れながら話した。これは夕陽の色を再現する実験だと。


「懐中電灯は太陽、ペットボトルの中の水は大気だと思え。前に、日の光は白く見えて、本当は色々な色が含まれていると言っただろ。それから波長の短い青が一番散乱されやすいというのも。真上から光を当てると光と大気との距離が短い、だから目の錯覚もあって青く見える。斜め下から当てた場合、つまり太陽が傾いた事によって赤く見えたのは、角度が付いた事によって大気との距離が伸びてしまったのと、塵や埃のせいで赤しか届かないからだ」
「………」
「それだと少し分かりにくいが、試しにペットボトルの底へ光を当ててみろ。懐中電灯に近い方の底は青く、光から遠いペットボトルの口の方は赤く見えるだろう。そういう事だ。…凄いと思わんか?塵や埃を物ともせずに我々の目に届くんだから」
「どうだかな。最後まで鬱陶しいと思うが」
「そうだなあ。私も夕陽を見ると時々息苦しい」


女はまた例の笑顔のまま、俺にコーヒー入りの紙コップを渡した。覚えているのか、コーヒーには砂糖もミルクも入っていない。俺は俺で特に何も言わずに受け取って飲む。…飲んだが、やはり美味い。特別な事をしてたわけでもないのに一体何が違うというんだ。
啜りながら窓の外を眺めていると、一目で分かる背中があった。あれは万斉だ。気付くと同時に咄嗟にコーヒーを飲み干す。
すると、何故か女がにこにこ笑っていた。…しまった。コーヒーを美味いと認めた様な物だ。無意識とはいえ、無様もいいとこだ。


「今日はすまなかったな。一緒にいてもらって助かったよ。ありがとう」
「…そうかよ」


礼を言われたからか、コーヒーが美味かったからか、そう言われても悪い気がしなかった。それに女といていい暇潰しになったかどうかは知らないが、少なくとも、あの家に一人でいるよりずっとマシだ。それは確かだ。それでも楽しかったと言えたもんではないが。
万斉の背中に追いついて声をかけると、いい事でもあったのでござるか?と聞かれたが、もしやそれが原因だろうか。…いや、きっと気のせいだ。



太陽と月に背いて

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