深夜一時。剥き出しになったままの電球が点々と明かりを落とす薄暗い廊下を、馴れた足取りで一人で歩く。ヒールが床を打ち付ける独特の高い音を辺りに簡単に響かせて、ここに来るのは何度目だろうと、突き当りの部屋の前まで考えたけれど。そういえば最初から数えていなかったと気づいて鼻で笑った。
今目の前にあるのは、薄くて所々ニスが剥げた、部屋の番号の表示も特にないようなドア。それを右手の第二関節全てを使って痛くならない程度に軽い音を数回、こんこんとさせると、中からかちゃりと鍵の開いた音が聞こえた。


「こんばんわ」
「入れ」


この部屋の中もまた安っぽいシンプルなライトがあるだけで、随分と暗い。いや、明るかった事なんて一度たりとてなかったのだけれど。
壁はコンクリートが剥き出しのままで、家具はスプリングがもうすぐで切れてしまいそうな小さなベッドと、簡素なテーブルと椅子、それと小さなタンスだけ。どれも乱暴に扱えば壊れてしまいそうなものばかりで、暗いせいか、薄汚れて見える。
電化製品といえば、ほとんど使っていなさそうな小さな冷蔵庫と、つけているのを見た事がないテレビのみ。その上まともな鏡もなければ、浴槽もない。煙草の匂いとやににまみれたカーテンも頼りなさげにある程度。こんな部屋、安いモーテルでもそうない。

でもこの男に対していつも嫌な顔をしないのは、男がタイプだからじゃなく、体の相性が群を抜いて良いからでもない。商売上それを得意とするだけで、誰にだって、どこでだって、私は顔を変えない。自分を出さない。
だからこれから先にする事は、この男といえども他の男と一緒。単なるセックス。それだけ。

男はそうして自分を特別扱いしない私に満足なのだろうか。必ず私を指名してくる。
元締めから言わせれば、私の事を大層気に入ってるからだろうと言ってはいたが、どうなのだろう。まともな会話はないし、一円の値打も無いゴミみたいな言葉を一方的に囁かれる事も無い。馬鹿の一つ覚えのようにキスマークを付けてこようともしない。要は、指名を受けたとはいえ、私も男から特別扱いされてなどいないのだけど。
ただ他の男と違うのは、この男は自分本位のセックスをしない事。私達の間に流れる空気や愛撫の仕方、セックスの内容は、金の絡んだ客と売春婦というより、セフレのような、それだけを目的とした関係のものに近いのかもしれない。互いが満足をするセックスをして終り。欲望の赴くまま、本能のままに一晩求め合って、与えて終わる。かなりドライなものだと思う。

変わった客だと思う。でもこの男の事を知りたいとは思わない。テーブルの上に無造作に置いてあるコルトパイソンのせいではなくて単に興味がないだけ。一晩セックスするだけなのに気にする必要は無い。男がどんな人間だろうが、銃口がこちらを向いていようが、出来るものは出来るし、平気で喘ぐ事は出来る。
それに不用心にそんなものを置いている人間が、まともに質問に答えるのだろうか?そう考えるとするだけ無駄だろう。




体液と激しい摩擦のせいで、シーツが熱を持ったままですっかりくたびれてしまい、体に纏わりついてくる。肌に纏わりつく感触は不愉快でも、滲み込んだ男の香りは気にならない。だからそのまま体を預けていると、男は何時もの様に煙草を吸う為ベッドから降りた。
所々曲がっておかしくなっているブラインドからは薄い明かりが漏れ、部屋には漠然とした白が行き渡り始めていた。手首にはめている細い革バンドの腕時計を見ると、ちんけな針は朝の四時を示している。
気が狂れそうになる程の快楽を味わった後のまどろみの中、自分の意識もゆっくりと空間に溶け込み始めた。どうせ時間はまだある。男も煙草を吸い終えたら眠るかもしれない。またするつもりなら、その時は起きればいい。

意識が混濁する中、その結論は不意に訪れた。舌先が体を這うでもなく、隣に体温を感じるでもなく、頬に冷たい何かが触れたのだ。
一瞬にして意識がそこに集中して不確かな視線がゆっくりと定まると、そこには水滴が付いている氷の入ったグラスが。次に男の視線とぶつかった。


「起きたか」
「ん…」


からんと氷が耳元で傾いた音がした。ありがとうとしわがれた声で受取り、掠れた喉奥へと送り込む。水道から直接注がれた水だろうが、冷たいというだけで美味しい。それに男がわざわざ氷を入れてくれたかと思うと意外に思えて、カルキ臭かろうが飲める。ありがたい。もしや裸のままわざわざ氷を取り出して入れてくれたのだろうか。想像し、思わず口元が緩んだ。
そして喉から食道、胃へと広がっていく清涼感を楽しんでから、今日初めてまともな質問を男にした。


「またする?」


男はいいやと首を振って短く答えると、煙草の煙をゆっくりと吐き出した。空気が停滞しているせいで煙はどこにも流れず、ただ辺りを汚す。私はそれをただぼんやりと眺める。


「この仕事についてどれ位だ」
「さあ。一年半位かな」
「何故足を洗わない」
「セックスするだけで食事に困る事はないし、屋根のあるところで寝られるから」
「…ふーん」
「他にする事も無いもの」


ふうと煙を吐き出しただけで、男は何も言ってこない。私も何も言わずにグラスを男に渡す。会話は終わったものだと思って、再び目を閉じかけた。
すると煙草の火が灰皿に押しつけられた音がじゅっと小さくした後、ベッドのスプリングがぎしりと必要以上に弾んだ。
寝るつもりなのだろうか。どうせ小さなベッドだと、一、二度体をシーツに擦りつけて端へと動く。スプリングが再びぎしりと鳴ると、頬によく知った物が触れてきた。男の手だった。


「だったら俺の所に来い」
「…ん?」
「少なくともそんな退屈そうな顔をしなくて済むと思うがな」


にやりと男の唇が影を作って歪んだ。セックスの時にしか見た事が無い、私の期待や欲求を著しく煽りつつも満足を約束するような顔で。
反射的に胸がどきりと躍り、私の唇もつられて形を作る。同じように、セックスの時にしか見せた事のないもので。


部屋の中が更に明るくなってきた。白から明るい色へと、だんだんと陽の光が色を変えながら満ちてきて、影が形を変えて小さく潜む。
それでもテーブルの上に無造作に置いてある、こちらに向けられたままの銃口は暗い。そこだけが光を拒否しているかのようで、意志をもっているかのようにも見えて、光が辺りに満ちた中で、それは異質だった。黒くて鈍い光を放ち始める銃身に、それでも私は何も思わず男の手を取った。

この男とここを出れば、この先一体どんな生活が待っているのだろう。今迄この男に興味を持たずにきたのだから、それすら想像出来ずにいるけど。これだけは言えそうだ。
しばらくの間は寝食に困る事なく、下手くそなセックスに付き合う事も無く、この男の舌と指使いにも退屈しなさそうだ、と。


更に乱れて汚れていくシーツの中でも唇の形を変える事なく、私は男にこの身を預ける事にした。



己が創り上げた箱庭で神は果てる

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