少し横になったつもりだったが、かなり長い間、寝てしまっていたらしい。中途半端に合わせられているカーテンの向こう側からは、夜明け前の白んだ気配が漂い始めている。
どうりで。喉が渇いている筈だ。顎の下で滴り落ちる程に掻いていた額の汗も、全身の火照りも、今はもうすっかり引いている。
原因となった彼女は、俺と同じように裸のまま、隣でぐっすりと寝ていた。ただし今すぐに起きる様子でもない。

ベッドから起き上がって、そのままシャワーを浴びに風呂場へ行き、蛇口を捻る。最初は水が、直ぐに湯が頭から爪先を濡らした。その音にせき立てられるように湯は体に着いた物と混濁となって一斉に排水溝に吸い込まれていく。これで大分すっきりした。今は多分何の匂いもない。
だが、鏡の側にある自分用の剃刀や髭剃り用のジェルには、結局また手を出さなかった。彼女が気を遣って買ってきてくれた物だし、便利ではあるが、他人の家なのに自分が普段から使っている物が並ぶ光景というのは、違和感を覚えるからだろう。
今日もいつものようにそう思う事にし、薄く曇った鏡を見た。良くも悪くも顔色には何の色もない。

風呂から上がると、彼女はもう起きていた。
一人でさっさと寝ないでよ!何で終わったら直ぐにお風呂に入るの?等と言って、男を責める女がいるらしいが、目の前の彼女からは待ちくたびれた様子すら見受けられない。だからこの女とは付き合っていられる。不干渉の名の元に、大人の恋人同士として。
ベッドの脇に置いておいた煙草を吸う為に、寝ていた側の端に座った。つまり、彼女には背中を見せている事になる。その為に、彼女が肘をついて此方を見る体勢に変えたのか、べッドの一部が沈んだ気がした。


「…無意識の内に働く罪と、罪だという意識があって働く罪。どっちがより悪い?」
「罪は罪だろ」
「そう?私は無意識に働く罪の方。罪の意識がないなんて人間としておかしいもの」


いきなり何の話だ。
疑問に思って同じ刑事ではあるが部署が違う彼女にそういう事件を扱っているのかと聞いたが、ただ笑うだけ。要領を得ない。


「じゃあ、例えばよ?例えば、土方君を困らせたいのが目的であって罪の意識がないまま土方君に酷い事をする沖田君と、寝不足だろうに悪いなと思いながら土方君と寝る私、どっちが悪人?」
「…どっちも面倒みるに決まってんだろ」


後ろから頬にキスをしてきた彼女の手首を強引に引き、俺の前でわざと体勢を崩させる。片手で煙草の火を消す。
ベッドが歪み、ぎしりと苦しげな音を上げたが、彼女は低い声で笑った。


「新月と満月の時って無意識の内に引き起こされる犯罪が増えるって…知ってた?」
「さあ。興味ねえな」
「…新月と満月の日なんて来なくていいのに。そういう人の相手ってほんと面倒臭いから」






数日後。あるショッピングセンターの一角でテロリストに内部情報を流していた裏切り者を追っていた。
だが、休日とあって買い物客は少なくなく、行き場を求める悲鳴の為に人員の大半は其方に割かれている。しかも裏切り者はそれを助長するかのように何発か発砲したので始末が悪い。
相手はよく知った顔の女だった。それだけに信じられなかった。俺を欺くなんざな。何故こんな事をした。
顔に出ていたのか、彼女はつまらない質問をされたといった風に半ば呆れ顔で頷いた。


「土方君が何時も私から逃げようとするからよ。こうでもしないと追いかけて来てくれないでしょ」
「…何だって?」
「適当に距離を置いて私と深く関わろうとしないじゃない。何故って亡くなった女性の事を未だに思ってるから。自分が傷つくのが怖いから。生身の女へじゃなく亡くなった女性に罪悪感を感じてるから。こんな事言ったって意識してないから分からないんでしょうね」
「………」
「あなたの側にいると空っぽの箱になった気分だった。その分、仕事はやりやすかったけど」


彼女が言う「亡くなった女性」とは総悟の姉貴の事だろう。だがそんなわけない。俺が彼女を見ていなかった筈ない。
自問しながら否定の言葉を探す。間合いを詰める。伸びていた影もじりじりと近づく。


「…逃げ切れると思うなよ」
「捕まえてみれるものなら捕まえてみたら?ま、私の事を見抜けなかった間抜けには無理だろうけど」


自信はあるようだが、追われる事がどんなに大変な事か、仕事上あいつが知らない筈がない。
ろくに眠れない日が続く。何をしても他人の目が気になる。陽の下にいられなくなる。普通の幸せなんざ望めない。その覚悟があるという事か。
だが捕まえる。俺が、この手で。

そこへ、空を切り裂くような発砲音。胸の辺りを襲った強い衝撃。それらが全てを断ち切った。しかも彼女の拳銃は間違いなく俺へ向けられている。彼女に撃たれた、らしい。
防弾チョッキを着たまま心臓の辺りを手で抑えて呻き声をあげる俺の間抜けな姿に満足したのか、彼女は悠々と背中を向けた。俺はその背中に拳銃の先を向ける。逃がしはしない。彼女がまた無尽蔵に発砲するなら直ぐにでも撃つつもりだった。ポーズじゃない。俺は本気だ。
だが、此方を振り向いた彼女の表情は、無理に作って見せたような笑顔だった。


「…私の事、忘れないでよ?」






姿が完全に見えなくなった直後、他の連中がやって来た。その内の何人かが彼女の後を追ったが、捕まえたという連絡が今すぐに入ってくる様子はない。
取り逃がしたか。撃たれた箇所が熱を孕み始めて余計に痛みが増す。
だからこそ、のんびりした足取りでガムを噛みながらやって来た総悟の姿が何時にも増してムカついた。


「好きな男に心底振り向いてもらいてぇからってとんでもねぇ事しやがりましたね、あの人も。流石、女にモテモテの土方さんだ。自分に惚れた女を修羅の道に引きずり下ろすたぁ、やる事が違う。で、どう落とし前つけるつもりで」
「…聞こえてたのか」
「そりゃもう、ばっちり」


総悟は彼女の言葉を鵜呑みにしたのか、立場上、仲間内から裏切り者を出した事は汚点である為に何とか言わないでいるが、ざまあみろ、とでも言いたげな口調だった。
しかも奴の姉貴が生きていた時と同じように、俺をささくれ立った目つきで見ている。


「…決まってんだろ。裏切り者は粛正するだけだ」
「…鬼、とはよく言ったもんだ。一時でも情を交わした奴を簡単に粛正するたぁね。だが俺にはそうは見えねぇ、卑怯者に見えらぁ」
「…卑怯者だと?」
「あの人のやり方は誉められたもんじゃねぇが、追い込んだのも見過ごしてたのは誰でもねぇ、土方さん、あんただろ」


総悟の言う通りだ。無意識の内にではあるが、彼女の犯行に動機を与え、見逃していた俺自信を責めずに、彼女一人を犯罪者と位置付ける俺を卑怯者と呼ばずに何と呼ぶ。逃亡者として追われ、裁かれるべきなのは、彼女だけなのか。
考えに割って入るように、辺りが急に暗くなった。まんじりとも動けずにいる俺の周りには、悲鳴やざわめきが渦を巻いて漂う。彼女を追う為のパトカーのサイレン音はまだ鳴り止まない。
空を見上げると太陽が真っ黒な影に食われていた。どうやら日食らしい。


「あ。そういや今日は日食でしたね」
「…総悟、あの月は新月か満月か知ってるか?」
「何ですかぃ。急に」
「いいから。知ってんのか、知らねーのか、どっちだ」


無言で携帯を取り出し、文字を打って数秒経つと、総悟は「新月らしいですぜ」とだけ答えた。
皮肉な話だ。よりによって今日が新月だとは。しかも訪れた闇は逃亡中の彼女に味方をするだろう。姿を変えられたらお終いだ。

周りが真っ暗になってから数分後。月は光に追われるようにゆっくりと太陽から逸れていき、月の陰に隠れていた太陽は徐々に姿を現し始めた。明るくなっていくスピードが速いだけで、夜明けの様を呈している。世界が再び元の明るさを取り戻していく。
無闇に太陽を見てしまったので周りが見にくい。遮れきれるわけがないと知りながら、拳銃を握っていた手で視界に影を作り、先程までの闇の残存を追った。
だが気付くのが遅かった。目の前の掌すらまともに見えない。


灼かれて眠れ


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