学校に来てもやはり何もかもがつまらないので、朝から雲一つない青空が広がっているのをいい事に、学校に着いた早々から屋上にいた。下らない顔を見たり、つまらない連中と関わるくらいなら、ここでこのまま一日をやり過ごすのも悪くない。
だが屋上の扉が開き、気配が気安く近づいてきた事で諦めた。こんな時にこんな場所へわざわざ来る人間は無鉄砲な馬鹿しかいないからだ。もしくは、


「あ、やっぱりいた」
「…何だ。またてめぇか」
「おい、高杉。昼になったらパンを買って来てくれないか。牛乳も一緒に頼む」


例の女教師だ。しかも挨拶も無しに、いきなりそんな事を言い出した。俺をパシリに使う気らしい。
つまらねえ冗談だ。少しも笑えない。


「頼む相手を間違えてるぞ」
「私が食べる分じゃない。あの猫にやる」
「…あの猫に?」
「あの猫、昼になったら腹が減るらしくて、あの日からあの木の下に来るようになったんだがな、今日は生憎夕方までにテスト問題を作らないといけなくなって、昼に購買へ行けそうにないんだよ」
「だったらもうやらなくていいだろ」
「…なあ〜、みんなぁ〜、聞いてくれぇ〜。高杉はこの前ぇ〜、学校に猫をつ…」


寝転がっていた体を勢いよく起こして、わざわざ授業中の中庭へ向かって叫ぶ女の口を手で塞いだ。生徒どころか学校中の人間がビビるこの俺を、この女はパシりに使う気どころか、脅しまでかけやがった。白衣からは、一瞬、銀八の煙草の匂いがして、口を覆う手に一層力がこもる。女だろうが、関係ねえ。
ところが女は驚きもしなければ暴れもせずに、俺の手の中で唇の形をゆっくりと変えた。そして俺の手を取り、すんなりとどけた後、申し訳なさそうに目を下げて笑ったのは少しでも悪いと思ったからだろうが、嬉しくも何ともない。



パンは自分では買わずに使いの人間に買いに行かせたのはいいが、持って行く途中、壁に寄りかかった沖田に呼び止められた。
沖田は同じクラスの人間で、風紀委員でもある。風紀委員は、校内を徘徊して、秩序を乱す人間や、校則を違反している人間を取り締まるのが仕事だ。さしずめ、この学校の番犬といったところか。つまり、沖田は俺のような人間を取り締まる側であって、顔を合わせたって、話をしたって、何一つ面白い事はないし、期待するだけ無駄だというもんだ。
沖田自身も飯の時間を削ってまで俺とは顔を合わせたくないだろうし、沖田が委員の仕事に特別熱心なわけでもない事は同じクラスなだけあって知ってはいる。という事は、待ち伏せにはそれなりの理由があるようだ。


「どこ行くつもりですかぃ。理科室か?」
「………人のケツについて回るたぁ風紀委員も随分と暇らしい」
「人?冗談だろ。ゴミ漁りしか出来ねえ野良犬が何言ってやがんでぃ」


沖田の言葉にはあからさまな敵意が覗く。このまま因縁をつけてくるつもりなら相手になるつもりだ。
だが沖田はおかしな口調のまま、まともに話を続けた。


「あそこにも、あの人にも近づくな。目障りだ」
「俺がどこで何しようと関係ねぇだろ」
「そうもいかねえ。…俺には姉上がいるが、ちっとばかり厄介な病を患っててな、姉上の幼馴染みであるあの人は、姉上の病気を治す為に大学院まで行ったんだ。まぁ、色々あって途中で退学しちまいましたが」
「それが?俺に何の関係がある」
「てめぇがどこで野垂れ死のうが俺には興味ねぇ。だが、あの人は違う。あの人は俺ら姉弟にとっちゃかけがえのねえ人だ。だからあの人に何かあったら俺はお前を許さねえ。絶対にな」
「………」
「あの人が傷つく前に、てめぇにはこれだけを言っておきたかったのさ」


沖田の忠告には敢えて返事をしなかった。指図される覚えはないし、俺の領分へズカズカ踏み込み、引っ掻き回しているのは、あの女の方だ。それに今はあの女に理科室へ来るように言われたから行くのであって、俺だって行きたくて行くわけじゃない。誰が好き好んで行くか。
どうせならこの損な役回りを沖田にでも代わって欲しいところだが、猫を連れてきたのも、暇を弄んでいたのも、俺自身だ。自分が撒いた種だ。こんな事で沖田に貸しを作るくらいなら自身で刈り取る。



当初の予定通りに理科室へ行くと、扉が開いていた。また窓を大きく開けているらしく、教室から吹いてきた風が髪を揺らす。
中を覗くと、あの女がいた。俺を呼び出した張本人だ。それともう一人。白衣を着た目障りな白髪頭がいる。銀八だった。
二人とも窓側の方へ顔を向けているので、廊下にいる俺には気付かないでいるらしく、銀八は女の隣に立って尻を触ったままでいる。女は女で目の前に並んだ実験器具をデジカメに収めながら「邪魔だ」と言うだけで嫌がる素振りを見せない。何日か前の屋上での俺を見ているようだ。
ただ、銀八と、俺に迫ってきたあのバカ女は、まるで違う。あのバカ女がやった事は完全に独り善がりな行為で、その上、俺を利用しようとする下手な魂胆が見えていた。銀八の場合は銀八なりに女の顔色を伺っていて、多少なりとも愛情があるように見える。あの女もそれを分かっているからこそ拒まないのだろう。きっと、またか、くらいにしか思っていない。
一目見ただけで、職場の同僚を相手にしているというだけの社交事例的なやり取りというより、二人の間には一歩踏み込んだ雰囲気を感じとれる。だから噂もあるんだろう。二人は付き合ってるんじゃないか、と。
女は何かの液体を手にしたところで、ようやく声を発した。


「これ以上続ける気なら金を払ってもらう」
「え。金払ったらいいわけ」
「うちの店は座るだけで五万とってたからな、払ったらいいと言っても金欠の貴様に払えるわけが無いだろ。だからこれ以上の事は止めておけ、痛い目を見るぞ」
「やっぱり銀座のクラブともなれば違うな。お前みてぇなおかしな奴が隣についても五万も払わなきゃならねーんだからよ」
「気が合うな。それについては私も同感だ」


大学院を退学がどうのこうのの後は銀座のクラブのホステス?よくそれで高校の教師になんかなれたもんだ。それに、別に知りたくもないあの女の過去を何故こうも立て続けに知らされなきゃならない。
俺を呼び出しておきながら、その事は忘れているかのような、銀八にやられっぱなしの女の後ろ姿は、余計に俺を苛立たせた。


「だったら相当稼いでただろ。まだ貯金あんだろ。悪いんだけど、金貸してくんね?今月もうピンチでさぁ」
「いつもピンチだろうが」
「お願いついでに乳も揉んでいいですか。300円払うんで」
「金がないと言ったそばからそれか。そういう事を言うのは私だけにしとけよ、他の女子なら警察沙汰だぞ。特に女生徒へはやるな、絶対にだ」
「心配されなくてもガキには興味ねえよ。クラスの連中の相手するだけでうんざりだ」
「うんざりする程自分のクラスの生徒達と関わってるのか。変わったなあ、坂田も」
「…んなわけねえだろ。巻き込まれてるの間違いだ」


笑い声を抑えている女に対し、銀八は下手に怒鳴ったり、更なる屁理屈を繰り返さずに、ボリボリと頭を掻いて、身を引いた。初めてだな、銀八が言いくるめられてる様を見るのなんざ。
そもそも、銀八とクラスのアホ共とじゃこうしたまともな会話すら無理だろうが、あの女と俺とだって同じように同じ目線で話が出来てたかどうか分からない。奴らは趣味は悪いが、大人で、教師で、俺らはどんなに大人ぶったって、所詮子供で、生徒だからだ。
少なくとも俺の事は子供扱いするなと望む方が間違っちゃいるだろうが、容易く出来るものではないという事を、違う形で目の前で見せ付けられている気分だ。このまま自分から口を利く気にならない。

お陰で随分と理科室へ入るタイミングを失っていたようだ。机に腰を掛けて女の隣で女と向き合う形になった銀八と目が合ってしまった。
相変わらずだるそうな面だが、目はよく見えてやがる。


「あれ?どしたァ、高杉。んなとこで突っ立って」
「…あぁ、高杉か。入って来い」
「…誰が行くか」


パンと牛乳を一番近くの机に置いてから、以前と同じように拒絶の意思を告げると、その場から追われるように立ち去った。
だから後ろは振り向かなかった。何事もなかったかのように足を止めずにとにかく前へ前へと進む。屋上へ戻ってもいいが、女が来るようになってしまったあそこへ戻るつもりはない。居場所がなく、腹の中の物をぶつける何かを探す今の俺はまさに野良犬も同然だ。
そこへ運良くわざと肩をぶつけてきた馬鹿がいたので、ぶん殴ってやったが、少しもすっきりしない。むしろ、さっきの二人のやり取りが頭の中で断続的に続く中で自分がやった事で、余計に腹の中の収まりがつかなくなった。
野良犬だと言われた方がまだマシだったか。ガキのやる事じゃねえか、こんなもん。

沖田は俺の事を心配していたが、それは間違っている。あれは平気で尻を触る銀八にこそ向けられるべき言葉だろ。何が許さねえ、だ。俺に何の関係がある。


めまい


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