裏で流れる美術品、情報、銃器等、クスリ以外の依頼であれば、何をしてでも手に入れる。そんな仕事を組織的に行い、その頭と呼ばれるのが様になり始めたのは、大学四年の夏頃からだろうか。


事件が起きたのはそれから数ヶ月と経たない秋口。何が起きたのかというと、ある男と奴の下に付いた連中に裏切られた。

そいつの事を最初から信用してなどいなかったが、大事な取引の前にいきなり切りつけてきた上に、金を持って逃げるような馬鹿とまでは、流石に思っちゃいなかった。それに関しては俺も随分と見込みが甘かったと言わざるを得ない。

しかもその見込みの甘さから、俺の側についた数人は目の前で半殺しの目に遭い、挙句、どこかへ連れて行かれた。俺は俺で裏切った奴らの何人かを殺しかけたが、多勢に無勢、信頼出来る人間を一人も呼べる事無く、死にかけたまま、その場へ置き去りにされた。

このまま死ねば、俺の事を知らない世間一般の人間達からは「大学生が暴漢に襲われて野垂れ死んだ」と思い、下手をすれば同情だって買うだろう。だが俺の事を知っている大半の人間らは、腹を抱えて笑うか、自業自得だと聞き流して終わり、だろうな。目を瞑らなくともその様がまざまざと思い浮かぶし、それだけの事をしてきた自覚もある。

だから暗闇の中で自分の血で自分が染まるのを感じながら、死を覚悟した。この世に歯がみするだけの未練などない。心残りがあるとすれば、このままじゃ腹に巣食った自分への恨み節は地獄の底にいても消えそうにない、それだけだ。

経験した事のない痛みが左目を襲い、追い打ちをかける様に、意識まで奪っていく。すると、意識が途切れる間際、あの声が聞こえた。あの女の声が。


「…死…だら、許さな…」




「高杉は…っ!?」
「早めに診せたから多分大丈夫だって」


部屋に飛び込んで来るなり叫び声に近い声を上げた男の声は、確認せずとも、直ぐに坂本の物だと分かった。坂本は今回の取引相手でもあるし、この男とは俺がこの仕事をする前からの長い付き合いなので間違える筈はない。

細く小さく息をするだけで手一杯で「煩い」と言い返せない俺の代わりに、坂本に対してトーンダウンを促す様なひやりとした声色で冷静に答えたのは、あの女だった。女は俺と出会う前から坂本の下で働いていて、俺が襲われた時もこの女が坂本の使いとして来る事になっていたので、俺を直ぐに見つける事が出来た上に坂本まで呼んだんだろう。全く、余計な事を。

そっと閉じていた目を開けると、左目が包帯で覆われているので、色に富んでいる筈の視界の先がぼやけている上に狭く、天井が見知らぬ天井だと言う事くらいしか判別がつかないし、肋だって痛む。何本か折れていると医者は言っていたそうなので、当然と言えば当然か。痛みに逆らうより受け入れるしかないようだが、これだけで済んだのは不幸中の幸いだと思うべきなのか。

連れて行かれた人間達の生気の無い顔と、あの後のいきさつを簡単に思い浮かべていると、突然覗きこんできた坂本の心配そうな目とかち合った。相変わらず目障りな髪をしてやがる。


「…高杉ぃ…、」
「………」


目を瞑って寝たフリをすると、坂本は意識を別に移したようで、突然はっと息を呑んだ。


「おまん、それ…」
「ああ、かすり傷だから心配しないでいいよ、大した事はないって。それよりも、お金を全部取られちゃって、ごめんなさい」
「何を言うちょる。二人とも無事なら、わしゃあそれでいいき。金も物もどうとでもなるからの」


あの後、連中は、この女をも出し抜いたようだ。そして自分の金を取られた事に苛立ちを見せずにほっとした声を出した坂本は、この女の無事を心底喜んだようだった。




坂本が帰ってからというもの、痛みが本格的に体中を這うように蝕んだ。

左目が焼け付くように痛み、傷ついた視神経が直に脳味噌を引っ掻き回して、頭全体が割れそうに痛む。それに熱のせいで寒気が酷い。冬でもないのに体が冷たく、震えが治まらない。冷凍された鮪にでもなった気分だ。散々暴行を受けた為か肋も体の節々も痛み、心臓を動かしている事さえ難儀になりつつある。

だからろくに眠れやしない。ここ数時間の間で眠れたのは薬が効いている数十分だけ。寝ようとしても、寝ている間に死んでしまうんじゃないか、という痛みから逃げたいが為の根拠のない不安が、頭痛によって思考回路が遮断されている脳を堂々と支配するので、そもそも安眠など出来るわけがない。


その内、時間の感覚が無くなり、生きているんだが死んでいるんだか自分でも分からなくなり、苦し紛れにほんの僅かな呻き声を上げた。俺はどうやら生きているらしい。

安心した直後、何かが体を包んだ様な気がした。これは死ぬ前触れか。自由の利かない頭でそう思いきや、錯覚などではなく、女だった。女が俺を強く抱いて、熱を逃がさないようにしていた。

女はそのままの格好で寝、夜が明けると体中の包帯を変えた。気遣う言葉も笑顔も依然として無いが、包帯を変えたり消毒をする手付きだけは相変わらず慣れたもんだった。

そうして黙々と包帯を変えた後に薬を呑むよう言ってきたが、熱い息を押し出すだけで自分の舌なのに上手く回らない。すると今度は常温に近い無味無臭の液体とカプセルの様な小さくて硬い物が、まともに使えなくなっている唇を割って突如口の中に押し入ってきた。医療の心得も知識も無い女が俺の為に口移しで薬を飲まようだった。


そんな事が昼となく夜となく繰り返され、何度目かの夜。ロクに喋れない俺の為に女がまた口移しで飲ませてきたのをいい事に、口の中に水と薬が入って来たのを感じた途端、右手で女の首を抑え、開いていた唇の奥に潜む女の舌に自分の舌を絡ませた。空いた左手は着ている服の中に滑り込ませ、熱くて柔らかな体温を掌全体で弄った。むしろ貪るように求めたといっていい。

それは子孫を残す為の本能に基づいたものというより、寒さと眠気と痛みと苛立ちを無性にぶちまけたい衝動に襲われた、ただそれだけの行為だった。回復に向かってるんだろうが、和らいだ痛みや寒気と引き換えに生まれた有難くない感情を、この時既に持て余し始めていたんだろう。

だが女はいつかと同じように全く拒まなかった。嫌がる身振りも、俺から体を離そうとする気配すら見せない。わざと抑えているんだろうと分かる小さな声が熱い吐息に混じり、ずっと合わせっぱなしの俺の唇さえ震わせても、嬲るに等しい行為を続ける左指の先に体温以上の熱と湿っぽさを感じさせても、寒くもないのに震えていても、女は俺が自分勝手にぶつける欲求を甘んじて受け続けた。


しばらく経つと、女の体が僅かに硬直し、直ぐに弛緩したので、それを合図に体を反転させると、肋に激しい痛みが走った。思わず顔が歪む。今度は俺の体の動きが止まる。

すると、唇伝いに言葉を伝えようとしたのか、俺と唇を合わせたまま女は唇を動かした。


「…動けんの?」
「う、るせ…」
「やったら、眠れそう?」
「……知ってたのか」


女は寝ていた筈だが、まさか気が付いていたとは。同情や憐れみのつもりでまたこんな事を許しているのだろうか。常々思っていた疑問に加えて、こんな体になった自分を心の中でこの時とばかりに嘲った。

唇を離して厳しい目で腕の中にいる女を見ると、手には包帯が巻かれていた。坂本が心配して言っていたのはこれの事だったらしい。

だったら何故俺の看病などする。こうなったのは俺の責任で、責められる覚えはあっても看病される義理等ない。

吐息交じりで疑問をぶつけてきた女は息を荒くし、一度イったと思われる体は俺の左指を圧迫してまで俺をこのまま受け入れるつもりのようだが、目だけは平時と変わらず何の色もない。それをいつものように、血の気が無い、と物珍しさに感嘆するより先に、体とはまるで正反対のその冷たさが、狂気の沙汰に思えた。


「何故俺にここまでする」
「決まってんでしょ。あいつらの居場所を知ってるなら教えて欲しいだけ」
「…交換条件ってわけか」


成程、そういう事か。眠れない俺を疲れさせて眠らせてやるかわりに、居場所を吐け、と。

有難い申し出だが、教えてやる気はまるでない。俺は奴らの居場所など知らないからだ。信頼している人間へ連絡をとり、奴らがいそうな場所を調べさせたっていいが、携帯電話を壊された為に相手の番号を知らないので電話を掛けようがない。それにもう何日も経ってるんだ、奴らはもう高飛びを決め込んでる。

同情だろうが憐れみだろうが、この女に感情と呼べるようなものが欠片でもあると思っていた俺が馬鹿だった。俺の世話をしたのも、一緒に寝たのも、全ては取られた金の為か。

何も言わずに腕の中の女の体を解放して背中を向けて目を瞑った。俺が今腹に溜め込んでいるものをぶちまけるには、ダッチワイフなんぞじゃだめだ。器が小さすぎる。




その後、体のどの部分でも女の体温を感じる事はなく、いつの間にか昼過ぎになっていた。少しは眠ってたらしい。頭は重いが、痛みが随分引いていたので、一人で体を起してみると、狭い室内のどこを見渡しても女がいない。

あの女も他の奴と一緒か。俺を利用するだけ利用し、利用価値無しとみなすと出て行きやがった。

携帯を探す為にふらふらと立ちあがってまずは水を飲もうとすると、突然、玄関のドアが開き、女が姿を現した。しかも裏切った連中が持っていった筈の旅行バックを持っている。

何故だ。

俺の視線に気づいたのか、女は「ただいま」も言わずに面倒臭そうに溜め息を吐いた。


「回収しに行ったら、たまたまあったから。これ、高杉のでしょ?」
「その顔の傷はどうした」
「ああ、行った先に躾のなってない野良猫が何匹もいて、そいつらにひっかかれた」


この女、馬鹿にも程がある。中を確認すると中身もそっくりそのまま残っている。俺に頼らずに居場所をどこかから割り出し、これを持って逃げもせずに、律儀に返しに来やがった。しかも顔に新たな怪我を作り、面白くも何ともない嘘まで吐いて。

強気で嘯(うそぶ)くどうしようもないこの女に対して妙な加虐心が生まれ、昨晩の事や痛みが少し抜けた事もあり、澄ました様な今の表情を無茶苦茶にしてやりたい衝動が一瞬で体を突き抜けたが、他人を自分のテリトリーに引き摺りこむ事に長けているこの女と深く関われば並の女じゃ満足しなくなるだろうし、蟻地獄に自分から片足を突っ込む程の間抜けでもない。知らず知らずの間に女のテリトリーに入っていた裏切った奴らとは違う。

それに、手前ェ勝手に作って抱えた物から逃れようとした腑抜けた現在(いま)の俺には、そんな地獄に耐え、逆に女を食うだけの力がない。


「…まだまだだな」
「何が?」
「いや」


着ていたシャツの胸ポケットから煙草を取り出すと、なんとか原形を留めていた。だが吸う分には支障が無い。

火を付けてそいつを吸い込むと、女は口元の血を拭いながら、いつも通り顔を歪めた。



ブラッディマリア

title:揺らぎ
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