暴れるのも、女遊びも、もう飽きた。だがそれ以外に何かをしたとしても、得られるのは白けた虚無感ばかりで、この日常が変わる事はない。毎日毎日、死ぬのをひたすら待つように、ただやり過ごしている。だが久しぶりに来てみた学校は、もっと退屈だった。俺に喧嘩を吹っかけてくるような骨のある奴はいないし、寄ってくる女はクソばっかり。気を紛らわせる為の欠伸は重苦しいまま全然止まらないし、かといってイカれた連中の巣窟でもある自分のクラスは煩さすぎて、まともに寝られやしない。学校に来ても大半の時間を屋上で一人きりで過ごすのはそのせいだ。だがこうしていられんのも、こんな風に退屈なのも、親の脛をかじってられる今のうちだというのは、分かっている。俺は脛っかじりの身ではあっても、馬鹿ではないからだ。


「くそったれ」


平日の昼間っから汚染されたような空を寝転んで見上げながら、吐き捨てる様に零して目を閉じると、屋上のドアが開いた重苦しい音が聞こえてきた。授業中にサボる人間なんか滅多にいないし、俺が屋上にいつもいる事は、この学校の生徒なら知らないわけがない。例え、俺が屋上にいないかもしれない、と油断してサボりに来た人間がいたとしても、俺がいると知れば声もかけずに皆そそくさと出ていくので、今もそうなる事を期待した。だがそいつの気配は失せるどころか、どんどん近付いてくる。そしてそいつはとうとう俺の側に立ち、「空は何故青いか知ってるか」と独り言のように言葉を発した。それは間違いなく俺に向けられたものだろう。ここにはどう考えたって俺しかいない。

一体何者だ。そっと目を開けると、普段は理科を教えている女がそこにいた。理科の授業はほとんどサボっているし、授業に出ても寝ている為に、まともに口を利いた事さえこれが初めてで、名前さえ覚えちゃいないが、少し底の厚い眼鏡といい、徹夜明けの様なボサボサの髪といい、突拍子もなくいきなりどうでもいい質問をぶつけてきた事や、あまり化粧っ気のない顔に埋まった真っ黒な目で胡散臭い色をした頭上の空を見ている不可思議な行動といい、一部の生徒からは「変人」だと言われているその女の人となりを、今になって少しだけ認識した。それから一応は理科の教師らしく白衣を着ているが、風に揺らぐその白衣からは銀八と同じ匂いがし、そういえば、銀八と付き合っていると聞いた事があった事も思い出した。その女が俺に一体何の用だ。騒がれでもしたら面倒だ。


「…説教するならよそでやれ」
「説教?私が?何故そう思う」


またサボってるから、と自分では言いにくい。黙っていると、その女教師は聞いてもないのに、ヅラのような口調で、勝手にペラペラ喋り始めた。


「日の光は白く見えて、本当は色々な色が含まれている。虹の色を思い出してみろ、あれらだ。そいつらがまとめて空気の分子、大半は窒素か酸素だな、これに当ったとき、波長の短い青が一番散乱されやすい。つまりだ、他の色は散乱しないからそのようには見えなくて、青だけが散乱されるから青く見える、と言えるわけだ。それから窒素や酸素は何から出来ているか知ってるか?植物が行う光合成だ。その光合成には何が必要だ。我々が吐き出す二酸化炭素だ。だからどういう事か、分かるか?高杉」
「………」
「空の青は、我々生き物から生成された窒素と酸素が作りだした、生命の色なんだ」
「…だから何だ。何が言いてぇ」
「目的も無く、ただ流されるように受ける授業なんかより、こうして空を見てる方がよっぽど有意義でいいものだな。やるなあ、高杉。感心感心」
「………」


サボってるのを初めて誉められた。しかも教師に。この女が変わり者だと言われている理由の一端をまた何となく知った。だからといって得をしたとは思わねぇが。

視線を空に戻した。そこに広がっているのは、やっぱりペンキをぶちまけた様な、嘘くさい色の空だった。これのどこが生命の色なんだ。


「綺麗だと思わないか?高杉。生きているからこそ見られるもの、今この瞬間にしか見られないもの、というのは」
「…さあ」
「だから私は最初から怒る気なんざなかったよ。なのになぜ説教する気かと私に聞いた。説教されるような事をいつもしているからか?大体、お前に説教する人間などいるのか?」
「………」
「そもそも、私は人に説教など出来るような人間ではない」


確かに俺を説教する人間なんざいない。親とはここ数年ろくに口を聞いてさえいない。だがそうやって俺の事を言い当てて、更生目的の為に「偉そうな事だけを言う他の大人と自分は違う」と俺に思わせる気なのかと思いきや、そうではないらしい。女は謙遜してる様にも見え、どこか開き直ってる様にも、ありのままを言っているようにも見えた。つまりは自分の事を本気でそう思っているのだろう。

女はそのままどこか懐かしむように遠くを見た。そこに俺はいない。


「その時にしか見たり経験出来ない物というのはな、何事にも代えがたいものだぞ。だからもっと沢山遊べ。恋愛も沢山したらいい。色々な失敗をして、大人になれ。だが」


やっぱり説教してんじゃねえかと心の内で呟いていると、その女の顔がいきなり近づいてきて、影は俺の顔をあっという間に覆った。目の前にある眼鏡の奥の目は間違いなく「女」の、しかも今直ぐに何かをけし掛けてくるかのような挑戦的なもので、銀八と同じ白衣の匂いの他に、女物の香水の匂いが僅かにする。唇も、鼻も、何もかもが顔を動かせば触れ合いそうな距離にある。らしくもなく、驚いて、目を見開いた。


「私には惚れるなよ?」


自惚れるなと突き飛ばしてやってもおかしくはない言葉だし、普段なら力を使って体を入れ替えて、俺にそう仕向けた事を激しく後悔させるような事だってする。だが口元を僅かに上げた女の顔は、一瞬、俺に覆いかぶさった女教師とは、全くの別人に見えた。女はすぐに顔を取り戻し、素早く距離をとったので、俺は自分を取り戻すのに苦労はしなかったが。何だったんだ、今のは。


「何だ。まさかこれくらいでびびったのではあるまいな。所詮は高校生か」
「…誰がびびるか」
「そうだな、もう高校生だものな」


女は髪をなびかせながら、くつくつ笑った。そう、所詮は高校生だ。否定する気はない。だからガキの様にいちいち反論せず、ただきつく睨むと、女は肩を震わせながら一応は笑い声を低くした。俺に睨まれても屁とも思っちゃいないらしい。


「…高杉があまりにも綺麗な目をしてたもんでな、ついからかってしまった。すまない。詫びと言ってはなんだが、これからは理科室にも来ていいぞ」
「誰が行くか」


これ以上付き合えるか。拒絶の意味を込めてきっちり瞼を閉じると、目の前にはすぐに真っ暗な闇が広がったが、散乱している青を突き破って降り注ぐ光と、まだ笑っている女の影は、それでもまだうっすらと感じた。…くそったれ。


永遠と一日

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