歳を経た古い本の匂いに満ちたセピア色の館内に、本好くんは溶け込むように立っていた。抱えた数冊の本を本棚に戻しては名簿に丁寧に印をつけていく。僕はというと同じく本を数冊できるだけ多く抱えて淀みなく歩く本好くんについて回った。要するに荷物持ち。図書館に初めて来たのに何処に何の本があるかなんて分かるわけがないから。どうしてここにいるのかというと、僕は仕事を探していた。でも前に真哉さんが"仕事場に来てみたら?"と提案してくれたから僕は手伝いがてら職場見学することになった。
「それはあの茶色の本の右ね」
「う、うん!」
驚くほど正確に本の収納場所を教えてくれる本好くんに関心しながら、忙しく脚立を上って降りて運ぶ。これが結構な重労働で一息つく頃には僕の息は切れ切れになっていた。返却された本を整理し終えて司書室で休憩がてら紅茶を淹れてもらうと、お互いに他愛のないことを話した。
「本好君は壁の外の世界を知ってる?」
「そういう本を読んだことはあるけど、掠れてたり読めない字だったりで全然理解できなかったんだ」
「そうなんだ…」
「明日葉くんは興味あるの?外の世界」
「う、うん。知らないことがありすぎるから、知りたいんだ。全部とまでは言わない、けど僕は知らないままじゃ嫌だから」
本好くんは他の灰羽よりも本を読んでるしきっと博識なのだと認識していた。実際トーガのことを教えてくれたのも彼だったし本好くんなら色々胸につっかえているモノをザクっと砕いてくれる、なんて確証もないのに期待してた。
「参考になるかは分からないけど、僕の生前の話をしてあげるよ」
「といっても、何処で生まれてどういう人生かなんてあんまり覚えてない」
「ただ僕の人生の中で一番印象というか劇的な転換期のきっかけはね」
「美っちゃんなんだ」
*読み飛ばし可
僕は生前から美っちゃんと親友だった。あ…だった、っていうのは間違いだね。正確には死んだ今だって親友だよ。生きている頃から尊敬してもし足りないくらい素晴らしい人柄だったんだ。君も分かるでしょ?そういえば寺院に案内してもらったんだって?すごかったでしょ、あの道。美っちゃんがこの世界に灰羽として生まれて、その何日か後に僕が生まれた。死んだ時間がそう離れていなかったからね。で、実はあの寺院に行く時に僕もついてきてもらったんだ。険しい道のりにも関わらず美っちゃんは先を歩いてくれて、元々体の弱い僕を気遣いながらだよ?すごいと思わない?生前の記憶と寸分も変わらずに、それどころか更に自分を磨いてる美っちゃんを見て感動さえ覚えたよ。…でも美っちゃんがどうして死んだかを僕は知らないんだ。僕自身は体が弱くて風邪を拗らせてあっけなく死んだんだけど。あの健康すぎる美っちゃんがどうして死んでしまったのかを今更追及しても仕方のないことだけど、僕はちょっと考えてみたんだ。誰かを助けようとした、とか。事故に巻き込まれた、とか。どちらにせよ、ホントに惜しい人を失くすとはこの事だよ。そうそう、それでね------



「おかえり、どうだ…った…?あ、明日葉?!」
本好の仕事場からオールドホームに帰ってきた明日葉に一声かけた藤は、その様子にぎょっとした。あははと力なく喉からでる笑い声に憔悴しきった表情で、焦点の合わない瞳は曇ってしまい、挙動不審に揺らめく体はついにリビングのソファーに倒れてしまった。
「…やっぱりな。美っちゃん談義はどうだった?すげーだろ」
「すごいってレベルじゃないわよね、アレ」
すでに体験済みらしい安田と真哉は、ご愁傷様と言わんばかりに同情をもって労う。安田から言わせれば本好による"美っちゃん談義"は拷問に近いらしい。ひたすら美作がいかに素晴らしいかを説く、という無謀にも関わらず何時間でも話せる本好こそ人間凶器もとい最終兵器灰羽。唯一花巻はへーと感心しながら聞ける、ある意味すごい人物だ。
「藤〜、お前コレ知ってただろ?」
「まさか職場でするとは思ってなかったんだよ。悪い」
すでに疲労からか寝てしまった明日葉に藤が謝っていると、扉が開いた。
「ただいま、あれ?明日葉くん先に帰ってたはずだけど…」
「本好!お前職務怠慢もいいとこだろ!」
「は?安田に言われたくないんだけど。一年ニート。仕事探してフラフラ一年も籠ってたよね」
「う、うっせ!お前こそ仕事サボって美作の話しばっかしてたんだろ!」
「サボるだなんてするわけないだろ。しながら話したりはしたけど」
「それだーーー!!」
ぎゃいぎゃいと騒ぎ立て始める家の中で静かに眠る明日葉の意識は深く深く、繭の中で眠っていた時と同じくらい落ちていた。美作についての話しが続いた数時間後、本好の呟いた言葉が眠ってなお頭から離れない。
「壁の外は君の想像している通りだよ。行くことも帰ることもできない」
「…僕らはもう死んでる。死んだ人間が蘇るなんて、ありえない。」
「それが壁を越えられない理由だと僕は思ってる」
「壁は生と死の境目。一度越えれば戻ることはできないんだ」
そう、僕は死んでるんだ。もし僕を知っている人間がいるとしても会えないのは、僕がその世界から消えてしまったから。外の世界から切り離されたもう一つの世界、壁の中の街。この街に生者は居ない。だから不毛な争いもいがみ合いもないし…平和なんだ。









20100521

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