寺院から帰る途中、仕事に行く美作くんと別れてオールドホームに帰ると、花巻さんが洗濯物を干していた。選択し終わった全員分らしきシーツと服を緩く張られた縄にかけて洗濯バサミで止めて行くその姿に僕は何故か安堵感を感じた。彼女は僕の姿に気付くと、洗濯物を持ったまま風に吹かれながら微笑んだ。
「明日葉くん、おかえりなさい」
帰って来た、という感覚を身に感じて泣きそうになった。空っぽの僕にも帰る場所があるのだという事実が、それを証明してくれる存在が無性に嬉しくて仕方ない。ついさっきまで寂しいだなんて感じなかったのにその言葉を聞いた瞬間寂しさと嬉しさがごちゃまぜになった。
「あ、あの…手伝おうか…?」
「…いいの?それじゃあ、お願いします…」
洗濯かごに入った水気のある服を一枚一枚取って、かけていく。なんだか分からないけど、花巻さんといると変に意識してしまう。真哉さんにはそういうことは全くと言っていいほど無いんだけど…。どういうわけだろう。風も天気も心地よくてなんとなく話しをしようと話題を探すと先程の美作くんの言葉を思い出した。
「そ、そういえば、美作くんと…記憶の話をしたんだ。生前の記憶っていう…僕には全く無いけど」
「じゃあ、一緒かな…?私もあまり無いの。全く無いわけじゃないけど、生前はあまりいい生き方をしなかったみたい…。断片的にしか、分からない」
そう呟くように答えた花巻さんの表情に僕は背筋に冷たいものを感じた。シーツの間から垣間見えた表情には色がなく目も虚ろで、まるで花巻さんじゃないみたいだった。けれどシーツが風に煽られて一瞬彼女の顔を隠し、次に顔を見せるといつもの彼女だった。ほんわりとして小さく微笑む花巻さん。さっきのは何だったのだろう。確かに僕は見た。なのに嘘みたいに彼女は微笑む。
「洗濯物、早く終わったね…。ありがとう」
「…どう、いたしまして…。あ、あの」
「明日葉くん。今から、年少組のおやつを作るの…。よければ、手伝ってもらえない、かな?」
やんわりと尋ねようとした言葉を断たれてしまい、その上僕には逃げ道がない。どうして自分は彼女に脅えている?こんなにも小さく儚い少女が内包している得体のしれない何か。不安定でコップいっぱいに注がれた水が今にも溢れだしそいうな危うさを感じさせるそれに僕は言葉が出なかった。傷つけられることが怖いんじゃない。今にも彼女が、
「花巻」
凛とした声に反応するように体がびくりと震えた。反射的に後ろを振り返ると、そこには感情の読めない表情をした藤くんがいた。憤怒悲哀愉悦情愛、なんと表現していいか分からない。答えは全てかもしれないし、それ以外かもしれない。ただ僕には、笑っているように見えた。
「年少組が駄々捏ねてる。おやつはまだか、ってな」
「え…、大変…!ごご、ごめんなさい!私戻るね…っ」
慌てて空の洗濯かごを抱えて建物へ戻ってしまった花巻さんを目で追い、突然現れた藤くんに視線を戻す。尋ねたいことは山ほどあった。先程の花巻さんは絶対に正常ではなかった、けれど藤くんはそれを見て笑った。今は普段のけだるそうな雰囲気を纏っているけれど、あのとても満足そうな笑みばかり頭に駆け巡る。
「帰ってくるの、早かったな。どうだった?まあ話なんてできなかっただろうし…羽根を痛ませてねえならいいか」
隣を歩くいつも通りすぎる藤くんに違和感を感じつつも、追求できるような意気地を持ち合わせていない僕は何も言う事は出来なかった。あの掟の話をした時の藤くんと重なる。強く肯定していながら何かを拒絶するほどに否定している。灰羽であることが彼にとって何を意味するのか。これから過ごしていくうちに分かる時がくるのだろうか。できることなら、知らなければよかったと言う日が来なければいいのに。
20100514