灰羽は一度死んでこの世界に来る。記憶は、ある人と無い人がいて、僕はない。生前の僕はどんな人間だったんだろう。記憶が無いというのは僕の性格や趣味や嗜好まで全部リセットされてしまったということで、僕と言う存在はやっぱりまだ空っぽのままだ。それでもいつか取り戻せるかもしれない。それまで僕はこの世界で頑張ってみようと思うんだ。



甲高い子供の声が聞こえる。目を開けてみると、部屋の真ん中で小さな子供二人に花巻さんが囲まれていた。困った顔をしてしゃがむ花巻さんの腕にはパンの入ったバケットが抱えられ、赤い髪の少年はそれを欲しがっているようだ。でももう一人の眼鏡の男の子はそれを止めようとしてる。なんとなく微笑ましい光景だなと思っていると、藤くんが視界に入ってきた。
「ん?起きたか。てか起こしちまったか?龍黄、静かにしとけって言っただろ」
「ご、ごめんね…っ!起こしちゃって、」
「う、ううん。大丈夫だよ、花巻さん」
ベッドから起き上がると藤くんが今着似ている服はごわごわして着にくいだろう、と奥の部屋で用意した服に着替えてくるように促された。服には羽を通す穴もあって着方がイマイチ掴めなかったが、何回か挑戦してみると着ることができた。うん、良い着心地だ。鏡に映る自分の羽を不思議な気持ちで見つめていると、藤くんが部屋の入口の乃蓮からひょこりと顔を出した。そういえば部屋の外が騒がしい。
「アシタバ、着替え終わったか?皆待ってるぜ」
部屋を出てみると、昨日会った四人と先程の子供たちが賑やかに朝食を並べられたテーブルを囲んでいた。なんとなく藤に促されるままに椅子に座ると、隣に座っていた女の人がこちらを向いてニコリと笑った。あ、この人はあの光輪をもってきてくれた人だ。
「自己紹介、まだだったわよね。私真哉。シンヤって呼んで?よろしくね!」
「よ、よろしく」
「で、こっちは私の弟で…」
「刀哉です。姉ちゃんがお世話になります」
「ちょっと!」
「俺は龍黄!姐さん、バターはいいんスか?!」
「ああああ、そんなに付けなくていいから!あんたは自分のことちゃんとしなさい!」
とても子供に懐かれている様子で、面倒見もいい性格なんだろう。姉弟なのかな…?繭から生まれてくるのにそんな関係があるのに驚いたけれど、姉代わりだという意味かもしれない。まだ幼い二人の男の子にとって必要な家族の繋がりなんだろう。深くは聞かないことにした。するともう一方の隣りからも声をかけられた。
「俺は美作ってんだ。んで、こっちは本好。その向こうは安田な。分からねえことがあったら聞いてもいいぜ!」
「やめとけ、明日葉。美作は極端な恋愛論しか語らねえし」
「なんだと!お前無駄にイケメンだからってなあ!」
「そうだそうだ!イケメンこじらせてしまえ!」
「じゃあ安田は変態をこじらせとけ」
「やーいハゲ!」
「よし、龍黄。お前は後で覚えとけ」
美作くんと藤くんを筆頭に賑やかになる朝食は、本当に暖かかった。皆がつられて笑顔になって、笑い声が部屋を一杯にしていく。孤独なんて初めから存在していないんじゃないかと思わせるくらい心休まる。この場の誰もがこの繋がりと時間を何より大切に思ってるんだ。
「あ、そうだ!よかったら街へ行かない?皆で」
「そうだな。散歩がてらに行こうぜ」
「美っちゃんが行くなら行くよ」
「今日は暇だからな〜。お前歩けんの?」
頷くと安田くんはにっと笑って席を立った。それに連れられるように真哉さんと美作くんと本好くんも立ち上がって、テーブルの上をそのままに出口にぞろぞろと歩く。
「藤くんと花巻さんは残るの?」
「ああ。俺はパス。真哉、頼んだ」
「後片づけとこの子達のお世話があるから…、行ってらっしゃい」
真哉さんに手を引かれて外へ出ると、乾いた土でできた畦道の他は全て淡い色に統一された草野原だった。吸い込む空気は澄んだ水と干し草の匂いを含んでいて、触れる空気はさらりとした暖かな風が心地いい。遠くに見える細く高い風車はゆっくりと時を刻むように廻る。道沿いには木々が並まばらにび立つ向かいに電柱が均等に立ち電線を繋いでいる。知らない土地なのにどこか懐かしい気分になる、そんな光景だった。
「ほら、ここから建物見えるでしょ?私たちがいた場所」
オールドホームといって、大昔は寄宿学校だったらしいけど使われなくなってからはいつの間にか灰羽の住処になっちゃって、でももう半分くらい電気が通ってないしから暗くて怖いのよね。だからランプは必需品なの、と話しながら道を歩いていると前から牛が引いている藁を積んだリアカーがやってきて、五人で身を寄せて避けた。それがなんだかおかしくて、笑ってしまった。なんてのどかで平穏という言葉の似合う時間だろう。この世界こそを平和と呼ぶのだろうか。



石造りの家々が立ち並ぶ街にはその隙間や壁を緑が覆っていて、住まう人々も立ち話や洗濯物を干したりなんてしていて、何処からか笑い声も聞こえてくる。テラスでお茶をしているお婆さんが優しく笑いかけてくれて、なんだか気恥かしくなってしまった。
「そうだ、古着屋さんに行きましょ!」
「古着屋…?」
「そ。灰羽は古着しか来ちゃいけない決まりなんだ」
安田くんが自分の服を摘まんで、だから裁縫は上手くなるはずなんだけどな、と言った。その綺麗に繕われた肩口を見ていると横から美作くんが、でも花巻に皆任せちまう、とからかい口調で笑った。僕は皆の後に続いて薄暗い路地裏に入り、その更に奥に歩みを進めるとそこにはぽつりと佇む店があった。店先には何着か洋服が置いてある。
「いらっしゃい。あら、貴方達なの。見ない顔もいるのね」*機本 真綿
中にはカジュアルなロングスカートを着た長い髪の栗色の髪の女性が店のカウンターの向こうでミシンを扱っていた。僕の顔をまじまじと見つめてその女性はにこりと笑い、店内一杯にかけられた服を指さした。
「君、そこにあるのから一着選んでいいわよ。貴方達はこれね」
足元から段ボールを持ち上げてどかりとカウンターの上に乗せた。段ボールには少し古びてはいるけれど使えそうな洋服が敷き詰められていた。僕以外の四人はその箱の中から服を引っ張り出しながら品定めするように袖やら色やらを見ている。
「いい?貴方達も一着だけだからね」
「はーい。あ、この色いいかも〜」
真哉さんはデニム生地の上着を手にとって満足そうにしながら手帳のようなものをポケットから取り出して店に置いてあったペンを借りるとサラサラと何かを書いてそのページを契って店主に渡した。美作くんたちも同じようにしていて、僕もしようと思ったけれどよくよく考えてみれば僕にはその手帳はない。おたおたしていると店主の女性が壁にかけてあったメモをとって僕に手渡した。
「それに名前書いて、羽を一枚頂戴。それでいいわ」
言われたとおりに名前を書いていると羽がほんの少し引っ張られる感触がして後ろを振り返ると安田くんが意地悪そうな顔をして摘まんだ羽をひらひらとさせていた。きっと親切なのだろう、彼なりの。そう思うようにした。
「安田、その変態ぎりぎりの顔やめてよ」
「は?!俺はあっちの趣味ねえし。お前こそ重症だろ」
「やだなあ。美っちゃんと僕の関係を変なフィルターで見ないでくれる?」
また始まったと言わんばかりに真哉さんも美作くんもスルーして服を紙袋に入れてもらって店から出てしまった。僕も服を貰おうと店主の女性の方を向いて選んだシャツを手渡すと、ここで着て行ったら?と言われてさっきまで着ていた服を代わりに紙袋に入れて着替えた。タオル生地のシャツから幾分涼しい恰好になったけれど動きやすくもなった。手を振って見送ってくれた店主を後に、僕らは街の広場にある噴水周りで昼食をとった。
「あの、皆の手帳って…?」
「これは"灰羽連盟"の手帳。明日葉くんにもすぐに届くわ」
「灰羽連盟?」
「灰羽の生活を保障してくれるところ。灰羽は金銭を貰ってはいけない掟だから、この灰羽連盟から支給される手帳で買い物をするんだよ。仕事で稼いだお金もこの手帳に記載されて使えるようになる」
説明してくれる本好くんの手にはその灰羽手帳があって、随分と使い古した感じだった。掟、灰羽にだけある掟、絶対的な掟。僕がこの世界に来てからずっと気になっていた。掟とはなんなんだろう。どうしてこんなものがあるのだろう。けれど僕が考えたところで、何一つしらない僕が考えたところで分かるわけがない。こういう質問は藤くんが詳しそうだから、帰って聞いてみよう。
「そうだ、明日葉も街に慣れたら仕事見つけねーとな。ちなみに俺はあの時計塔で働いてる。本好は図書館、真哉はパン屋。安田は喫茶店」
「なんなら職場体験っていうのやってみたら?私達についておいでよ」
仕事というとピンとこないけれど、それが掟だったら僕は従わなきゃいけないんだろうな。うんと頷いてその違和感を消す。すると近くからガラガラという車輪が石道の上を廻る音が耳に入った。
「トーガだな。行ってみようぜ!」
噴水の縁から下りて猪一番に行ってしまう安田くんを追いかけていくと、そこは大きな壁と門のある場所だった。そびえ立つ大きな壁は誰も通さないと言わんばかりの威圧感があって、でも頂点ではカラスが羽を休めていた。羽のある鳩も烏もこの壁を越えられるんだ、同じ羽のある僕らはでも壁を越えてはいけない。共通点と伴う矛盾点が先程の掟に対する違和感を強めていく。
「すごい壁、だね…」
「うん。街は壁に囲まれてる。灰羽も街の人もここから出られないんだ。でも例外があるんだ。それがトーガだよ」
隣に立った本好くんが指さして教えてくれた。仮面をつけて頭がすっぽりとはいるフードを被り服装なんて見えないほどに長いローブを着た、歳のいった人を先頭に複数の荷台を押す同じ格好の人々。歳いった、と言ったのはその人がお年寄りのように腰を折って歩いていたからだ。本当は違うかもしれない。
「トーガは街の外からやってくる唯一の存在。でも街の人と接触してもいけない。だから絶対近寄ってこない。それにトーガはこの街にいる時は声を出しちゃいけない。だからああやって灰羽連盟の話師が指を形作って独特の会話をしているんだ」
本好くんの言う通り、トーガと話師は指を巧みに様々な形に変えている。あれで伝わるものなのか、僕には全然理解できないけれど。
「だから灰羽連盟はトーガと街の交易の仲介役なんだ。交易で得た利益はオールドホームの光熱費に当てられたり、仕事のできないまだ幼い子供たちの養育費になってる」
「そうだったのか・・・・」
「安田って馬鹿だよね。何年この街にいるの?」
「なんだと〜?!」
「わ!ば、馬鹿!大きな声出しちゃ駄目でしょ!」
「真哉さんも十分声大きいけど…、まずいよ。灰羽は壁の近くにいると怒られるんだよね」
ぽつりと呟いた本好くんの言葉を要に僕らは一気に走り出してそこから離れた。その中でトーガの視線が僕に向けられた気がした。でもそれを振り払うように思い切り足に力を入れて、先に走る四人を追いかけた。



オールドホームに帰ってくる頃には太陽も沈み辺りも暗くなっていた。入口にある名札掛けに僕の名前が新しく入っていて、その横の掲示板に『新生児明日葉。明朝灰羽連盟本部に来られたし』と書かれた張り紙があった。
「あれ…?僕の名前、どうして…」
「決まってんだろ〜。あの話師見ただろ?あれ絶対霊能力やらエスパーやら使える人間だぜ!」
「安田…変態馬鹿の上に妄想壁ありだなんて、救いようないよね」
「そうだな…。ほら、店で名前書いただろ?」
あの古着屋で書いた自分の名前、それが灰羽連盟に伝わったらしい。明日の朝に本部?
「光輪の鋳型返しに行かなきゃいけねーし、一緒に行こーぜ」
美作くんが本部まで案内してくれるようだけど、僕には何のことかよくわからなかった。灰羽連盟のことも、灰羽のことも、そしてトーガのこともまだ頭の中で整理がつかずに色んな情報がごちゃまぜになって宙を浮かんでる。でも受け入れられなかったわけじゃない。それが世界なのだと受け止めてしまった時点で、もう灰羽としての僕がここにいるんだ。



20100508

第4回BLove小説・漫画コンテスト応募作品募集中!
テーマ「推しとの恋」
- ナノ -