美術の時間がやってくると例に漏れずサボリのために保健室に入る。室内をぐるりと見渡すとといつも俺の使うベッドのカーテンが閉まっているのに気付いた。ベットは二つあるのだが一つは天日干ししている。ベットで寝れないのは残念だが病人がいるなら仕方ないと黒塗りのソファーに座る。だがこの保健室の利用者は緊急事態以外はごく少数に限られ、そして俺はその全員と一応顔見知りだ。先生に誰か寝てんの?と問うと歯切れの悪い返事が返ってきた。

「えっと、…うん。いや、ただ寝てるってわけじゃないんだけど」
「なんだよ、それ」

先程まで先生はその生徒の看病していたらしい。流し台に置かれた白い濡れタオルと溶けかけた氷、出しっ放しの救急箱からはみだした薬の空箱と包み紙がそれを教えてくれた。いつも思うが、本当に先生は過保護すぎるほどに生徒を気遣う。糖度10割は伊達じゃない。

「で、誰?珍しいよな。ココ使うなんて」
「ああ…花巻さんだよ」

なんとなく予想していたその名前を聞くと思わず肺に溜めこんでいた生ぬるい空気が唇から零れた。それが安堵からだとすれば少々不謹慎だが、いつも何かしらドジを踏んで危機に陥ることの多い彼女の事だ、学校の何処かで生き倒れたままよりマシだろう。ただベッドに横にならなければならない状態だというのは頂けない。

「どこか怪我でもしたのか?」

階段から落ちた。心配のあまり出てきたんだろう色々な雑音を取り除いて要約するとその一言だった。けれど降りながら四段ほどから足を滑らせて腕を打つだけに留まったらしく、頭などは打っていないのが不幸中の幸いだ。それにしても危なっかしいだろ。そもそも階段から落ちるなんて洒落にならねえし。不意に落ちるイメージが頭に浮かび上がってくる。上履きが階段を踏み外して、世界からぶれる姿、聞こえてくるのは唇に吸い込まれる悲鳴のような呼吸、重力に逆らう柔らかな髪、そして床に落ちて跳ね上がる小さな体と痛みに歪む弱弱しい表情。---はっとした。白昼夢を見ていたような突然現実に引き戻されて止めていたらしい息が肺から抜けていく。気づけばこめかみにじっとりと汗が浮かんでいた。

「藤くん、君も何処か悪いのかい?」
「え…ま、まあな。でなきゃココに来るかよ」

それは大変だ!と言わんばかりに冷蔵庫から薬湯を取り出すのを止めようとすると丁度いいタイミングで備え付けの教員用電話がかかってきた。それに出た先生は常日頃怖がられる顔を更に苦ませて、しかも言いかえしている。相手は神出鬼没のあのゴスロリに違いない。

「ちょっと代理をお願いしていいかな?呼び出されてね」
「ああ、いいぜ」
「すぐに帰ってくるから!」

颯爽と保健室から出て行く先生を傍目に手持無沙汰になった俺はとりあえずソファーに寝転がった。すると静寂の中にベッドの軋む音と先生?と告げる掠れた声が響いた。間の悪いことに先生は今しがた出たばかりで、しかも俺は一応その代理だ。職務全うなんて柄じゃないが先程の妙な感覚を思い出して足が自然とベッドの方へ進んだ。

閉じきった白いカーテンに指をかけたその時、何処からか吹き抜ける風が一気にカーテンを扇ぎ、俺の視界は白から淡いパステルへと変わった。陽光に照らされてぼやけた輪郭の空間にベッドの上に座ったまま窓を開けて身を乗り出し風に吹かれる花巻の後ろ姿。思わず息を飲むほどに美術作品の一枚のようなその光景を俺は綺麗だと素直に思った。鼻腔を掠める校庭の土の匂いとかすかな花の香りに意識までもがまどろむ。このまま時間が止まってしまうんじゃないか、そんな考えが頭の隅によぎった。



窓を開けてみたならば君がいた。



20100422



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