*パロディ
毎週水曜日と休日の午後三時に来る彼はいつもカウンター席の一番端に座り、決まってオリジナルブレンドコーヒーを一杯注文して読書がてら二時間ほどカフェの住人になる。丁度客の少ない時間帯を選んで足を運ぶ彼はカジュアルな服装なのに何処か気品のある立ち振る舞いが不意に目に止まるとても。女性のようにしなやかで、それでいて流麗な動き。
「いつもの」
「はい、オリジナルブレンドですね」
このカフェの常連になった彼のその一言で私には注文が通じる。共有する静かな空間のそんな何気なく思えるやりとりが私は好きだ。お客様が心休まる時間を求めているなら私はそれの一部としてありたい。このカフェの前の店主、つまり私の父はいつもそう言っていた。幼い頃からそんな父の横でカフェの手伝いをしていた私は引っ込み思案ながら常連のお客さんの好意にも助けられながらこのカフェを継ぐことになって、父が死んでからは一人で営んでいる。
注文されていたコーヒーの挽きたての豆をフィルターの中へ丁寧に置くと沸かして数分経った湯を静かに注ぐ。そんな一貫した作業中はあがり症の私だけど、どんなお客さんの前でも手が一切震えない。父から教え込まれた手順は頭をからっぽにしても手が勝手に動いてくれるから。勿論機械的というわけではなく、心をこめて淹れるように心掛けてはいるけれど、時々ぼーっとしてしまうのは治そうと常々思っていたりする。
「なぁ、何か暇つぶしない?」
本を読み終わってしまったらしく、しおりがほんの上に置かれていた。実はまともに話したのは今この瞬間が初めてで、私の心臓は爆発してしまいそうなほどに脈打っている。暇つぶし?えっとカフェって大体はそれをする人のためのようなものなのだけど、正面きって尋ねられるとどう答えればいいものか迷ってしまう。
「あう…その、…どどどうしましょう…?」
何とか絞り出したのがその言葉って…、と自己嫌悪に突入しようとしていたその時、彼は何かを考えるような仕草をするとふと目を合わせた。
「…俺は藤。で、麓介っつーめんどくさい名前だ」
「わ、私は花巻美玖です…」
おかしな自己紹介はそれで終わらなかった。歳だったりすると同い歳だから中学か高校は同じだったのかもしれないとか、自分でも驚くほどにどもりながらも会話が成立していたのが奇跡のように思えた。一言二言話している内にコーヒーが淹れ終わったので、カウンターに置くと、彼…ではなく藤さんはコーヒーを飲みながら話しの続きを始めてくれた。
「あの、藤さんは、…」
「さん呼びって似合わねえからさ、別のにしてくれねー?」
「え?えっと、それじゃあ…藤、くん?」
それでいいというかのように、「何?」とそっけない言葉をかすかに微笑みながら告げるアンバランス。どきりと胸が高鳴るのをどうにか抑えてさっき聞こうとしたことを何度も頭で復唱しながら尋ねた。
「藤くんは、どういう仕事を?」
「向こうの通りにでかいビルがあるだろ。貿易会社の。そこで勤務してる、ただの会社員」
ただの、その単語だけは微妙に強調されたような気がした。多分気のせいのはず、なんだけど…こういう時はあまり深く詮索しない方がいい。喫茶店というのは時折物騒なことも起こるものなのだから、君子危うきに近寄らずっていうことで別に藤くんが危ない人というわけではなくて、要するに話題を変えようかな。
「私は、一応ここの店主なんですけど、…えっと、楽しいです。色んなお客様が来てくれて、お話をする時もあれば…同じ空間にいるだけって時もあって…それが私は好き、なんです。とても」
セピア色が似合う店内のクラシックな食器棚とカウンター、そこに私と客がいて初めてそこは喫茶店という空間になる。写真のような形に残るメモリーは無くとも、私自身が思い出になれるなら、それは幸せなのだろう。マスター、花巻さん、美玖ちゃん、美玖、様々な人の中で私はセピア色のメモリーの中に居る。藤くんの心の片隅にも存在できるなら、それ以上幸せなことなんてないんじゃないだろうか。
「ここでコーヒーを飲むのは好きだ。でも、…話をするのも案外嫌いじゃないかもな」
思いがけない言葉に私のセピア色の世界が一瞬高感度液晶画面の景色に変わった。ああこの気持ちはなんなのだろう。表す単語も見つからない。ひとつ言えることと言えば、藤くんは答えてくれた。私の拙い呼びかけに真正面からはっきりと。
いつものコーヒー一つ、今日は砂糖多めでよろしく。
それは彼と私の日常が、ほんの少し変わった日。
20100329