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 舌打ち。振りかぶられた鉄パイプを避けるのすら煩わしく苛立つ。その拙い攻撃を敢えて迎えれば、打ち所が悪かったらしく、額を切ってしまった。顔面を流れる血液すら鬱陶しい。


「クソ、」


 弧を描く月を切るように、掴んだ街頭を薙いだ。



  
平 和 島 静 雄  




 怒りと暴力に身を任せれば、静寂が訪れるのは直ぐだった。毎日とまでは行かないが、己の名を、力を知っていて尚、こうして立ち向かってくる命知らずの無法者の襲来は頻繁に訪れる。
 降りかかってくる火の粉を払うために力を使い、それがまたこの忌々しい襲撃を引き起こす火種になる。

 忍耐が足りないのだ、わかっている。だからこそ、あの狐のような男に付け入れられてしまった。

 闇色の影。厭なものを思い出した、苛々と取り出した煙草に火を着け咥える。何気なく額に手をやると、ぬる、とした感覚。そうだ、そう言えば切ったのだった。一応新羅に看てもらうか、と歩き出す。


 新羅の家へと向かう道すがら、闇そのもののような男について回顧する。出会いは春、一目見た瞬間に胸がざわついた。あれは邪悪だ、と耳元でなにかが囁いた気がした。
 そのなにかの言を信じた訳でもないが、俺は奴と関わるまいと決意した。しかしその決意は簡単に覆される。俺自身の怒りと、暴力に拠って。

 折原臨也。

 漆黒の髪に紅玉の瞳、透き通るような白い肌。薄い唇から放たれる声は、優しく甘やかに心を震わせた。

 悪魔だ。これは邪悪の化身に違いないと、確信した。


 その直感は正しかった。折原臨也は、声高に博愛を謳いながらも、顔色ひとつ変えもせずに他人を利用し、切り捨てた。反吐が出る、許し難い、込み上げる嫌悪は計り知れぬほどだったが、その博愛の対象から己が外れていたのは、幸か、不幸か。
 互いに憎みあい嫌悪しあい、顔を見合わせれば殺し合う。常にその死を願い、悪し様に罵る。それだけの関係のはずだった。


(シズちゃん、君がすきだよ)


 雨の中ごちゃごちゃとぶつけられた言葉は、またいつもの下らない策略や気紛れの類だろうと、相手にもしなかった。

 その次に遭ったその時も、臨也はいつものようにこちらにナイフを向けて来た。それに俺もいつもの通りに返した。
 地面から引き抜いた標識を振りかぶり、コンビニのゴミ箱を投げつけて、自動販売機を持ち上げ今度こそ息の根を止めてやろうと。


 臨也は逃げなかった。ただ俺をあの夜と同じ熱を込めた瞳で見つめ囁いた。


(君がすきだよ、)


 まるで呪いだ。その言葉はいつも俺の動きを止めさせた。その隙に臨也は俺の前から逃げていく。寂しげな微笑だけを残して。


「クソが、」


 煙草を踏みにじり、悪態を吐く。意味のない馬鹿のような真似をしているとわかっていた。辿り着いた新羅のマンションを仰げば、切り裂いた月が悠々と泳いでいるのが見えた。




 エレベーターに乗り込み、新羅の部屋の階数ボタンを押す。居心地の悪い浮遊感を伴いながら、四角い箱がゆっくりと上昇し、やがて止まる。エレベーターから降りて、目の前のドアのインターホンを鳴らし、扉が開かれるのを待った。


『はい、岸谷ですが?』
「新羅、俺だ」
『え、静雄?珍しいじゃないか、なに、どうしたの?』
「アー、ちっとヘマした。わりいが看てもらえねぇか?」
『うん、ちょっと待ってね……はい、鍵開けたから勝手に入ってきて。あと今お客さん来てるから、くれぐれも静かにね、頼むよ』
「おう、入るぞ」


 許可を貰い、勝手知ったる友人宅へと踏み入れる。瞬間、違和感を感じたが、気のせいだろうと構わずリビングへと向かった。


「うわ、静雄なにそれ!」


 新羅が大袈裟に目を見張り、治療器具の入った鞄を抱えて寄って来る。その背後、テーブルとセットの椅子に腰掛け俯いている女が居ることに気付いた。見たことのない人間だが、珍しいことでもないかと目を離し、新羅に向き直る。


「こっち来て、ソファーに座って。傷口は?どこ殴られた?」
「額だ、アホみたいに血が出てウゼェ」
「ちょっとよく見せて……うん、さすが静雄君だね、もう殆ど出血は止まってるよ。これなら縫う必要もなさそうだ」
「そりゃなによりだ」


 額の血を拭い、消毒液の染み込んだ綿を当てられる。すっと冷える感覚は感じたが、別段痛みはなかった。


「とりあえず包帯巻いておくけど、明日になったら外していいよ。傷が痛むようならまた来てね」
「その必要はねえ、……なあ、」


 てきぱきと治療を施す新羅の手を遮る。一度は流した違和感が、どうにも気にかかって仕方ない。そう思えば新羅の様子もどこかおかしい。いつもは無駄によく回る口が、いやに静かだ。

 なにかを隠している。直感が耳奥で警鐘を打ち鳴らす。


「あの女はなんだ?どっか怪我してる感じじゃねーな、セルティの客か?」
「いや、彼女は……ちょっと厄介な患者がいてね、その付き添い…みたいなものかな。なに?気になるかい?確かに彼女は整った顔立ちだし、憂いを込めた横顔はどこか扇情的に見えるかも知れないね!まあセルティには適わないけど!」
「うるせえ、」


 べらべらと回る口は違和感を更に煽った。こいつは完全になにかを誤魔化そうとしているのだとわかった。


「その厄介な患者って奴に付いてなくていいのか」
「え、ああ……まあ容態も落ち着いてるしね、そう四六時中見つめていたい顔でもなし。そんな時間があったら私はセルティを見ていたいんだよ朝昼夕暮れ夜の宵までね!」
「そうかよ、」


 呆れた声音でそう言えば、ああそうとも!と新羅が頷いた。ついでにもうひとつ聞きたいんだがよ、と問えば、すっかり笑顔の新羅がなんだい?と答える。


「ノミ蟲の野郎がここに来なかったか?」
「!!」


 明らかに顔色が変わった。


「なーんかおかしいと思ったらよ、クソ忌々しいあいつの臭いがしやがってクセェったらねぇ。なにしに来た?もう帰ったか?にしては随分臭いが近いような気もするな…」
「待って静雄落ち着いて!ほら、彼女はその臨也の知り合いと言うか…だからちょっとそんな気がしてるだけじゃないかな!だいたいなんだい臨也の匂いって、君匂いで人間を識別してるの?」
「んな訳あるか、あいつがクセェんだよ」
「ごめん意味がわからない!」
「こっちが臭うんだよな……」


 新羅を押しのけ、臭いの元を辿る。一度は収めた苛立ちが、沸々とまた燃え上がるのを感じた。よし、取り敢えず一発殴る。心に決めて踏み出した。


「やめてください!」
「あ?」


 それまでテーブルから視線を送るだけだった女が、俺の前に立ち塞がった。目一杯に手を広げ、震えながらも気丈にこちらを睨み上げてくる。


「あ、あなたが平和島静雄さんですか…?」
「だったらなんだ?」
「臨也さんを傷つけないでください!」
「は…?」
「あの人は……臨也さんは、私の命の恩人なんです!臨也さんを殴るなら、代わりに私を殴ってください!」


 女の瞳の中で、畏怖と決意とが攻めぎ合い、強い意思となって俺へと向かってくる。この女は臨也ではない。殴れるはずもない。胸に滾る怒りが冷めていく。


 女が立ち塞がっていた扉が内から開き、セルティが現れた。予め文章を入力していたのか、PDAを突き出してくる。


『臨也が目を覚ました!』


 女が一目散に部屋に飛び込み、新羅がそれに続く。ああ、セルティが着いていたのか。当のセルティはいきなり現れた俺に驚いた様子で、せわしくPDAを操った。


『静雄、来てたのか!』
「セルティ…ノミ蟲が目を覚ましたって?」
『静雄、頼むから今だけは堪えてくれ!ようやく山を越えたんだ、これで死なれちゃ寝覚めが悪い』


 山を越えたってなんだ。死にかけていたとでも言うのか、あの臨也が?


 俺以外の誰かに、殺されるところだったってのか?


 セルティに頷きを返し、部屋へと足を踏み入れる。ベッドに横になったまま新羅を見返す臨也の顔は包帯で覆われていたが、僅かに覗く肌は青白く見るからに怪我人の様相だった。


「臨也、大丈夫かい?僕の言ってることわかる?これ何本?」
「にほん……」
「視界は正常だね、一応脳波も見ておくべきかな。君覚えてる?自動車に撥ねられて意識不明の重体だよ、たまたまセルティが通りかからなければ今頃ニュースで騒がれてついでに君の暗殺を企てる奴らに殺されてたかもね!ああセルティはなんて素晴らしいんだ!君も心から感謝したまえ!」
「……?セ、ルティ…?」
「なに?奇跡の生還を果たして真っ先に美しい彼女を見たい気持ちはわかるけど、セルティは僕のだからね!ここ重要」


「セルティ…って、誰ですか…?」


 騒がしく浮かれた新羅の言葉がぴたりとやむ。ベッドから出た臨也の手を握っていた女が、震える声で臨也の名を呼んだ。


「あなたは……いや、俺は誰……?」


 沈黙に満ちた部屋で、迷い子のような表情の臨也の瞳が、俺を捉える。


 その瞳には、なんの熱も込められていなかった。




→オリジナルキャラ登場。どんどん出張ります。




 

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