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 単調に繰り返す毎日の中で、胸踊る出来事はいくつもあった、けれど。思えばあの高校時代、あの頃以上に毎日が楽しくて愉しくて、たった一つのことに、たった一人の人間に、あんなにも執心することは後にも先にもないだろう。

 平和島静雄。

 彼はまさしく唯一無二だった。俺の想像も世間の常識も、軽く飛び越えてしまう、唯一無二。例外中の例外。
 あの頃はとにかく彼を如何に陥れ利用するか、そればかりを考えていた。我ながら大した一途っぷりだ。結局その算段は、すべて失敗に終わったのだが。

 彼の事を考えない日はなかった。最初は単純に、自らを盲信する輩を彼にけしかけ、それで駄目ならばと何日も何日も策を弄し実行し、ああまた駄目だったと臍を噛み舌打ちし、こんなにも思う通りに行かないのは初めてだと、憤慨しながらも高揚した。

 そう、高揚。

 飽きもせず毎日毎日彼にちょっかいを出し続けたその理由は、言葉では言い表しがたい。単純なようで複雑であって、だけれど決して嫌悪や倦怠だけではなかった。

 まるで恋に似ている。

 嘲笑混じりに吐き捨てた言葉に、目を見張った。傾けたカップからアッサムが流れ落ちて、絨毯に醜い染みを作ってゆく。ひどく喉が渇いて、胸元を掻き毟った。粉々に砕け散ったマイセンが素足を傷付ける。頬を伝う雨が、やけに熱く感じられた。




 あれは忘れもしない、細く冷たい雨の降る夜だった。俺は彼のアパートの一本前の路地で、ガードレールに腰掛け彼を待っていた。
 なんの掛け値もなかった。その日彼があの道を通る保証もなかった。けれどそこで彼を待ったのは、確信があったからだ。

 今日、この時でなければ、俺は。この自らの内に渦巻く感情のすべてを吐き出せる日など、この先二度とないだろう、と。

 恋とはどんなものかしら。よく知りもしないクラシックのタイトルが脳裏を過ぎる。恋とはどんなものかしら。こんなことを考える日が来るだなんて、思ってもみなかった。

 戯曲にも謡われるそれは、数多の小説に書き連ねられるそれは、毎日毎週ドラマティックに描かれるそれは、さぞかし素晴らしいものなのだろうと思っていた。
 俺に恋い焦がれる少女たちはみな幸福そうな笑顔で俺の為にすべてを捧げ、投げ出してくれた。だから。

 たった一人に想いを、命までも捧げさせる恋という感情は、きっととても柔らかくて優しくて、ただそれだけで世界が色付き、祝福の喇叭が鳴り響くような、甘く馨しいものなのだろうと。


 足音に顔を上げれば、ビニル傘を差した彼が無表情に立っていた。さあさあと降りしきる雨は冷たいのに、とても優しい。ねえ、君の目に俺はどう映ってる?聞きたくて、でも聞きたくない疑問は喉の奥へと飲み下した。

 恋とはどんなものかしら。君は知ってるかい?俺はね、ほんとうに心の底から信じていたんだよ。恋が如何に素晴らしいか、人々が口々に賛美する言葉を。でもそれが恋だと言うならば、今俺が抱いている感情は、この情動は、なんなのだろう。だって、あまりに違いすぎる。

 ねえ、俺は恋をしたよ。報われることのない、救いようもない恋をしたよ。いや違う、今だって、恋をしている。

 でも違うんだ。俺の恋は、話に聞いたように美しいものではなかった。ねえ、シズちゃん。俺は、君のしあわせを願えない。蠍になんかなれやしない。誰かのさいわいのために命を捨てることなんかできないんだよ。たとえそれが恋した相手であっても。いや、だからこそ。

 シズちゃん、俺は、君のしあわせを願えない。君なんて、……君なんて、誰からも愛されなければいい。誰にも理解されずにいればいい。永遠に孤独であればいい。遥か及ばずの涯てへと至る頃に、唯一君を憎み続けた俺のことを思い出して、たった一人で泣けばいいんだ。

 そう、これが俺の願いだ。君のしあわせなんか知ったことか。君が誰かのために命を捧げるくらいならば、誰かの想いを受け取るくらいならば、いっそ死んでくれたらと思うよ。そんなの……、考えたくもない。反吐が出る。


「シズちゃん、君がすきだよ」


 さあさあと降り続ける雨。傘を持たない俺の冷えた頬を伝う熱い液体がなにかなんて、君は知らなくていい。最期の瞬間まで知らなくていいんだ。




 最期の瞬間に、思い知ればいいんだ。



   
折 原 臨 也  





→続きます。次回からオリジナルキャラが出ます。苦手な人はすみません。




 

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