冷蔵庫の中の卵が腐っていく。
僕は料理ができない。そりゃあ目玉焼きくらいは作れるけど、料理器具の使い方があっているのかすら怪しい。
油が足りなくて焦げついたフライパンを見ながら「もう」と破顔した彼女は、その顔に表情さえも浮かべないまま、この空間から去って行った。
顔も声も肌の質感も、手に取るように思い出せる。
今でも空想の彼女はすぐに部屋の中を歩き回らせる事が出来る。その度虚しくなって掻き消してしまうのだけれど。
あの日も今日も、僕は何もできなかった。たった一つの卵の処理でさえも。
料理が出来ないから卵は腐らせてしまうしか無い。
あの日の夕食になる予定だった食材を捨てるなんて、できない。
彼女は「とっててね」と言ったのだ。
言ったからには彼女はこのキッチンで卵料理を作らなければいけない。
そういえばあの日彼女を引き留めた様な気がするのだけれど、その後どうしたのか思い出せない。
彼女は一体どこに行ったのだろう?
不意に喉の渇きを覚えて温まった毛布より出た。
そういえば何日か水しか飲んでいなかった事を思い出す。
僕の食生活は彼女が管理していたから崩壊するのは至極当たり前のことだった。何日か開けてない冷蔵庫が開かない様な幻想に囚われる。
しかしそれは所詮幻想で、扉は簡単に開く。
冷蔵庫の中の卵はとっくに腐っているはずだ。空気の異臭に反射で思わず鼻を押さえた。
ゴトン、と何か大きな物音がした。
そして、卵と「目」が合った。
今日も何もできずただ、冷蔵庫の中の卵が、腐ってゆく――――――・・・