その幻影は常に痛みと共に幸福感をもたらしてくれる。私にとっての麻薬の様なものだと言ってしまっても間違いないと思う。
彼女の泣き声は思い出せない。しゃくり上げていたのか、そもそも声を上げずに涙を零していたのかもしれない。回想はいつもそのシーンから始まる。
良かったね。私はそう言った。彼女は何も答えない。空気を凍らせていく彼女の発するエネルギーが、私を支配しようと触手を伸ばす。それに左右されぬよう視界を意識的にシャットダウンした。彼女の発した負の波動は行き場を失い、彼女自身に跳ね返る。ああっ。それを受けて痛むように体を丸めた彼女は両手で顔を覆った。変わりばんことでもいう様に私は目を開いた。
ああ、なんて美しいのだろう。流れた黒髪がシーツの波から見え隠れしている。その先を辿る視線をふと止めた。私は誰よりこの髪の長さを知っている。
別れるこの時も思う。チープな表現しか思いつかない自分の脳が憎たらしいが、彼女は美しい。
「ごめんなさい」
それは何への謝罪なのだろう。
世間の声を気にしない程強くいられなかった事?しぶしぶ受けた縁談で出逢った彼に惹かれてしまった事?
そんな事、どうだっていいのに。私は彼女の幸せだけを想う。その事実に至る道で私が排除されるというなら甘んじて受け入れよう。
「ごめんなさい」
私は何も言わなかった。
視線がぶつかる。深い所で分かり合えた事を察した。
彼女の目に、何もかもを拒絶しようとしていた頃のあの光はそこにはない。ただ安心した。
その光は私が連れて行く。
彼女の視線が私に泣きすがるのを背中で痛い程感じた。声に出して縋らなかったのは彼女の最後の我慢だったと思う。
色んな我慢をさせてきたね。
私は悲しい程に女でしか無かった。
人前で手を繋ぐのも、学校を卒業してからは恥ずかしかったり視線が気になったりした。彼女は何度親に「いい人」の存在を問われては私の名前を言うのを躊躇ったんだろう。最終的にそれは正しい判断だったと思う。私と違って、彼女は異性を愛すことが出来る。
私は彼女しか愛せない。
何もかも拒絶し、深い森の中、自分が作った茨を敷いて、迷い込む哀れなお姫様を君の代替品として愛していこう。
そうやって結ばれる運命だったのだ、私と彼女は。
(いいよ、大丈夫)
イミテーションの宝石だってそれなりに綺麗だから愛でる事が出来る。
本物でなくたって、本物だけを想い続けるよ。
(大丈夫だよ)
彼と私で一杯になってしまった彼女が。
この空を見ている彼女が、泣いていなければいい。
通る風は私の存在を知らぬ様に、楽しげに吹き抜けていく。
 
空が蒼いので空が遠いので君が遠いのでただ空に目の奥に見えない君の泪を空想して視界を染めた。
空蒼。

さよなら私の最愛の「妻」
君の中でだけでも「夫」であれたことを、誇りに思う。



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