「そんな事僕に伝えてどうするんだい」
事件を伝えて、返ってきた探偵の反応がこれだ。
彼はいつだって、世事に関心が薄い。
特に世の興味を惹く醜聞や噂にのぼる事件の類には目もくれない。

世にも珍しい、事件に関心の無い癖に謎を解いてしまう探偵。


実際、彼はくだらないという理由から素行調査等の小さな依頼は断ってしまう。
客を客とも思わない言動を繰り返す。
それ故にこの探偵事務所については悪い噂が溢れるほど流れている。
しかし、客というのは現金なもので、彼の容姿には高い評価を下して帰っていく。痩せた体、気だるげなのに無駄の無い動き、少年のような顔つきに長い睫が影を落とす。
詳しく書くと長くなるのだが、とにかく彼は十分すぎる美形だった。
職業作家である俺にとっては格好の素材なのだが、そんな男は人嫌いなので人との積極的な関わりを拒む。
一体どうやってこの探偵事務所を経営しているのか、長い付き合いの俺でも不思議でならない。

「俺の彼女が殺されたんだ」
「そうか、それは何て僕に関係の無い事なんだ
ご愁傷様」


あっさりと返事してマグカップを掴んだ彼は僅かに顔を顰めた。
予想できた表情の変化に、ほくそ笑む。
普段の珈琲より、それには砂糖を少なく入れていた。
彼という奴は自分の行動を誰にも把握されていないと思っているがそれは違う。少なくとも、親友の皮を被ったウォッチャーがここにいるのだ。


「小説の中の出来事ではなくて?君はいささか、夢の世界にのめり込み過ぎるきらいがあるからね」
「そうであるなら俺はとんだ夢想家だよ」


自分の小説を馬鹿にされたようで少しむっとした俺に、彼は慌てる事もなく冷静な見解を述べた。


「僕は君の小説を評価しているよ。ただそれは三文小説として大衆の暇を潰させるのには最適という意味でだ。事実、君の本を読んだ僕の時間は、君が生み出した文字列を追うのに浪費されたんだが、読み切って特に書き換えられた精神部はほとんど無い。けれど読んでた時間を無駄だとは思わなかった。むしろ次回作が楽しみになる。芸術的な価値も特に無いし、つまらないのにマイナスな感情の残らない面白い小説が書けるのは才能だと思うよ」


大事にしたらいい、と彼は目を伏せて爪を噛みながら言う。


何だかそれに見とれてしまった俺は、褒められながらけなされている事などどうでも良くなってしまった。
爪を噛むのは心の癖だ。しぐさの心理としては苛立ちや欲求不満の傾向があると聞いた。彼は信用した者に依存する傾向があるので恐らく後者だろう。そういえば最近原稿に追われてなかなか来れていなかった。

俺が彼に出来ること。
彼に謎を与え続けよう。
少し錆のついた窓枠をなぞりながら、再度自分の感情を律した。


あぁ、彼は俺の前でなんて無防備なんだろう。

「刺殺されたんだ。ものすごく血が飛び散ったはずだろうと言われた」
「こら、僕は何も聞いてないよ」


ほら、胡乱げな目をこちらに向けてくるけど、俺の話は興味深そうに聞く。
彼は俺が勝手に話すであろう事を経験から知っている。
俺はそんな彼の心理を見抜いているし、彼はそうやって俺がなんの意味のない優越感を感じている事を知りながら何も言わない。
俺は彼を賢過ぎて愚かだと思っているが、彼を追いかける事は止められない。
虫の光走性にも似たそれを自覚している。

「殺された場所はわからない。夜の公園に裸で投げ捨てられていたそうだから、死んだ後に動かされたみたいだ」
「彼女が死んだ割に冷静だな」
「死んですぐは動揺したよ。でも泣きわめいて何になる?」

まっすぐに見て話す俺と対照的に自分の爪などを呑気に撫でている。


「警察は物取りかレイプ目的だと思ってるんだ。犯人はまだ見つかっていない」
「ならそうなのだろうね。今の日本の警察は優秀だ」
「犯人を見つけて欲しい」


冗談を、と皮肉そうに彼は笑う。

しばしの沈黙が流れた。
彼はふっと嘆息しただけだった。
俺は悔しさを覚えて、歯噛みしながら告げる。


「今夜、日付を越せば彼女が死んで一ヶ月になる」
「今夜?」


意外なタイミングで乗り気になったらしい。
なにかしばらく考え事をしていたが、椅子を大きな音を立て立ち上がった彼は支度を始める。


少し驚いた俺に嫣然と笑んで見せる。


「ならひとつ確かめたい事が出来た」




深夜の公園に人はいない。
照明から鳴る一定的の電子音とそれに群がる虫を眺めている彼は、せっせと状況説明する俺の声を流して聞いているように見える。


「おい、聞く気があるのか」
「聞いているよ」


そう言いながらも視線を俺に向ける事は無い。視線は照明にぶつかり焼けて死んでゆく虫たちにある。


「彼らは何を以て満足しているのだろう」
「光を目指すことだろう?生態だろ」
「そう、それに疑問を持つことは無いんだろうか。なぜ目指しているのか。他にやりたいことは無いんだろうか。疑問を持てば異端として生きていけないんだろうか?ねえ、君は?」

公園に来て初めて俺を見た彼は、不思議そうな顔をしていた。


「僕の近くに居る事に、疑問を感じた事は?君はいつ満足するの?君は僕の何になりたいの?友人?恋人?それとも謎を運んでくるネギを背負った鴨?僕?あぁ、僕の満足は、もうあるんだ」



彼は俺の部屋に寄って帰りたいと言い出した。
部屋に迎え入れると彼は特に遠慮することもなく、部屋を見回した。
この部屋には何度か彼を招き入れている。
彼の記憶とは何もかもが違っている筈だ。


「模様替えしたんだね」
「いかんせん物が多くてね、この部屋は荷物部屋にしたんだ」
「ふうん」


彼は笑んだ。
ぞっとする様な笑顔を浮かべた。
その笑顔に俺が魅入られてる内に、彼は自然な動作でぴょん、と飛ぶと壁時計を掴み、そのままゴミ箱に突っ込んだ。


「僕はね、間違い探しがとても得意なんだ。あと、ものの仕組みを知るのが好きなんだ」


呆気にとられた。
なんて事をするんだ、と反射的な怒りに襲われている俺に、何事も無かったかのように背中を向けて彼はドアを開けて出ていく。
おい待てよ、と追おうとした体が戦慄に固まった。


(ものの仕組みを知るのが好きなんだ)

心の行動の意味が理解できてしまった。
あの日、飛び散った血液は過剰ともいえる程に丁寧に処理したし「荷物が多い」という理由で寝室を荷物部屋に変えた俺に目くじらを立てる人間は特にいなかった。
彼女は予想外にあの日訪れたのだし、彼女の足跡を知るものはいない。
そう、なにもかも完璧に移動したのだ。
壁時計以外は。


(間違い探しがとても得意なんだ)

首を動かす。油の足りないネジの様に、中々振り向こうとしない自分の首をなんとか向けた。
時刻はちょうど11時59分。
文字盤の中央右、小さな窓から覗く日付部分の切り替わる時間。
そして切り替われば、彼女を殺してから丁度一か月の日付だ。
背中に冷たい汗が流れる。
0時。
カチリ。
切り替わったそこには、小さな小さな、だがはっきりと、人間の血液がついていた。




激しい動揺を抑え込んだ俺の表情に変化は無かっただろう。
まだ外には彼がいる。
どこから見ているかわからない。



ぞくりと震え上がった後の充足感。ああさすが彼だ、こうでなくては、という歓喜。
恐らく彼がこれを言葉に出して俺を追及する事は無いだろう。解りやすくその意思を示してくれた。
唯一の証拠を、ゴミ箱へ突っ込んだのだ。

探偵は犯人が居なくてはただの木偶の棒なのだから・・・。
犯人とは計算式の作り手である。重ねた計算に様々な予測を上乗せして、複数の式を解き、いかに自分が疑われ無くなるかを考える。
けれど探偵はその計算も予測も容易に超えて答えを導き出してしまう。


外に出てみると彼は俺の愛車に悠然と腰かけていて、何も無かったかのように「送ってよ」と言った。
とてもだるそうな目付きだった。

確かめたいことは、何だったのだろう。
多分時計のことでは無いだろう。
ほかの場所で殺していても、きっと彼は謎を解いただろう。

彼は、俺が「彼に捧ぐために殺人を犯す」人間かどうか確かめたかったのだろう。
いかにも、俺はこれからも誰かを殺すつもりだ。
彼の存在意義を、保ち続ける為に。

彼は眠そうにあくびをした。
俺は苦笑いを堪えられない。
これだから彼というひとは、追いかけることを止められない。


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