「私達ね、ゴールデンウイーク、嫌いなの」
事のはじまりは少女の奇妙な告白を受けてからだった。
>>>あんはっぴーばーすでー
5月5日 昼 池袋中央公園
ゴールデンウイークも終盤にかかり、それぞれが思い思いの時間を過ごす中、一人の少女は物憂げな表情で言葉をこぼす。
「……なんで?」
その様を真横で見ていた童顔の少年は、暫し逡巡したあと躊躇いがちに問うてみる。
問われた少女は憂いを濃くして、少年の顔を覗き込んだ。
その拍子に肩から、三つ編みされた髪の束が肩から垂れた。それをオモチャと勘違いしたのか、少女の足下で喉を鳴らしていた二匹の猫が揺れた髪の毛へと懸命に腕を伸ばしている。
しかし、少女は気にしない。
瞬き一つすらせずに少年の双眼をジッと見つめたまま動かなかった。
眼鏡のレンズの先にある緋色の水晶を思わせるような独特な瞳。
――少年は、これとよく似た瞳の色を持つ青年を知っている。
そして、この意地の悪い猫のごとく、人を食ったような不適な笑みを浮かべる青年も。
「
楽しくないから、だよ」
揶揄するように発せられたその声に、少年は僅かに眉を潜めた。
態とらしい物憂げな顔も、人の内面を探るような目も、亀裂のような笑みも、癇に障る口調ですら
――似てる……。
――今日の舞流ちゃんは、
アイツとやけに似ている。
少年の――黒沼青葉の頭の中で描かれたのは、『折原臨也』という変わった名前をした青年の姿だった。
名前が変わっているのは、この男だけというわけではないのだが。
「……だから『なんで』って聞いてるだろ? 昨日何をしてたのかは知らないけど、ゴールデンウィーク初日から昨日を除く今日まで散々俺のことを振り回したのはどこの誰?」
「そりゃあモチロン! 私とクル姉!」
「……二人とも、ついさっきまで楽しそうにハシャいでたじゃないか。なんで突然ゴールデンウィークが嫌いだとか楽しくないとか言い出すんだよ……」
憂いを帯びた表情はどこへ消し飛んだのか、不適な笑顔を浮かべたと思えば突然無邪気に笑う。
定まらない天気のような、あるいは気紛れな猫のようなこの少女の名前は舞流といい、折原臨也の双子の妹の片方にあたる。
ちなみに、双子のもう片方の少女の名前は九瑠璃で、現在彼女はトイレへ行ったまま帰ってきていない。
――にしても九瑠璃ちゃん遅いなぁ。どうしたんだろう?
また男に絡まれているのだろうか。猫を愛でる舞流を眺めながら、青葉は無意識のうちに九瑠璃へと思いを馳せる。
明らかに遅い。やはり様子を探りに行くべきだろう。そう決心して微かに腰を浮かせたが、ふと脳裏にある可能性がよぎる。
――まてよ……九瑠璃ちゃんの帰りが遅いのは、もしかしたら俺と一緒にいたくないから……とかじゃないよな……?
――だとしたら、舞流ちゃんがゴールデンウィークが楽しくないって言ってる理由も、ゴールデンウィークが嫌いな理由も……
――……俺!? 俺と一緒にいて楽しくないからゴールデンウィークが嫌いに……!?
そこから巻き起こる負の思考。青葉はベンチに座り直し、頭を抱えた。
――それって……もしかして……
――俺、飽きられた……って……こと……!?
合点がいく答え。しかし、この予測が正解ならば、恐らく青葉は学校を七日間どころかそれ以上休むことになるだろう。
――やばい。立ち直れない。
一人絶望して顔色を悪くする青葉。被害妄想も甚だしいとはこのことを言うのだろう。
「黒沼くん?」
コテンと首を傾げて愛くるしく上目遣いで青葉を見つめる舞流。
邪気のない表情とは不釣り合いな、冷ややかな毒をその柔らかな唇から吐き出されそうで、背筋が凍る。
――女の子の一人や二人にくらい愛想尽かされたって、それがなんだよ!? べ、別に怖くなんかないさ。それにこの二人は
あの折原臨也の妹……。そうだ。九瑠璃ちゃんや舞流ちゃんから距離を置けば、ヤツへの嫌悪を絆されるような心配もない!
――そうだろ俺……そうだろ……!?
必死に自分自身に言い聞かせて、既に挫けそうな心を奮い立たせようと足掻く青葉。
動揺が瞳に露骨に現れていたのか、舞流は暫し、忙しなく揺れる青葉の眼球の表面を呆然と眺めたあと、クスリと小さく笑い声を漏らした。
「別に青葉くんのせいじゃないのに」
「へ……?」
見透かされたようなその言葉に、思わず間抜けな声がこぼれる。
どういうことなのか問い質す前に、舞流が『あ!』と短く叫んだ。
「クル姉ー! おっかえりー!」
「戻(ただいま)……」
青葉の背後から姿を見せたのは、携帯電話を両手で握り締めた九瑠璃だ。
しかしその表情は心なしか普段より暗い。何か翳るようなことがあったのか疑問に思い口を開くが、先ほど同様、それは舞流に遮られてしまう。
「どうだった?」
「否(ダメ)……無(なにもわからなかった)……」
「……そっか」
九瑠璃の囁きのような声を聞いて、舞流は大袈裟に落胆する。が、垂れた頭を持ち上げれば、その表情は不機嫌そのものだった。
「まったく……こういう時だけ完全に姿を眩まして、完璧に情報を遮断するんだから、うちのバカ兄貴は……!」
「……」
――バカ……兄貴……?
「バカ兄貴って……折原臨也のこと、だよな……? なんで今あいつのことが……」
「? なんでって」
「理(それは)……」
「私達がゴールデンウィークが嫌いなことも、楽しくないっていうのも、全部イザ兄のせいだからだよ」
「正(うん)……」
「……。は?」
♂♀
少女らは、純粋だった。
『わーい! みてみてクル姉!! この洋服可愛いでしょー!?』
『私と……お揃い……』
『わっ! ホントだぁ〜! ペアルックだね!!』
少女らは、幼かった。
『ありがとイザ兄!』
『兄さん……大好き……』
少女らは――
『……ねえ、イザ兄。私達今日でもう11歳だよ?』
『そろそろ……いいでしょ……?』
『ねえ、どうしてイザ兄はイザ兄の誕生日を、私達に教えてくれないの?』
『お願い……教えてよ……』
少女らは――愛されたかった。
愛してみたかった。
たった一人の少年に。たった一人の兄だけに。
愛されたかったのだ。愛してみたかったのだ。
そう……
ただそれだけだった、のに――――――
♂♀
「――つまり、折原臨也は実の妹である九瑠璃ちゃんと舞流ちゃんから誕生日プレゼントどころか祝いの言葉も貰ってくれないクソ兄貴だ……ってこと?」
九瑠璃と舞流から詳細を聞いた青葉は、舞流のこぼした言葉の意味を漸く理解した。
二人はコクコクと頷いて、九瑠璃の膝の上で寛ぐ猫はその様子を不思議そうに見上げている。
――なるほど。だから昨日は遊びに誘われなかったのか……。
「別にイザ兄が私達のことを愛してなくてもいい」
「両(私達も)……既(割り切ってるから)……」
「けど、あの時の優しさがただのまやかしや偽りであったとしても」
「我(私達は)……抱(愛を感じた)」
「だから私達の誕生日にイザ兄がそうしたように、私達もイザ兄に同じことしてあげたいの」
「包(愛してあげたいの)……」
「一方通行でも構わないから……」
珍しく真剣な顔をして強い眼差しを向けてくる二人に、彼女らが本気であることを察することは容易だった。
普段は飄々としていて、掴みどころのない性格をした二つの存在が、明確な意志を表明して重みのある言葉をお互い交互に紡いでゆく。
彼女らがここまで感情を表に出すなんて珍しい。本心を吐露してくれたのは、もしかしたら初めてかもしれない。
――打ち明けてくれたことを喜ぶべきか、もしくは俺を信頼して語ってくれた内容が、憎き仇敵の話であることに落胆するべきか……。
ここはとりあえず前者を選ぶことにしたが、残念な気持ちはやはり拭い去れない。
しかし、瓜二つの顔をした二人の少女は確実にこちらの言葉を待っている。
その、ひたむきな瞳に圧され、負けたと言わんばかりに青葉は苦笑を浮かべつつ、溜め息を吐き出した。
「そうだな。『おめでとう』の一言くらいなら受け取ってくれるんじゃないの?」
「……君(青葉くん)……解(私達の話ちゃんと聞いてた)……?」
「それができるんだったら私達とっくにしてるし、こんなに悩んだりしないよ!」
「まぁまぁ、そう急かさないでよ」
ボトムのポケットを無造作に弄り、押し込んでおいた携帯電話を取り出すと、青葉は得意げに口角を吊り上げた。
まるで、蛇が四肢に絡みつき、這い上がるかのように。
「俺がちょっと本気を出せば、臨也なんて簡単に炙り出せるんだよ」
「うわー黒沼くんイザ兄のこと呼び捨てにしたー! 生意気〜」
「追(あとなんか)……酔(自惚れてる)……」
頼ってくれたお返しとでもいうように、僅かに本性を露わにする青葉に、怖じ気づくことなく、それどころかかえって面白がるように明るく音をたてて笑う九瑠璃と舞流。
いつも通りの調子の二人に、心の奥底で安堵してしまえば、青葉の口元も自然と柔らかく緩んでしまう。
「まだあのロクデナシを祝う気があるなら、その機会を俺がつくるよ」
「青葉くんイザ兄のこと嫌いじゃなかったっけ?」
「嫌いだね。心底死ねばいいと思ってる」
「謎(じゃあなんで)……」
「単純に、アイツの悔しがるところを見たいだけだよ。あの透かした面が屈辱で歪む様を是非とも拝みたい」
しかしいくら彼女達の兄であるからとはいえ、自分が忌み嫌う折原臨也ごと愛せるような寛大な心は、生憎青葉は持ち合わせていない。
「あはは! 青葉くん、うっかり本性が出ちゃってるよー?」
「君(でもそっちの青葉くんも)……好(私は好きだよ)……」
「クル姉大胆告白!! いいなー青葉くん羨ましいーっ」
彼女達が一番愛されたいと願った初めての相手が、その折原臨也だったと知っても、
まだ心の片隅で彼女らが臨也に執着し、彼を愛してあげたいという想いが身を潜めているのだと悟っても、
青葉の臨也に対する憎悪と嫌悪は消滅しないだろう。
「青葉くん」
「礼(ありがとう)」
軽いリップ音を立てて、両頬にあたった柔らかな感触。
青葉の臨也への侮蔑は悪化する一方だ。
なぜなら、こんなにも自分が好いた二人の少女が、一心に愛しているのは、この男なのだから。
顔を茹で蛸のように真っ赤に染めた青葉は、火照った頬を抑えて力いっぱい俯く。
――やっぱりこの双子には適わないな……。
憎悪嫌悪と侮蔑と嫉妬。
ああ、やっぱりアイツは死ねばいい。稚拙な妬みは青葉を突き動かし、折原臨也撲滅計画は、密かに施行されるのだった。
臨也の誕生日記念の小説なのに
臨也自身が出ないっていうね。
臨也さん誕生日おめでとう!!