「ハァッハァッハッ……!」
 狐が一匹森の中
 草を掻き分け逃げ回る
「――っ……く、そ……!」
 そら後ろには猟人が
 銃を携え追ってくる
「うっ」
 狐落としに気をつけろ
 狐塚にも逃げられぬ
 脚を怪我した狐様
 そろそろ走るの限界か
 血痕辿るよ猟人が
 ほおらすぐそこ迫ってる
 襟首つままれ狐様
「――捕まえましたよ、折原さん。いや……生き長らえた、化け狐と呼んだほうが相応しいでしょうか」


 網を被され  さようなら   …… 。





♂♀


「――澱切陣内、ですか……」
「ええ。……ご存知でしょうか?」
 池袋某所の人気のない路地に、一台の黒塗りの車が停止している。
 車の外にはパンサー(用心棒)が二人立っており、車内には運転席に一人と、後部座席には二人座っていた。
 後部座席に座る白いスーツの男は四木と言い、目出井組系粟楠会の幹部の一人である。俗に言う、インテリヤクザというやつだ。
 そんな人物と対談しているのは、新宿の情報屋・折原臨也。
 臨也は四木の口から『澱切陣内』という名前が出てきたことに対し、自分が現在得ている彼の情報を惜しげもなく公開した。
「澱切陣内……芸能事務所『澱切シャイニング・コーポレーション』の現役社長。しかし業界内では印象も悪く、裏では何やら不穏な作業を行っいると、こちら側では専ら噂です。……なんでも、珍しいものを売買するブローカーだとか……」
「その澱切陣内が、あなたを欲しいとうちに申し出てきましてね」
「……は?」
 あまりにもバッサリとした話に、臨也の口からは思わず間抜けな声が洩れる。
 四木は上等な生地のソファーに背中を沈めると、冷静な口調で話を続けた。
「あなたの情報網は他より特殊だ。我々には必要不可欠な人材です。当然、お断りしましたとも」
「……粟楠会の幹部ともあろう方から、その御言葉。ありがとうございます」
「……」
 礼儀正しい、マニュアル通りの完璧な笑顔。
 四木はその奥に隠れている素顔に目を凝らしたが、仮面は分厚く、なかなか剥がれそうにない。
 ならばこちらが、言葉を使って素性を暴くまでだ。
「前々から疑問に思っていたのですが折原さん……あなたは新宿に事務所を構えて、30年目じゃありませんか?」
「おや、少し調べ上げたんですね」
 核心を衝いた言葉をぶつける。
 が、仮面にはヒビ一つ生じない。
「……うちと関わりを持つようになったのは8年前……あなたが高校一年生の時ですが……なぜあなたは現在24歳でありながら、30年間も情報屋を経営することができるんですかね……?」
 まだ。
 まだ微塵も欠けることがない。
「聞いた話ですと澱切陣内は、人間だけではなく妖精・妖怪といった『異形の存在』を売買しているそうです……。確かにあなたの情報力は偉大ですが……彼があなたに目をつけた理由というのは、本当にそれだけでしょうか……?」
 四木は一呼吸分の間を置くと、眼光炯々と臨也を射抜いた。
 共に、言葉を刺す。
「あなた、何者ですか?」
 気温がぐんぐんと下がるような、凍てつく空気を放つ四木。
 その冷たい威圧感に、背筋が寒くなる。
 運転席にいる男が、我慢できずに息を飲み込んだ。
 呼吸すらも押し潰されそうな、重い重い、沈黙。
 しかし臨也の笑顔の仮面には、微疵が刻まれることはない。
 臨也は仮面を貼り付けたまま、普段と何一つ変わらぬ声で答えた。
「ただの情報屋ですが?」
 挑発とも取れるような物言いに、運転席の男が戦慄する。
 ミラー越しに伺った四木の表情は――

 薄く笑っていた。

 緊張感が最高潮に張り詰める車内で、
 臨也は静かに首を振ると、苦笑気味に四木を見つめ直した。
「――なんて言ったところで、逃れられるとは思っていませんよ。そこまで粟楠会を見くびってはいませんから」
 観念したと言わんばかりに息を吐いて、ソファーに背中を預ける臨也。
 その態度は多少この場に不適切なものではあったが、四木がそれを咎める様子はない。
 四木は『ほう?』と声を洩らすと、興味深げに臨也を見た。
「……言うまでもないと思いますが、騒がないでいただけますか?」
「愚問ですよ」
「ふふ……流石は四木さんですね」
 ――なんだ……? この情報屋……旦那に何を見せる気だ…?
 気になった運転席の男が、さり気なくルームミラーの角度を変えて臨也を映す。
 しかし、そこに映ったのは――
 ――えっ……?
 運転席の男は自分の目を疑い、失礼なのを承知で大胆に振り向いて臨也の姿を見た。
 そこには人としての形がある――の――に――――?
「……?」
 その不可解な行動に眉を寄せる四木。
 運転席の男は真っ青な顔をして前に向き直ると、再度ルームミラーに目をやった。
 恐る恐る鏡を覗けば、そこに映し出されるのは――
「ひ、あぁああああ!!!!」
 声の限りに悲鳴を上げると、運転席の男は発狂したかのように車から転げ出て、どよめくパンサーの間を割って一目散に逃げていった。
 一方車内では
「――なるほど」
 身を乗り出してルームミラーをいじり、臨也の姿を映し出した四木は、納得したように声を上げた。
「これがあなたの、真の姿というわけですね……」
 黒。
 ルームミラーに映し出された折原臨也の姿は、正に黒い影そのものだった。
 しかし漆黒の影には、蘇芳色の眼球が爛々と主張している。
 身の毛もよだつその形は、バケモノと呼ぶに相応しかった。
「尾が九つ……九尾の狐ですか」
「流石四木さん。お詳しいですね」
 不審に思ったパンサーの一人が、開け放たれたままの運転席から中を窺う。
 四木は無言のまま軽い動作だけでパンサーに何かを諭すと、意思を汲み取ったパンサーは、丁寧にドアを閉め、速やかに持ち場に戻っていった。
「騒がないと約束しておきながら申し訳ない。あれは入ったばかりの若僧で……」
「お気になさらず。本来、あの反応が普通ですから」
 丁寧に謝罪の言葉を述べる四木に、臨也は受け流すように応じると、窓の外の景色に目を向けた。
 奥に見える雑踏には、臨也が愛してやまない人間達が大勢いる。それが彼には、たまらなく幸せだった。
「その代償と言っちゃなんですが……私の舎弟でよろしければ二、三人あなたの護衛につけましょう」
「珍しいですね、四木さん自らが自分の意志で動く――だなんて……」
「……澱切陣内がそうそう簡単に引き下がるとは思えないんですよ。あなたの情報は我々の武器となる。そう易々といなくなられては困ります」
「空いた穴は九十九屋にでも埋めさせればいいのに。……まあ、俺自身も商品にされるのはご免ですけどね」
 臨也は唇を尖らせつつ肩を竦めると、四木に薄い苦笑いを向ける。
 ミラーに映し出された黒い獣とは到底思えないような、それはとても人間らしい微笑だった。
「仕事に支障が出るので、パンサーは俺のマンション付近に設置していただけると幸いです」
「分かりました。……では、仕事の話に移りたいと思います。以前あなたが尾を掴んだサキシトキシンという組織なんですが――――」


♂♀


 賑わう街の喧騒を背中で受けながら、臨也は携帯にメモをした四木からの依頼を反芻する。

 ――サキシトキシンとは、数ヶ月前臨也の情報により粟楠会に潰された非公式薬学組織のことだ。
 彼らは医薬品の研究活動を主体とし、研究に基づく事柄から独自で薬品開発を行っている。
 矢霧製薬やネブラ等の大企業ほど力は持っていないため、表では殆どその名は出回っていない。
 しかし『研究サークル』にしては土台がしっかりしているため、自白剤等を必要とする裏組織らからは一目置かれており、彼らの開発した薬品は各団体の手に広く渡っていた。
 勿論、粟楠会にも。

「サキシトキシンの幹部の内一人が依然として行方不明、か……」
 臨也は嗅ぎ慣れた火種がくすぶる臭いに心踊らせ、浮き足立った軽快なステップを踏みつける。
 繋がっていた粟楠会がサキシトキシンを潰した理由。
 幹部一名が行方知れずである真相は何か。
 脳に蓄積された知識を披露する。
 指揮を振れば忠実に応えてくれる音楽のように、ありとあらゆる情報が快く引き出されてゆく。
 思い返せば返すほどに、笑いが止まらなかった。
「ほんとに……どこへ行っちゃったんだろうねぇ……?」
 意味深な言葉を二酸化炭素に載せて、臨也は不適に口角を吊り上げたまま夜空を仰ぐ。
 あのチカチカ輝く忙しい光は――そうだきっとヘリコプターだ。

 ――「その澱切陣内が、あなたを欲しいとうちに申し出てきましてね」

 ――……澱切陣内……か……。
 胸の中でその名前を唱えると、ザワリと胸騒ぎが膨らみあがる。
 澱切陣内。異形の存在を探し求める、怪しいブローカー。
 商品を、売買する、気味の悪い男。
 ――情報屋の折原臨也は利用されるためにあるただの道具だ……。だが、あくまで道具であって商品じゃない。商品なんかにされたら……俺は情報屋の折原臨也じゃなくなるよ……。
 恐らく、澱切陣内は自分の真の姿を知っているのだろう。
 どのような経緯でその情報を入手したかは謎に包まれているが、彼は何らかの形で臨也を知ってしまった。存在に気づいてしまった。そうに違いないと臨也は確信している。
 数秒の逡巡。
 臨也はコートのポケットから別の携帯を取り出すと、登録してある電話帳を開く。
 そして『た』行に辿り着くと、ある人物の電話番号を引き出した。
 再び逡巡。このボタンを押せば、繋がる先は『あいつ』だ。
 気に食わない。だが、一番頼りになるであろう存在。
 臨也は画面に並ぶ6文字を穴が空くほど見つめ続ける。
 ――……まさかあいつに依頼をする日が訪れるなんて……情報屋としての俺のプライドが傷つくなぁ……。
 しかし、事態は火急である。
 臨也は意を決してボタンに指を滑らせると、遂に決定ボタンを押し込んだ。
 発信中。『あいつ』を呼び出すコールの音。
 ゆっくりとした動作で臨也が携帯を耳にあてると、まるでそれを見計らったようにブツリとコールが途切れた。

『――やあ、久しぶりだね、折原』






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