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体育館裏

 人目のつかない体育館裏。
 そこには、複数の男子生徒が佇んでいた。
「どーも折原臨也君。やー、すんなり来てくれるとは思ってなかったんだけどねー。……多少の抵抗はあると思ったんだけど……なんで抵抗しなかったんだ? これから何されるか――なんて、お前、分かってたんだろ?」
 そこで臨也を待ち受けていたのは、さらに数名の上の学年の男子生徒だった。
 その、中心にいる一番格が上と思われる、少し長めのスポーツ刈りで白に近い金髪が特徴の少年――董(なお)は、一つの抵抗もなくここに訪れた臨也を笑顔で出迎え――矢継ぎ早な質問を投げかけてきた。
 その、臨也という人間がどのような存在かを理解した上での董の発言に、臨也は「おや」と驚きを見せた。
「なんだ。あなたは彼らと違って、俺のことちょっとは知ってるみたいですね」
「ああ? 俺らと違うってどーゆー事よ?」
「よせよ。……そいつは普段優等生ぶってるけど、中身は相当ヤバいんだ。舐めてかからないほうがいい」
「だってよー、こいつどう見たってモヤシじゃん? そんなモヤシの、どこに脅威が――」
「そのモヤシが、平和島静雄と渡り合えるだけの力を持ってるってこと……忘れてねぇ?」
「っ……!?」
 董の言葉に身体を強ばらせ、臨也の肩に軽々しく添えた手を瞬間的に引っ込める少年。
 臨也は『あはは』と音が出るような模範的笑顔で董を見つめていた。
「シズちゃんと渡り合えるなんてそんな。……あれと一緒に言われるなんて、不愉快ですよ」
 その瞬間、笑顔は崩さずに、瞳だけが混沌と淀んだのを董は見逃さなかった。
 ――ほらな。折原はこんなにも平和島のことが嫌いなんだ。何を恐れてたってんだ。
 董は『臨也は静雄を本気で嫌っている』という確証を得られたことに対して満足そうに頷く。
 しかし、安堵に次いで出るものは――
 別種の、不安 だった。
 ――じゃあ、平和島は?
 ――平和島は本気で折原のことを……嫌っているのか……?
 ――……。
 ――いや、この際平和島の気持ちなんて関係ねぇだろ。
 董が臨也の後ろ側にいる数名の男達に目で何かを促すと、意思を汲み取った男達が真剣な表情となって頷き臨也に忍び寄る。
 背後から、一歩一歩。
 それに倣うように、他の男達もじわじわと臨也を取り囲んでいった。
 ――これで簡単には逃げられない。
 臨也の実力は聞いてはいるが、ここには二十名弱の董の仲間がおり、臨也にとっての敵がいる。
 静雄のようなバケモノではないのだから、これだけいれば充分だろう。
 そして、あとは――
 ただ、嬲るのみ。
 男達の汚い笑い声に包まれる臨也。
 幾多の欲望を瞳に宿し、不憫だなとでも告げるかのように薄く嗤う董。
 臨也は――


 嬉しそうに、微笑んでいた。


 ここにいる全員を愛でるように、
         哀れむように、
         蔑むように……
 寛大な笑顔で、全てを受け入れていた。
 しかし、臨也は――
 彼らの形としての欲望を、受け止めるほど優しくは、ない。
 ――嗚呼、俺今、凄く愛されてる。
 ――幸せ、だなぁ。
 ――でも……
「受け損ねちゃうな」

 折原臨也は、普通の人間だ。
 そして
 折原臨也は平和島静雄以外の全ての人間を、皆平等に愛している。
 しかし彼の愛は、誰か一人だけに注がれるということは決してない。
 彼の愛はいつだって一方的で、恋慕とは程遠い『愛』であった。
 故に彼の愛は時に純粋で、時に残酷で、主に歪なカタチをしている。
 そんな彼に、好意を寄せる者は全て総て――
 大事に愛され、容易に踏みにじられてきた。
 折原臨也は普通の人間だ。普通だ。だがしかし――
 それは外見の『普通』であり……あくまで臨也の自称である。
 折原臨也は異常だ。人間として、精神的に――
 なにかが欠落し……あるいは何かが膨大し……
 人として、どこかかけ離れている。
 折原臨也は普通だ。そして、普通じゃない。
 折原臨也とは――常軌を逸する存在だった……。


♂♀


職員室

「――ともかく、今後はもっと細心の注意を払うように。さもないと本当に停学になるぞ」
「……っす。気をつけます」
「『す』じゃなかろう。『はい』と言えんのか、『はい』と」
「……はい」
 数分にわたる北駒の説教を浴びてきた静雄は、感情を押し殺したような低い声でひたすらに肯定の応えを繰り返し続けた。
 お陰で本来ならば15分はかかるであろう説教を大幅に短縮することに成功。
 あとは『行ってよし』の言葉を待つだけだった。
「――北駒先生、うちのバスケ部員、知りません?」
「? バスケ部……?」
「そうなんです。何人かはいるんですけど……なんか気づいたら殆ど消えてて……。おかしな話でしょ? しかも他の部からも行方知れずが多数出てるみたいなんですよー。みんな揃って部活放棄の集団下校ですかねぇ?」
「むう……。何か悪さをしてなければいいが……。……ああ、平和島。お前はもう行って良いぞ。気をつけて帰れな」
「……はい」
 ――行方知れずが多数?
 静雄は会話に割って入ってきた体育教師の言葉に眉を潜める。
 ――……なんで突然、みんな揃って……。
 そのことが妙に頭に引っ掛かり、静雄は渦巻く薄暗い疑問に首を傾げながら職員室を出た。
 静かな廊下を暫く歩けば、数分とかからずに昇降口へ辿り着く。
 そのまま自分の下駄箱から靴を取り出し履き替えると、静雄は昇降口に戻り校門へと足を進めた。
 そして、昇降口から消えようとした刹那――
 背中の方で、微かに軽々しい駆け音が聞こえたような気がした。
「――?」
 その気配に振り返ると、丁度黒い服の端が角へ吸い込まれていくのが見えた。
「……――臨也?」
 たったそれだけのものしか与えられなかったのに、静雄の脳裏にはパッと臨也の姿が浮かんだ。
 そして、まるでその姿に色付けるかのように
「っのヤロ……逃がすな!!」
「待ちやがれ折原!」
 ドタバタと数名の男達が足をもつれさせながら昇降口を通り抜けた。
 この学校で『折原』という名前を持つ者は、静雄の知る限り一人しかいない。

 昨日偶々聞いた、臨也にまつわる男子生徒の会話。
 以前から耳に挟むことのあった、彼の過去の噂話。
 今朝起きた事件。
 ちらほら見えた、怪しい陰。
 そして何者かの手によって、あたかも静雄がやったように仕組まれた、割られた窓硝子。

「……」
 静雄の頭の中であらゆる出来事がリンクしていく。
 結ばれたそれらは、ある結論を示していた。
『臨也が危ない』。ということを……。
 静雄は数秒の間振り向いたままの体制で何かを考える。
 そして、唐突に向き直り、校門へと足を進めた。
 ――別に、ノミ蟲野郎がどうなろうと俺の知ったことじゃねえ。あいつがどうなろうと、俺には関係ねえじゃねぇか。
 迷わず歩く。歩き振り払う。
 まるで自分自身に言い聞かせるような言葉であるのに、静雄はそれに気づかないフリをした。
 すっかり閑散としてしまった校門をくぐる。
 静雄はそのまま右へ曲がり、来神高校から姿を消してしまった。


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 ――予想外、だった……。
 廊下を縦横無尽に駆け回る臨也を追い掛けながら、董は自分自身の考えの甘さに歯軋りをする。
 ――油断していた。折原が平和島と渡り合えるのは、他より多少優れた運動能力と桁違いの頭脳力があるからだと思っていたが……甘かった……。
 陸上部かと疑いたくなるくらいの軽やかな足取りで、董達をどんどん引き離していく臨也。
 ――奴は運動能力も尋常じゃない。平和島ほどではないが、折原も俺らなんかより遥かに上だ……!
 黒い学ランの端がフワリと翻り、角へ消えていく。
 ――くっそ……ここには運動部所属の連中が半数を占めて、尚且つ現役部員もいるってのに――……!!
 それを追って角を曲がる前方の男子生徒。
 先頭の一人が角を曲がっ、た――
「うおあっ!?」
「ふげ!!」
「おうっ!?」
 それを見越していたかのように、
 死角に隠れた臨也が陰から足を伸ばし、先頭の男子生徒はそれに躓いた。
 階段ギリギリのところでなんとか踏み止まった彼だが、後ろの二人が勢い余ってそのまま先頭の男子生徒に突進し、三人仲良く揃って階段に転げ落ちた。
「あっはは! 凄いなぁ、ここまで俺の期待を裏切らないなんて!」
 それを見下ろすと腹を抱えて楽しそうに無邪気に笑う臨也に、後に続いて現れた董を始めとした数名の男子生徒は生唾を飲み込む。
 臨也は息一つ乱れていない。
 自分達よりも速く走り、全速力で階段を駆け上がったというのにだ。
 ――やっぱりこいつは凄い……。
 恐れと希望によく似た羨望を芽吹かせて、董は静かに臨也を眺める。
 長く細い足。やたら浮いて見える日焼けのしてない肌は、きっと女のように肌触りが良く、きめ細かいものなのだろう。
 その感触を想像し、董は身震いをした。
 ――最高だ……咽が渇くほど興奮する……。
 ――早く……早く……
 ――メチャクチャにしてやりてぇなあ……?
「っ、のヤロ……!」
 馬鹿にしたような臨也の態度に頭にきた一人が無闇に手を伸ばす。
 臨也は流れるような動きで腕を躱すと、そのまま男の手首を捻り上げた。
「ぐぎっ!!」
 その、細い腕から出たとは思えないような力に、男が短い悲鳴を上げる。
 次の瞬間には臨也の回し蹴りが頭にヒットしていた。
「ごはっ……」
「に……逃がすな!」
「追うぞ!」
 そのまま意識を混濁させる男を別の一人が介護し、残りは再び駆け出した臨也の後を追いかける。
「く……くそ、折原があんなに強ぇえなんて聞いてねぇぞ……!? 燕御(ナルミ)先輩、数さえいれば問題ねぇって言ってたじゃんか……!」
 その多数の背中を呆然と見送りながら、悔しげに呟く残された少年。
 未だ意識が朦朧としている友人の腕を自身の首に担いで立ち上がると、少年は友人を抱えながら仲間の後を追いかける。
 一歩、二歩、三歩、――四歩目のところで、何者かにチョンチョンと空いているほうの肩を叩かれた。
「ああ? ――おぼっ!?」
 半ば喧嘩腰で振り向いた途端、硬い拳が少年の頬にめり込む。
 少年は拳が流れる方向へと、支えていた友人もろとも倒れ込んだ。
「……ったく。人をオモチャみたいに扱ってんじゃねぇよ。……あいつも人間なんだから」
 少年を殴り飛ばした張本人――門田京平は溜め息を吐きながら少年に近づく。
 少年は既に意識を手放していた。
「……そんなに強く殴ったか? 俺」
 自身の右拳と少年の顔を交互に見合わせ、困った顔をする門田。
 だがそれは数秒のことで、彼は直ぐに、臨也が消えていったであろう方向を黙って見据えていた。
 ――そうだったな……臨也は連中にやられるほど、ヤワな男じゃねぇし、一筋縄では行かない奴だ。……俺の考えも、杞憂に終わったか……。
 ――だが何が起こるかは分からねぇ。臨也にとっちゃ、とんだ『お節介』かもしれねぇが、ここは俺が出て――
 その時だ。
 ――?
 門田が先回りをしようと階段に体の向きを変えた先に、一人の少年が凄まじい速さで階段を駆け上がり、上の階へと消えていくのが微かに見えた。
「……んだよ」
 階段を駆け上がる際に見えた、クセのついた金髪を彷彿し、門田は静かに目を伏せ頬を掻く。
「俺の出番、ねぇじゃねぇか」
 門田は廊下の隅に放ったままの鞄を拾い上げると、そのまま階段を降りていった。
 ――『お節介』をやくのは、俺だけじゃねぇってこったな。





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