♂♀
SHR終了後 一学年 教室
担任教師が教室を去って数秒後、
「どっったちーん!!」
濃い赤のインナーに学ランを羽織った、背のわりには華奢な体つきをした少年が、同じく学ランを身に纏った少年に抱きつくのは、この教室ではあまり珍しくない光景である。
「……ドタチン言うな。つか……まず抱きつくな」
「やーだね、両方聞いてやらないよー。ドタチンはドタチンだし、ドタチン抱き心地いいし俺のこと引っ剥がしたりしないって知ってるんだもんねー」
「……抱き心地って、お前なぁ……」
半ば呆れたように溜め息を吐きながら、突進という形で正面から抱きついてきた臨也を抱き留める門田。
拒絶されることなく受け入れられた腕に、臨也は満足げに柔らかく笑む。
柔和な微笑みを浮かべると、分厚い胸板に鼻先をスリ寄せた。
「ドタチンの匂いがするー」と付け足され、流石に羞恥を覚えた門田は胸板から強制的に臨也を引き剥がす。
そんな門田に、廊下から声がかけられた。
「おーい門田ぁ。イチャイチャしてるとこ悪いんだけど、掃除だぞー」
「おう、分かった。先行っててくれ、すぐ行く」
級友の掛け声に軽く応じて、先に掃除場所へ行くように促した門田。
再び臨也に視線を戻せば、彼は詰まらなそうに口を尖らせていた。
「チッ……掃除があったか……。俺の『一緒に下校する相手リスト』に入っているドタチンを奪いやがって……掃除め」
「おいおい、怒りの矛先を実体のないものに向けんなよ。掃除も義務なんだし。……それに、その『リスト』には、どうせ俺の名前しか入ってねぇだろが」
「御名答! よく分かったね、さっすがドタチン!! そんなドタチンには掃除をサボる権利が与え、」
「られねぇな」
臨也の言葉を速やかに否定し、何度目かも分からない溜め息を吐く。
そして門田は、思いついたように付け足した。
「一人で帰るのがイヤならよ、……あーっと……あいつ……桐谷……?」
「岸谷ね」
「……と帰ったらどうなんだ?」
「延々と紡がれる想い人への淡い恋心を聞けって? そりゃいい、耐久力がつきそうだ、遠慮するね」
門田の提案に対して臨也は静かに首を振りながら答える。
皮肉がたっぷりとこめられた臨也の言葉に、思わず苦笑する門田。
「じゃあ静雄と帰ったらどうだ?」
軽い調子で訊いてみると、臨也はたちまち嫌悪の顔を浮かべた。
「……シズちゃんなんかと帰りたくないよ。こっちから願い下げだね」
「お前、とことん静雄が嫌いなんだな……。……けどよ、今日一日、ずっとお前のそばに静雄がいたことにゃ気づいてんだろ?」
「……ああ、気づいてたよ。なぁーんで大嫌いな俺なんかに構うかね。意味が分からない。ほんと、ヤんなっちゃうよ」
大仰に肩を竦め、苛立ちを載せた大きな溜め息を吐き出す。
『あー死んでくれないかなー』と、どこかを見据えてぼやく臨也に、門田はスッと目を細めた。
「お前の変な噂が出回ってんのも知ってるし、お前が標的にされてることも俺は知ってる。……掃除終わったら一緒に帰ってやってもいいが、お前はあんまり長く校内にいないほうがいい。かといって、一人で帰るには危険すぎる。……岸谷より――静雄と一緒に帰ってくれた方が、俺としては安心……なんだがな」
「……」
「静雄が何を考えてお前のそばにいたのかは分からねぇが、静雄がいれば絶対に安全だ」
「……」
「仲良く下校じゃなくて、利用すると思えば、いい。そうだろ?」
「……」
不服そうな顔をして、沈黙したまま『不満だ』と目で訴える臨也。
応じない臨也の髪を掻き乱すように頭を撫でて、門田はそれだけを言い残して背中を向けてしまった。
「じゃあな」
去り際に、たった一言。
教室には、臨也と教室掃除担当の数名だけが取り残された。
「……シズちゃんといれば安全って……逆だろ、普通。普通はシズちゃんといるほうが、俺には危険なんだってば」
独り呟いて、偶々そばにあった誰かの席に腰を下ろす臨也。
――それに、俺が易々とヤられるかっての。不安とか、そんなの微塵もないし。
――寧ろ……主観の位置で成り行きを観察するつもりだったんだ。それをあの単細胞馬鹿は邪魔しやがって……お陰で何も楽しくやしない。
――余計なお世話なんだよ、シズちゃん……。そんなところも――大嫌いだ。
「やっぱ俺……主体、とか……向いてないかも」
「――折原クぅ〜ン?」
「……?」
臨也がゆっくりと声のした方向を見ると、
複数の男子生徒が、ニヤニヤと締まりのない顔で臨也を眺めていた。
その、小さな集団は、ゆっくりとした足取りで臨也との距離を縮めていく。
――上の学年だけ……ではなさそうだね。
ザッと顔を見渡したところ、その集団は上の学年が半数以上を占めているが、ちらほらと同学年と思しき顔が見える。
教室掃除をしていた数人のクラスメートが、突然の事態におろおろと狼狽している。
臨也は突っ伏した上体を起こすと、揺るぎない眼差しで堂々と彼らを見返した。
「何かご用ですかね?」
にっこりと微笑み、自然な言葉で尋ねてやる。
と、彼らは互いに顔を見合わせ、卑下た笑みをより濃いものにするのだった。
「ちょおぉ〜……っと、いいかな?」
その、あからさまな様子に、臨也は内心失笑する。
――主体でいる夢は、まだ捨てたもんじゃないな。
漸く展開を見せた、世間体で言う『己の危機的状況』に、舌を舐ずる臨也。
「いいですよ」
これからどうなるのだろう。
最終的に、彼らをどう貶めよう。
臨也の胸の中には、絶望の欠片も存在しない。
彼は妙な興奮と共に――歓楽に溺れていた。
それを知らない男達は、容易く連れ出すことに成功した臨也を『何も知らない単純な奴』と愉楽の裏側で少しの哀れみを抱いていた。
『何も知らない』のは、彼ら自身であるというのに。
『哀れ』なのは……彼ら自身であるというにも拘わらず。
廊下を出て、どこかへ連れられる折原臨也。
静雄の存在がないという自然にして不自然なことに――彼は気がつくことはなかった。
♂♀
職員室
「――だから、俺じゃねぇっすってば。俺は無意味に窓硝子なんて割りません」
「いつも無意味に教卓やドアを投げ飛ばして、窓どころか壁も破壊する奴の言葉なぞ、わしには信用できんな」
SHR終了後、平和島静雄は北駒という年老いた教師に職員室に呼び出されていた。
呼び出された理由というのは、至極単純なものだった。
――一学年フロアにある窓硝子が、綺麗さっぱりとなくなっていたから、だ。
その抜き取られた二枚組の窓硝子は、少し離れた校庭にて粉砕されていたとのこと。
しかし、静雄には窓硝子を引っこ抜き、投げ飛ばした記憶などどこにもない。
――つーか……今日は暴力使ってねぇもんなぁ……。
とんだ嫌がらせを受けたもんだと、自分自身の嫌われように呆れながら息を吐きこぼす。
――……にしても、臨也の野郎……
そうして北駒の言葉を適当に受け流しながら、静雄は大嫌いな男の姿を思い浮かべる。
苛々と、モヤモヤ。
分析しきれない感情に、目を細める。
――だい、じょうぶ……なのか……?
「おい、聞いているのか? 聞いているかと訊いているんだぞ、平和島!」
「わーりました、聞いてますって!」
内心で舌打ちをし、長くなりそうな北駒の説教に疲労感を覚える。
静雄は再び北駒の話を受け流し、ぼんやりと時がやり過ごしてくれるのを静かに待ち続けた。
――クッソ……
「胸糞わりぃ……」
「なんじゃと!? 教師に向かってなんじゃ、その口の聞き方は! だいたい、お前はいつも――……!! …………! ……………!? ……――――――」