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翌日 来神高校

 何でもないような平日の朝。
 今日も来神高校の門は、多種多様の生徒達を迎え入れていた。
 ある者は学ランを身に纏った、オールバックの髪型の図体の良い少年であったり、
 スラリとした黒髪の少年であったり、
 髪を茶色に染めた、黒縁眼鏡をかけた童顔の少年であったり、
 少しだけ制服を着崩した、金髪の少年であったり……。
「それでね、セルティったら身を窄めながら指を組んで祈るようにテレビを観ているんだ……。ちっとも僕を相手にしてくれやしない。そんなに怖いんなら、初めから観なけりゃいいのにね。まあ、怯えてる彼女を眺めるのも、それはそれでありなんだけど……」
 淀みなく。まるで、マシンガンのように言葉を発射する級友の岸谷新羅の言葉を、沈黙を保つことにより苛立ちを抑圧しているのは、校内一の危険人物、破壊神と呼ばれている平和島静雄だった。
 静雄は長い脚を惜しげもなく伸ばして、早歩きで昇降口へと歩みを進める。
「でもっ、やっぱり、……っ、想い人に自分を見てほしいというのはっ、誰もが持ち得る自然的な欲求……だろっ? ……っ、てか……。――静雄君、歩くの早くないっ!? 何か早く歩く理由でも――もぎゅッ!!!?」
「……手前を撒くために決まってんだろが」
 昇降口に入って靴を履き替えようとした時、流石に我慢の限界に到達した静雄は、新羅の顔面を手で覆うことにより、憎たらしい口を塞いだ。
 怒りを溜め息に変換して、疲れたように肩を竦める静雄。
「ぃひゃいっ! いひゃいよひふおふん!! ひゃお……顔が……ひゃおが潰れふっ……!」
「ああー? なんつった? よく聞こえねえ、つか人語で喋れ現代版花暦八笑人」
「――だったらその顔面を覆う手を離してやればどうなの」
「……あ?」
 突然振ってきた声が鼓膜を揺らした瞬間、静雄のこめかみに本能的に太い血管が浮かび上がった。
 途端に、無意識のうちに手に力が篭められてしまったのか、新羅が一際大きな呻き声を上げる。
 静雄は声の鳴った方角を向くと共に、新羅を解放してやった。
 振り向いた先、そこにいたのは――
「臨也……」
 静雄の憎き宿命の敵、折原臨也だった。
 臨也は冷め切った無表情を浮かべて目を細めると、そのまま無言で静雄を睨み上げている。
 静雄と臨也の間に、火花が散るような殺伐とした風景。
 その場に警鐘が鳴り響く。
「たたっ……ヒドいよ静雄君。それに……僕のこと花暦八笑人だなんて失礼じゃないか! 私があんな滑稽な失敗談的人生を過ごすわけがない!!」
 それを掻き乱す、拍子抜けするほど空気の読めていない新羅の訴え。
 しかし、お陰で静雄と臨也の間に立ち込めた険悪な煙が、見事に晴れる。
 臨也が静雄から目を逸らしたのを見た周囲の生徒達は、ホッと胸を撫で下ろした。
「君は花暦八笑人と惚気を掛けて言ったみたいだけど……」
「やあ、新羅。おはよう」
「あ、臨也。おはよう」
 軽い調子で朝の挨拶を交わし、そそくさと靴を履き替える臨也。
 さっさとこの場を後にしてしまおうと、下駄箱を開いたのだが――
 開いた瞬間、中から大量の紙切れが溢れ出てきた。
「……?」
「何それ、どうしたの臨也?」
 それを目撃した新羅が目を丸くして驚きの声をこぼす。
 慌てて臨也のもとに駆け寄る新羅に続いて、不審に思った静雄もゆっくりと近づいて行く。
 当の臨也はというと、中に入っていたであろう手近にあったノートの切れ端と思しき紙を手に取り、ただ眺めたまま立ち尽くしていた。

 ――『男娼野郎』

 乱雑な字で書かれた、野卑な言葉。
 見てみれば溢れるどの紙にも、似たような汚らしい文字が並んでいるではないか。

『邪欲の塊』
『淫乱』
『ビッチ』
『キモい』
『ゲイ』
『ホモ』
『欲求不満ですかー? なら俺がさ……』
『ド変態』
『男のくせに媚び売ってんだって?』
『知ってんだぞ俺ら。お前が女みたく……』
『ちょっとさーお付き合いしてくんない?』
『抱いてあげよっか?』
『泣かせてあげるよ』
『ヨくしてやる』『イかせてやんよ』
『遊びましょー』『性欲処理』『いくら払えばいい?』『挿れ挿れ』『臨也君絶頂(゚∀゚)昇天w』『そそるわー』『いつまでも見下してんな』『女王様気取りデスカ』『学ランとか目立ちすぎるよね』……

「……んだ、これ……?」
 散りばめられた紙に書き込まれた文字を、否が応でも見てしまった静雄は不愉快極まりないといった表情で低く呟く。
 新羅はというと、地面に落ちた紙を事務的に回収していた。
「やれやれ……臨也に嫌がらせをするなんて随分と馬鹿な奴がいたもんだよ。はい、これ」
「ああ、ありがと。丁度今俺もそう思ってたとこさ」
 新羅から手渡された大小形様々な紙切れを平然と受け取る臨也。
 すると臨也は、数秒間何かを考えるように首を傾げた。
「んー……」
 そして、そのまま何かを考え抜いて、彼は何やらある結論に至ったようだ。
「……名前とか性別が特定されてるものは省いて、それ以外の紙を適当な女子の下駄箱に入れたとしたら――」
「うん、やめようか。すごく名案だけど、関係のない女の子達を巻き込むのは良くないよ」
 臨也の提案をサラリと却下する新羅。
 傍から見れば漫才のような一連の会話の流れに、静雄は意外だと僅かに目を見開いた。
 単純に、新羅がまともなことを言っていることに驚いたのだ。
 即座に否定された臨也はムウッと少しだけ頬を膨らませ、「詰まらないのー」と言って唇を尖らせた。

 その、少し離れたところで
 角の陰に隠れた数名の男子生徒が、落ち着きのない様子で三人の様子を伺っていた。
「チクショウッ……なんでこんな時に限って平和島が一緒なんだよ……!!」
「つーかさ、どーして喧嘩しないわけっ?」
「せめていつもみたく喧嘩してくれりゃ、逃走中の折原をとっ捕まえられるってのに……」
「これじゃ手が出せねぇじゃねえか!」
 ギチリ、ギリリ
 もどかしげな歯軋りの音。
「チッ……仕方ねぇ……もう暫くここで様子見んぞ。んでもって、折原単独で動きそうになかったら、俺一人で後をつける。お前らは一旦散れ」
 そわそわ、そわそわ。
 落ち着きのない少年達。その双方の目には――
 焦燥と欲望が、混ざり込んでいた。

「――それにしても臨也、本当に君、大丈夫? 他にも似たような嫌がらせ受けてるって話を耳にしたんだけど……」
「あーあ、あれね。……別に、大したことないから。むしろ、俺としては今の状況を主体の視覚で観察して楽しんでいるとこだよ」
「流石マゾヒスト折原君」
「だからマゾは違うって」
 そんな他愛ない会話を続ける臨也と新羅。
 靴を履き替え、教室へと足を進める。
 依然として、静雄は二人に付いたままだ。
「っ……んで平和島が折原と普通に歩いてんだよ」
「……うし。んじゃあオメェら一旦散れ。折原は俺が――」
 その時だった。
 不意に静雄が――迷うことなくこちらを振り向いた。
「――っっ……!!!?!!」
 真っ直ぐに睨んでくる殺意の篭められた眼。
 眼力で殺されるのではないかという錯覚に陥るほどの、凄まじく恐ろしいその瞳に――
 少年は動けなくなった。
 すぐに目は逸らされたものの、背中には大量の汗が吹き出ている。
 戦慄、した。
「おい、どした?」
 異変に気づいたメンバーの内一人が、固まったままの少年に声をかける。
 少年は我に返ると、顔面を蒼白させたまま囁くように呟いた。
「やっぱりさ……もう少し時間置いて、平和島が消えてからにしねぇか……?」


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昼休み

「あん? 平和島が折原のそばから離れない、って?」
「そうなんだよー。授業の合間合間に折原のクラスの前にゃ、壁にもたれた静雄と眼鏡のモヤシがいてよ……。折原に接触不可能状態でさぁ……」
「あいつと同じクラスの野郎はいねぇの?」
「いや、いるんだけどよ……そいつら静雄にビビっちまってて使い物になんねぇんだわ。おまけに臨也は……門田、だっけか? あいつとつるんでるらしくて余計に手が出せねぇんだと」
「……ふーん」
 3年B組の教室内。
 昼食を取りながらなあなあと雑談に耽る者もいれば、あの人はああだ、あの歌手はああだ、あの事件はこうだ、等と、既に昼食を終えて話し込んでいる者もいる。
 そして、彼らも後者の内の一人だった。
 しかし、彼らには他の後者組と異なることがある。
 彼らの話題は人気歌手やアイドル、陰口や噂話、恋愛に関するものではないということだ。
 彼らは今、歴としたナマモノの情報を扱っている。
 そのナマモノの情報を入手した彼らは、周囲に独特な緊張感を張り巡らせていた。
「……しかし、どうも腑に落ちねぇな。だって平和島静雄だぜ? 仮に平和島が俺らの策略に勘付いてたにしても……平和島が折原を守るみてぇなことするか、普通? 遂にあの二人が手を組んだ――とは思えねぇし……」
「……だよなぁ……。……あいつ、何考えてんだろ……」
「……」
「……? どうかしたか、董(なお)? 怖い顔して」
「いや。……別に。何でもねぇよ」
 不安気に顔を覗きこまれた『董』と呼ばれた少年は、友人に対して薄く笑いながら、小さく肩を竦める。
 ――まさか……な……。
 笑みの裏側で、少年――董は、平和島静雄の思惑を分析し、顔を引き吊らせた。
 もしも、だ。
 もしも静雄が自分と同じ感情を、折原臨也に寄せているとしたら――
 ――有り得ない。そんな筈ないだろ。だって平和島は、折原のことなんて死ぬほど嫌いなんだから。そんなの二人を見てりゃ分かるだろ。……何を深く考えてんだ、俺は。どうかしてる。
『くだらない』と考えに終止符を打ち、首を振って芽生えた疑惑を打ち消す董。
 しかし、終止符を打った内側で、『でも』という言葉が頻りに膨張していく。そして、やがて――
「だったら平和島を折原から引き剥がしてやらないとな」
 董は、自分の心を鎮めるために塗った嘘が剥落するのを防ぐ形で、口を開いた。
 その言葉に目の前にいた友人と、そばにいた数名の仲間が目を見開く。
「どう……やって……?」
「……『どうやって』? なぁーに簡単なことじゃねぇか。……嵌めるんだよ、平和島を」
「おまっ……正気か!?」
「モチロン正気。マジの大マジ。超本気」
「……死にてぇの? そんならお前一人で死んでくれや。共倒れなんて御免蒙る。俺は下りるぜ?」
 董の科白を聞いた仲間の一人が、董とは正反対の冷め切った表情で告げる。
 董は「まあ聞けよ」と、余裕の笑みで、睨む彼らを見つめ返した。
「嵌めるっつっても折原みてぇな手の込んだことはしねぇよ。俺、そこまで頭良くねぇし。単純に足止め程度だよ」
「……簡単に言うけどよ、そんなに簡単にいくもんかね?」
「ああ。拍子抜けするぐらい『簡単』な方法だからな。それに――平和島は『単純』だ。なぁんにも怖くねぇさ」
 その、どこか核心のある董の言葉に――
 彼らはそれぞれ胸の奥側で、自信が漲ってくるのを感じた。
「どうすりゃいいんだ……?」
 湧き上がる『成功する予感』に、本来の勢いと強さを取り戻した仲間達。
『下りる』と行った男が、心の向上に従ってゆるゆると口角を上げながら、董に尋ねる。
 董は静かに目を伏せると、ほくそ笑んだ。
 そして、次に瞼から姿を現した双方の瞳は――
 あらゆる欲望に、満たされていた。
「平和島にも怯まねぇ、ベテラン教師さんを利用すんだよ」
 愛欲と、意欲と、淫欲と、渇欲と、我欲と、楽欲(ぎょうよく)と、強欲と、獣欲と、嗜欲と。
 測定できないほどの人欲を滾らせながら、董は不適に笑う。
 自分の知らない、折原臨也の別の姿を拝める時が近づいてきている事実を噛み締め――
 同時に、平和島静雄に対する厖大な憎悪と怒りを抱えながら。
 董は不吉に笑い続ける。

 一度は止まった闇の手が、
 再び陰から臨也の背中に忍び寄ろうとしていた――――





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