「――おや、シズちゃん。こんなところで会うなんて奇遇だねー」
「……臨也じゃねぇか。丁度いい……此処で逢ったが百年目ぇ……手前をプチっと潰してやんぜぇ……!!」
「はははー。なんで理由もなく殺されなきゃなんないのかな? 池袋ならまだしもここは新宿だよ? 新宿は俺の縄張り。よってシズちゃんに俺を殺す理由はなし!」
「ブクロは俺の縄張りだぁ。だが……何遍も何遍もあれだけしつこく言ってんのに、ノコノコやって来て顔出してくんのは手前だろぉ……? よって手前に生きる資格はなし。よって殺す……。死ねぇえ! 臨也あぁぁあああ!!!!」
新宿の歌舞伎町。風俗店がズラリと並ぶ物騒な空気が漂う眩しい夜の街で、標識を片手に駆け出すバーテンダーとそれから逃げるコートの男。
仰々しい狐色のファーの付いた、膝よりも下のロングコートを纏っているにも拘わらず、コートの男は余裕綽々と怒号を受け流し、殺人鬼の如く迫るバーテンダーの青年を連れて歌舞伎町を奔走する。
「あーあ、静雄……我を忘れてまた行っちまった」
ネオンに溶けるように遠退き消えてゆく二つの背中を、動揺せずに見送るドレッドヘアーの男が一人。
田中トム。静雄の中学時代の先輩で、現在取り立て作業の仕事に勤める二十歳過ぎの男だ。
トムは大袈裟に肩を竦めると、雑踏に揉み消されてしまうような小さな声で、静かに独白を漏らした。
「そんなに嫌いなら無き者と思い込みゃいいのに……まあ……静雄がそこまで器用とは思えないしなぁ……」
夜であるのに随分と明るい空を仰ぐ。
夜空に見える、あのチカチカ光るものは――……。……星ではなく、ヘリコプターだ。
トムはポケットを弄り携帯を取り出すと、新規メールを作成した。
「……『直帰でいいぞ』……っと。……うし、俺は事務所に戻るとするか」
宛先は先ほど嵐のように消えていった、仕事の後輩の平和島静雄。
トムは踵を返すと、池袋にある自身の事務所に帰るべく、駅への道を辿った。
あの、空に見えるのはヘリコプター。
「情報屋、ねぇ……。果たしてそれは、本当にあなたの姿でしょうか」
チカチカチカチカ、光輝く。
点滅を繰り返すそれは――
「化けの皮を矧いでさしあげましょうね」
星では、ない。
♂♀
新宿中央公園 富士見第六角堂
夜も更け、新宿中央公園は辺りを囲むようにビルがそびえ立つだけで人の気配は殆どない。
その一角にある六角形の屋根をした木々に囲まれた小さな御堂の中で、総合的に黒い恰好をした一人の青年が、設けられた椅子にへたり込み、石造りのテーブルの上に伸びていた。
「あー疲れた……久々に走ったなぁー……」
臨也は一人心地に呟きながらテーブルに頬をスリ寄せる。
冷たくて気持ちが良い。火照った身体を冷ますには丁度良い温度だ。
「体力あり過ぎじゃないのーシズちゃん? バケモノかよ」
その体制のまま、丘の下から燻らす紫煙に向けて声を投げかける。
すると紫煙がゆるゆると霧散し消えてなくなり、六角堂に至る階段から金髪が姿を現した。
「っせぇな。声掛けてきたのは手前のほうだろ」
バーテン服の胸ポケットに愛用のサングラスを引っ掛け、携帯用の灰皿を片手に持った静雄がぶっきらぼうに吐き捨てる。
静雄は御堂に歩み寄りながら灰皿をズボンのポケットにねじ込むと、六つの柱の中で最も階段寄りの柱に背中を預けて身を落ち着かせた。
「それに……。本物のバケモノにバケモノ呼ばわりされる筋合いはねぇ」
「……ははは……言ってくれるじゃない」
――折原臨也。彼は、表向きにはファイナンシャル・プランナーとなっているが、実際は新宿を根城とする情報屋だ。
尚、自宅兼事務所は新宿大ガード西交差点付近の高層マンションにある。
家族構成は不明。年齢不詳。二十歳過ぎと思われ、本人は取引相手に必ず21歳と答えている。
そんな謎に満ちた青年は、
長年情報屋を営んできていた。
折原臨也が情報屋として働き始めたのは約30年前。しかし折原臨也の年齢は、二十代。
この違和感が生じる理由。それは実に単純明快なものなのだが、同時に――
沈思黙考してしまうような、信じがたいものでもある。
簡潔に結論を下すと、折原臨也は人ではないのだ。
変幻自在で何にでも化けるという特殊な能力を有し、人間を騙すと古くから語り継がれる――九尾の狐という存在だ。
この九尾の狐――折原臨也は、変わったことに人間が好きだ。
バケモノでありながら人を愛し、疎しく思われていながらも人を愛し、人に殺されかけたにも拘わらず人を愛している。
だが彼は、人間が好きだからと言って、人懐っこいというような可愛いものではない。
折原臨也は、人間のありとあらゆるものを見ることが、大好きなのだ。
人と人との絆や愛、人と人との殺し合いや潰し合い。それらを含めて、彼は『愛しい』と言う。
東京都心に狐塚を置く、変わり者のバケモノ。
時は流れ、今や彼は――
東京都心に棲む、ただの小さな歪んだ人だ。
「でもねぇ……バケモノの俺からすれば、君のほうがよっぽどバケモノっぽいよ。人間らしいバケモノの俺と、バケモノらしい人間のシズちゃん。……お互いバケモノにも人間にもなれない『なり損ない』ってやつだね」
「……」
臨也の言葉により、静雄の記憶から過去が引っ張り出されていく。
『自動喧嘩人形』
『絶対敵にまわしてはいけない人間』
――『ば……バケモノ!!』
――バケモノ、は……人間じゃねぇよな……。
『池袋最強』とおそれられる青年は、僅かに目を伏せる。
自分は普通だ、人間だ。ただ、怒りのリミッターが他より極端に低いだけなのだ。
そして、本来人が持つべき怒りのセーブの欠陥により、いつしか人知を越えた『力』が身についてしまったのだ。
その『力』はいつだって静雄の怒りに忠実で、一切の躊躇いもなく作用する。
彼はいつしか、独りになった。
今では仕事絡みでトムや社長、会話を交える程度の仲間がいるし、小学校と高校が同じだった岸谷新羅や池袋の都市伝説・首なしライダーことセルティ・ストゥルルソンもいる。
特にセルティとは仲が良く、本音を語れる親友となっているのだが、彼には一時的に、家族以外と関わらない『独り』という時期が存在した。
それは先輩にあたる田中トムが卒業した後の中学時代だ。
当時の静雄は学校で完全に孤立していた。
彼に近づこうとする者はおらず、静雄自身も自ら人を遠ざけていた。
寂しくないと言えば、嘘になる。
だが不器用な静雄は、人との接し方が分からなかった。
そして同じ時だ。静雄が本物のバケモノと出会ったのは。
本物のバケモノ――折原臨也との出会いは。
すべてはそこから始まった――。
「――嘘だよ」
「……?」
ふと気がつけば、テーブルの上で疲れ果てていた筈の臨也が、静雄の顔を覗き込んでいた。
柔らかくて、優しい瞳。柔和な微笑みを湛えて顔を綻ばすそれは、静雄しか知らない折原臨也のもう一つの顔だった。
それがあまりにも綺麗で、あまりにも儚げで、静雄は思わず息を飲む。
しかし静雄が唾を嚥下すると、まるで入れ替わるように臨也の表情が崩れた。
先程とは一変、また、いつもの顔となる。
「う・そ。ジョークだよジョーク。冗談とマジの区別もつかないの? ちょっとは頭使ってあげなよ、可哀想だよ? ―― 脳 味 噌 が 。そんなに使わないようならいっそ、ドナー登録でもして臓器提供してやれば? シズちゃんの臓器なら何でも丈夫そうだもんね」
流暢に語りながら大袈裟な仕草をつける臨也に静雄は心中で溜め息をこぼす。
――ずっとあんなんでいりゃあ、だいぶマシな野郎なのにな……。
臨也の残念過ぎる性格に落胆しつつ当人を見てやれば、臨也は「なんだよその目は」と唇を尖らせた。
「別に。……ただ、萎えた」
「萎えた、て……何に高ぶっていたのかな?」
「うぜぇ」
短文にも至らない一言だけを吐きこぼし、夜空を仰ぐ。
一機のヘリコプターが、忙しなく新宿の街の上空を旋回している。
上空で何かレポートでも行っているのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていると、脛のあたりに微弱な衝撃があった。
疑問に思い、足下を見下ろすと――
一匹の黒い子狐が、愛らしく小首を傾げて、静雄を見上げていた。
視線が絡むと、子狐は静雄の脚に顔をスリ寄せる。
甘えるようなその仕草に、静雄の口からふっと笑いの息が漏れた。
「手前はよぉ……」
緩む口許を締めぬまま、ゆっくりと膝を折ってしゃがんでやると、子狐は何かに期待するようにバタバタと音を立てながら尻尾を振る。
静雄はその期待に応えるように頭を撫でてやると、子狐は嬉しそうに目を細め、自らも頭を手に押し付けた。
頭を撫で、肌触りの良い背中を撫でて、顎の下を撫でてやる。
暫くすると眠気がきたのか、重い頭を小さな四肢で支えて睡魔と格闘する子狐。
ゆっくりと揺れる毛並みの良い尻尾が視界にチラつく。
それに誘われるように静雄が尻尾を掴んだ途端、ビクリと子狐の身体が大きく跳ねた。
先端を指で弄び、質感を味わうように優しく撫でると、子狐は堪えるように身体を震わし、冷たい地面に座り込む。
そのまま指を滑らせて尻尾の付け根に触れて撫で回せば、子狐はビクビクと身体を揺らした。
その必死に堪えるような仕草が可愛くて、それがあの男なのだと思うと……欲望が熱になって滾って――。
「――どう? 萎えた?」
瞼を伏せて次に持ち上げた時には、黒い子狐は折原臨也の姿となっていた。
地面にへたりと座り込み、三角形の耳を頭に、柔らかい尻尾をつけた状態のまま、上目遣いに静雄を見上げている。
静雄は臨也の咽を数回撫でると、上顎を持ち上げたった一言を言い放った。
「うぜぇ」
短文にも至らない、その一言だけを……。