「イィーザァーヤァーよお!! 手前、今日という今日はぶっ潰す!!」
「あっれー? シズちゃんじゃない。何をそんなに怒り狂ってるのかな?」
「とぼけんじゃねえぞ! 確信犯のくせによぉおおお!!」
 一学年フロア。
 廊下に響き渡る怒号と、地響き。
 それは一般の生徒にとっては、今やとある合図となっていた。
 合図と同時に速やかに花道でも作るかのように、真ん中の通路を開けて両側に寄る生徒達。
 その、意図的につくられた不自然な道の真ん中を、
 一人の少年が、実に爽やかな笑みを浮かべたまま駆け抜ける。
 まるで風が通り過ぎるような光景。数名の女子はうっとりとそれを眺め、半数以上は呆れた表情をしている。
 その、数秒後。
「待ちやがれぇぇええぇぇぇ!!!!」
 鬼の形相で、殺意を纏った金髪の背の高い少年が、神速の速さで彼らの前を通過していった。
 ――折原臨也と、平和島静雄。
 折原臨也はともかく平和島静雄の名前を知らない者は、今やこの一学年の中にはいないであろう。
「やれやれ……よくも飽きずに毎日毎日……」
 教室の入り口から顔を覗かせて、黒縁眼鏡をかけた童顔の少年が、どこか楽しそうに呟く。
 その少年の言葉に頷くかのように、端に寄った生徒達は二人の背中を見送る。
 暫くしてもなお、二人が消えていった方角を見つめたまま、誰も動こうとはしなかった。


♂♀


数分後

「畜生……あのノミ蟲野郎……隙を見せりゃあ即座に逃げやがって……」
 校舎中を駆け回り、あまつさえ校庭のありとあらゆるところを巡りながら逃走する臨也を追っていた静雄は、とうとう臨也を捕まえることができなかった。
 他学年のフロアで先輩にあたる獅子崎に見つかり、無理矢理鎮静させられたからだ。
 その場しのぎで一時的に怒りをセーブし、臨也と(形だけの)和解をなんとか成し遂げることに成功した静雄。
 獅子崎が去った瞬間、臨也の息の根を止めるつもりでいた。
 しかし、そう簡単に殺られるほど臨也は愚人ではない。
 臨也は獅子崎の注意が僅かに逸れた刹那に、全速力で再び遁走したのだ。
 少し出遅れて後を追いかける静雄だったが、まんまと撒かれてしまい、今に至る。
 発散できずに蓄積した怒りを拳に篭めながら、設置された時計を見上げると、
「ちっ……授業始まるじゃねぇかよ……」
 授業開始二分前であることを知った静雄は、腑に落ちないながらも足を自身のクラスへと進めた。
 ブツブツと呪詛を唱えながら歩いてはいるものの、静雄の姿はごく一般の高校生と何ら変わりない。
 その、平和島静雄という圧倒的な存在感が他生徒達に埋もれ沈んでいる。
 学校中に名が知れ渡っている危険人物がすぐそこにいるにも拘わらず、静雄は特に警戒されることなく二学年フロアを後にした。
 そして、一学年フロアに向かうための階段の途中で、
 すれ違いざまに不快な会話が耳に入ってしまった。
「一年にさ、ビッチがいるって知ってっか?」
 唐突に、突然。
 静雄はピタリと足を止め、こちらへ向かってくる数名の男達を見つめた。
「ああ、知ってる知ってる」
「え゛、あれってガセじゃねぇの?」
「マジな話らしいぜー。まあ、過去の話らしいけどよ」
「うはーマンガ的設定っ」
「で、どんな奴?」
「色白で黒髪の……ほら、短ラン姿の奴、見たことねぇ?」
「あーあれね。……確かに綺麗な顔立ちしてるよな」
「折なんとかって名前じゃなかったけか?」
「多分ー?」
「ふーん……。……お願いすれば抱けるのかね?」
「うはは! お前そーゆー趣味ぃ?」
「やめとけって!」
「でも男のがイイって聞くべ?」
「じゃーあ試せばいんじゃん?」
「折原で?」
「「「――『折原』!!」」」
「あー! それだそいつの名前!」
「じゃあ下はなんだ?」
「……あー……なんだっけ? 折原――……リンヤ?」
「そーそーそんなん。そんなんじゃね?」
「えー、なんかちげー」
          「でも近い」
               「だな」
 静雄の横を何事もなく通過して、軽口を叩き合いながら廊下を突き進む二年生と思しき数名の少年達。
 静雄は彼らの声が遠くなってもなお、彼らを目で追い続けた。

 ――「色白で黒髪の……ほら、短ラン姿の奴、見たことねぇ?」
 ――「……あー……なんだっけ? 折原――……リンヤ?」

 男達の言葉によって、静雄の頭の中である男の姿が形作られる。
 構成されたそれは、静雄の怒りに再び灯をともした。
「……チッ」
 その怒りが、先ほどまでのものとは別物であることに気がつき、静雄は思わず舌打ちをする。
 次いで出るのは、呪いのような低い呟き。
 静雄は体の向きを変えると、そのまま二学年フロアを後にした。
 紡がれる呪詛に、強い力はない。
 校内に、チャイムが鳴り響いた。


♂♀


 ――「好きです」
 ――「付き合って下さい!」
 ――「好き、なんですっ……」
 ――「好きだ」
 ――「こんなの初めてなんだよ……」
 ――「俺の彼女になってくんね?」

 ――「抱いて」
 ――「あなたが欲しいの」
 ――「すべてが」
 ――「寄越せよ」
 ――「        」

 好きです、なんて。
 俺の全部が好き、だなんて。
 ばかだなぁ。俺のこと何も知らないくせに、『全部が好き』だってさ。
 君らは俺のことを何一つ理解しちゃいない。
 要はさ、
 俺の顔がいいんだろ、お前ら。
 君らが好きになったのは、俺の見た目だよ。適当に『全部』とか言ってんな。
 ああ、おかしい。
 可笑しすぎて吐き気がするよ。


 だから俺は、人間が大好きなのさ。


♂♀


屋上

 授業開始を告げるチャイムは既に鳴った。
 しかし臨也は、教室で授業など受けていない。
「……」
 臨也は黙々と携帯を操作していた。
 画面に表示されているのは、来神高校の裏サイト。
 その掲示板に書き込まれている情報は、陰口や噂話などが半数を占めている。
 その中でも、平和島静雄に関する書き込みはひどいものだった。
 しかし、ひどい言われようをされているのは、平和島静雄だけではない。
 ――折原臨也。彼もまた、静雄と並行して裏サイトでよく名前が挙げられる人物だった。
 初めのうちは臨也の存在を知る者は多くなかったが、妙な噂がたって以来、最近名が知られつつある。
 その噂が、折原臨也の存在に独特な色を付けた。
「へえ……やっぱりこれを流したとなると……俺と同じ中学出身の誰かかな?」
 ――『折原臨也は誰とでも体の関係を持つ』
 ただのガセとしか思われない情報を事実と受け止めている人間が多数いる。
 しかもその人数は日を追うごとに増殖している模様だ。
「心当たりがあるとすれば……奈倉。でも、奈倉の奴にそんな度胸があるとは思えない。だとすると――……誰だろう?」
 次々に頭に浮かび上がる様々な人の顔。
 情報を流出させた者の心当たりなど、臨也にはありすぎて絞れやしない。
「ふふ……あははっ」
 臨也は、一人、笑う。
 実に楽しそうに、実に愉快そうに、
 全てを赦すかのように、ただ笑う。
 心底嬉しそうな笑顔は、まるで情報を流した人物を称讃するようにも見え――
 同時に、『愚かだ』と、嘲るようにも見えた。
「まあ、いい機会じゃないか。火中に飛び込むイズムじゃないけど……たまにはそういった類のスリルを味わうのも悪くはない。俺自らが出向いてたっぷり相手をして……」


「たっぷりたっぷり、弄んであげなくちゃねぇ……?」


♂♀

 ――「野球賭博もそうだけど、君は本当に人を弄ぶことが大好きみたいだね」
 ――「んー……最初は別にそんなつもりじゃなかったんだけどねぇ……。まっ、これはあくまで俺の趣味の延長さ。俺がどういう行動を取れば相手はどう反応を示すのかを知りたいだけ。興味があるだけ……。案外面白いもんだよ? 新羅も試してみたら?」
 ――「お断りするよ。生憎、僕は君ほど人間に対する探求心は持ち合わせていなくてね」
 ――「……だよね。君には大事な『想い人』がいるわけだし? ……そりゃあ乗ってくるわけないか」
 ――「ほんと、臨也って悪趣味だ」
 ――「なんとでも言えよ。そんなの俺が一番理解してるんだからね」
 ――「……」
 ――「でも、誰が何と言おうと楽しいものは愉しいんだから手の引きようがないでしょ? 俺は享楽主義者ではないけどさ、欲望には忠実でいたいんだよね……。――まっ、そのうち直ぐに飽きるんだろうけど」
 ――「……折原君ってさ……」
 ――「?」


 ――「ほんと、救いようのない人でなしだよね……」

















 ――「……そりゃどうも」




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