間違い、だった。
 ――「俺もその臨也ってやつと会ってたりするかもしれない」
 それがいけなかったんだね。
 誠二さんが、愛しの首を取り戻すために、自分も折原臨也について探るって言ったから。
 私がそれに手を貸して、余計なことなんかをしちゃったから……
 誠二さんと彼を会わせたのが、私の最大の後悔と過ち。
 だって、そのせいで誠二さんは――
 私から、離れてしまったんだもんね。




美人薄命


 会いたい。
 会って、抱きしめてほしい。
 私の頬を撫でて、また、うっとりと何か言ってほしい。
 お願い、誠二さん……。
 戻ってきて――……!!


♂♀


 会いたい。
 会って、抱きしめたい。
 あの美しい顔を見つめて、この手で触れたい。
 温もりを感じながら、いつまでもいつまでも、あの完璧な顔を眺めていたい。
 ――衝撃的、だった。
 俺には彼女がいるのに、それすらもどうでもよくなるような、劇的な出会いを俺はした。
 漆塗りの髪。
 きめ細かくて白い肌。
 細い輪郭。
 遠くを見据える凛とした琥珀色の瞳。
 睫毛の陰。形の良い眉に整った鼻。そして血色の良い唇。
 背の割には痩身で、男にしては華奢な体つきをした二十歳過ぎの青年。
 それが、『折原臨也』だったんだ。
 折原臨也を一目見た瞬間、俺は彼に『運命』と『愛』を感じた。
 長年彼女に寄せていた愛が今まで偽りであったかのように、俺はその男に、瞬間的に恋をした。
 言うまでもなく、俺は同性愛者じゃない。でも、それでも。俺はあの男に心を奪われた。性別なんか、この際どうでもいい。
 恋をしてしまった。
 好きになってしまった。
 愛してしまった。なら――
 全てを棄てて犠牲にしてでも、俺は俺の愛を貫き通すまでだ。
 会いたい。  また 会って   ――
 自分のものに、したい――……




 ――まずい。
 まずい。まずい。まずい。
 とにかく、マズい。
 俺は今、危機的状況に陥っている。
 たった数分前の話だ。
 池袋の街を目的もなく徘徊していたら、波江さんの弟君の姿を見つけただけ。それは大したことじゃないし、現に俺は彼を見かけることは過去何度かあった。
 けどね、俺は今まで彼を見かけることはあっても、俺の存在を彼は認識していなかったんだよ。

 ――そう。『今まで』

 矢霧誠二の腕に巻き付いた張間美香が、俺を彼の世界に加えてしまったんだ。
 ――初めて誠二君と目が合った。
 思ったよりも真っ直ぐで、とても澄んだ色をした瞳だった。
『あれが折原臨也だよ』
 張間はきっとそう言った。
 そして俺はその瞬間、彼の中の『その他大勢』という枠組みから抜け出してしまったんだ。
 折原臨也を知覚した矢霧誠二は、呆然とした顔で俺の顔を食い入るように眺めた。
 横断歩道を挟んで、向かい合わせの状況。
 何の遠慮もなしに、それこそ穴があいてしまうほどに見つめられると、流石に心地悪い。
 目を逸らしてはみるものの、強い視線を無視しきれなかった。
 信号が青になる。
 人の波が、俺の両側を通り過ぎて流れていく。
 それは誠二君も同じだった。
 人の波に流されることなく、まるで樹木のようにどっかりと身を下ろして、そこを一切動こうとしない。
 美香ちゃんは困惑した表情で、誠二君の顔と俺の顔を見比べていた。
 信号が点滅し始めると、漸く彼は踏み出した。

 美香ちゃんを押しのけて、だ。

『誠二さん!』と明らかに焦った様子で彼を呼び止めようとする美香ちゃん。誠二君は、足を止めない。
 人の波に突き飛ばされた美香ちゃんは、そのまま流れに呑まれてしまった。
 誠二君の足は、真っ直ぐにこちらへと進められている。
 同じく真っ直ぐに向けられた目は、凄まじい力を宿していた。
 どうやり過ごせば一番ナチュラルでいられるのか考えてみたけれど、これといった方法は見つかりそうにもない。
 なら、このままでいることにした。
 妙な子だけど、興味がないわけじゃないしね。俺、人間が大好きだから。
 そうこう考えているうちに、誠二君が俺の目の前に辿り着いた。
 俺の真正面で立ち止まったんだから、彼が俺に用があるのは間違いない。
 さて、この子はどう動くか。開口一番、どんな言葉を口にするのだろう。
 わくわくと胸を弾ませて、無意識に緩んだ口許が弧を描く。
 その、頭の隅っこの方では
 何か小さな警鐘が微かに聞こえているのを無視して……。
 ――信号が、点滅を繰り返す。
 ――赤に変わった。
 ――車道信号が黄色に光って、
 ――こちらも、赤へ。
 やっとの思いで人波から抜け出た美香ちゃんは、ぎりぎりのところでこちらに渡ってこれなかった。
 彼女の視界を、車が遮る。
 俺の視界を遮るのは――
 矢霧誠二という、一人の高校男子だ。
 こうして近くで見てみると、なるほど、逞しい少年だ。背も高いし図体もいい。男気溢れるドタチンみたいな感じかな。
 誠二君はやっぱり、俺の顔を凝視したまま動かない。
 流石に不審に思った俺は、軽く首を傾げて疑問の目で誠二君を見つめ返した。
 すると誠二君は、あろうことか俺に向かって――


 微笑んだのだ。


「っ……」
 その、柔らかな笑顔に、不覚にも身体が震え上がってしまった。
 まるで最愛の人を見つけたような情熱的な瞳に、
 ひたすら感動を訴える口許に……
 そんな彼の全てが、俺にはとてつもなく不気味なものに見えたからだ。
 ――不意に誠二君が、俺の垂れ下がったままの両手を自分の手で取る。
 その瞬間
 警鐘が全力で音を打ち鳴らす。
 俺の脳味噌に、『まずい』の三文字のみが敷き詰められた。
「あの、」
 反射的に声を出してしまった事に対して、俺は猛烈に後悔をした。
 何故なら俺の声を聴いた途端に、彼の瞳の奥の烈しい感情が急激に増したのを感じたから。

 まずい。
 マズい。マズい。マズい。マズい。マズい。マズい。マズい。マズい。マズい。マズい。

 誠二君の手の熱が、俺に追い討ちをかける。

 まさかまさか。
 まさかまさかまさかまさか……――!?


「一目であなたに愛を感じました」


「――……―――――…………」
 その言葉に……否、告白に……
 俺は完全に言葉を失った。
 この俺が他人に言葉を奪われたのは、実質これが初めてかもしれない。
 頬を優しく撫でる熱の篭もった手だとか
 その光景を見てどよめくガヤだとか
 そんなことよりも
 俺は
 せり上がる怖気と
 むせかえるような寒気と
 どうしようもないほどとてつもない――

 吐き気と 闘っていた。

 誠二君が春風のような手つきで俺の髪を梳いた数秒後
 俺は全速力で――彼の前から、逃走した。


♂♀


 と、いうわけだ。
 ……しかし、まあ……。……こうして改めて考えてみると、なんだか情けないな、俺。
 俺がただの人間に、しかも高校生なんかにビビって逃げた――なんてさ。誉れ高き情報屋さんがなんてこった。
 ……と、そのついでに冷静に自己分析をするとだ、
 俺が彼から逃げ出した理由というのは――
 誠二君の語る『愛』に、恐怖を抱いたからだと考える。
 視線を交えていた時から本当は気づいてたのかもしれないけどさ、誠二君に触れられたことによって、彼の熱烈な愛が流れ込んできたことに対して、俺は何故だかとても逃避したくなったんじゃないかな。そうすれば辻褄が合うだろう?
 これを通して俺が学んだことは、俺と矢霧誠二は正反対の愛の哲学を持つということだ。
 俺は隔てなく全人類……まあ、シズちゃんを除いて……を平等に愛してるわけで、特別な誰かをつくるつもり毛頭ない。
 けど誠二君はその逆だ。
 ある一人の特別を見つけ出し、その特別な人にだけ愛を捧げる、いわば固執型の愛なんだ。
 俺と誠二君の愛に対する考えは、全く相性の合わないモノ。
 だから俺は彼に恐怖したし、寒気がしたし、嘔吐しかけたってわけさ。
 我ながら道理に嵌る結論だと自画自賛してみちゃったり。
 だけど池袋を彷徨う俺の両足は、急に動きを止めることになってしまった。
「……」
 ――「一目であなたに愛を感じました」
 真っ直ぐな、嘘偽りのない瞳と、心の底からの微笑み。
 俺の前に姿を現した矢霧誠二の全てが、脳裏に映像として浮かび上がる。
 ……俺に、愛を、感じた? ……それってなんか……。
 ……誠二君は、ネブラに吸収合併される前の製薬会社・矢霧製薬の人間で……
 矢霧製薬と言えば……ほら……
 ……俺の秘書も、矢霧……でしょ……?
 ……波江さんは、誠二君のお姉さんであって……
 ……波江さんは、その……。……肉親である誠二君に、本気で恋愛感情を寄せて――いて――……。
 ……。
 ……………………ああ、うそ……


 これって相当、ヤバくないか?


「……冗談抜きで俺の尿道がピンチかも」
 まるで死刑台に導かれる囚人のような重たい足取りで、俺は池袋にある事務所への路を探した。
 事務所に帰ればきっと、あの冷徹無尽の優秀な秘書が、滞りなく業務をこなしてくれているのだろう。
 どうしよう。俺、波江さんが情けないほど怖い。
 どうやら俺は矢霧の姉弟恐怖症らしい。




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