中学生の頃、俺は常に一人だった。『孤高の獅子』だとか、誉れみてぇな名称つけられるほど、俺は一人だったんだ。
だがそれは、俺のことを知らない他校生が言ってることで、実際、俺の通う中学ではみんな俺のことを『バケモノ』と吐き捨てて、『自動喧嘩人形』とまで呼ばれる始末だった。
『孤高』『バケモノ』『喧嘩人形』
この三つの言葉で大方予想はつくと思うが、そう、俺は暴力の塊みてぇな存在なんだ。
キレたら歯止めが効かなくなる。
小学生の頃の、眼鏡の変わったたった一人の友人は、俺のことを『今世紀最大にして最強の奇妙奇天烈な存在だ』とか言って騒いでたが、確かにその通りだと思う。
なんでこうなったのか、は、話すと長くなるから省略する。つか、俺自身よく分かってねぇ。
とにかく、俺に近づけば怪我をする。これは驕りじゃない、明確な真実だ。
だから俺は自分から他人と関わろうとはしなかったし、関わるべきじゃないと自ら距離を置いていた。
そんな、孤独な三年間。
決して静かとは言えなかったが、それとなく平和だった中学校生活が終わりを迎える、卒業式のことだった。
夕暮れ。静まり返る公園のアスレチックスの上の上。弟の幽とよく一緒にいた場所に、今日も俺はそこに居た。
小さな子供はとっくに親に連れられ帰ってしまい、この公園は閑散としている。
まるで、忘れ去られたかのように。
夕日が沈んだのを見送って、俺は暫く明るい夜空を眺めていたが、そろそろ帰らないと幽が心配すると思い、家路を辿ろうと腰を起こした
ところ、で――
「お兄ちゃん、いっつも一人だね」
この場に相応しくない、まだ幼い子供の声が、俺の鼓膜を揺らした。
徐に振り向く。そこには、無垢な瞳をした、五つ、六つの年の少年が、俺を見上げていた。
幼いながらも綺麗に整った顔に、漆黒の髪。そして、日本人にしては珍しい、赤褐色の目。
純粋に、驚いた。
最近テレビでよく見る子供役者なんかよりも、数段目の前の少年は端整な顔立ちをしていたからだ。
「どうして一人なの?」
真っ直ぐな眼差しで、問い掛けられる。
けど俺は、あるおかしなことに気がついた。
『なんでこんな時間にこんな子供が、こんなところにいるのか』って。
「お前、迷子か?」
「ううん。迷子じゃないよ」
尚更おかしい。
他にも思い浮かぶ可能性を尋ね掛けてみたが、目の前の子供は『ちがう』や『ううん』と言って首を振るばかり。
まさか家出とかじゃねぇよな?
そんな考えがふと脳裏を過ぎり、口を開いたところで――
目の前の少年は、子供とは思えないような綺麗な微笑みを浮かべて、淡々と言った。
「俺、一人なんだ」
小さな口から吐き出された言葉は、浮かべた笑顔とは釣り合わないもの。
余計にワケが分からなくなった俺は、思わず眉を潜めた。
こんな怖い顔をすれば、大抵の子供は泣きじゃくるだろう。
だけどこの餓鬼は違った。
泣くどころか怯むこともなく、先ほどと変わらない調子で俺に声を掛けてきた。
「ねえ、お兄ちゃんはどうして一人なの?」
その言葉は、少年が二言目に俺へ向けて言ったものと、同じ。
「ねえ」
少年は邪気のない笑顔を浮かべながら、畳み掛けるように、俺へと尋ねる。
まるで、俺を追い込むかのように。
「どうして一人なの?」
その妙な圧迫感に、俺は思わず言葉に詰まった。
少年の笑顔はどこまでも美しく、恐ろしく……
どこまでも果てがない、心の読めない笑顔だった。
「どうして……か……」
的を射たような質問に、何と返せばいいのか分からなくなる。
ひたむきな視線を直視するのに耐えかねた俺は、少年から目を逸らして僅かに目を伏せた。
一人でいる理由なんて、一つしかない。
「俺がバケモノだからだよ」
薄く、笑みを浮かべて答えてみせる。
自嘲気味な、自虐的な俺の笑みを見て、少年は不思議そうな目をして首を傾げると、次にはニッコリと、年相応の愛らしい笑顔を咲かせてみせた。
そして、嬉しそうに言ったんだ。
「じゃあ同じだね!」
まるで新しい友達を見つけたかのように、
胸を踊らせながら、満面の笑みで紡がれた言葉に、俺は一瞬だけ驚きに目を見開いた。
でもすぐに、底を尽きない疑問とやらが波のように押し寄せて、俺の頭の中に渦巻きを作り出す。
どうして自分は一人だと告白したのか。
何故悲しい顔一つしないのか。
何故笑うのか。そして、
なにが、同じなのか。
「でも違う。お兄ちゃんはウソつきだ」
そんな俺の思考を掻き乱すように、また、少年が不可思議なことを口にする。
「お兄ちゃんは怖がってるだけだよ。人を、自分自身を恐れてる。傷つけて傷つくことが怖いから、自分から逃げてるだけだ」
まるで全てお見通しだとでも言うかのように、核心を衝いたような言葉から瞳から、何も逸らせなくなってしまう。
それでも少年は言葉を浴びせかける。
容赦なく、
俺の内側を打ち破っていく。
まるで永年生きてきたかのような顔つきで……
永年様々な人を見てきたかのような、口ぶりで。
「お兄ちゃんは優しい臆病者なだけ。それって凄く人間らしいとこだよ。だからお兄ちゃんはバケモノなんかじゃない。本当のバケモノっていうのはさ……」
そして、俺が瞬きをした瞬間――
「俺みたいなのを言うんだよ」
すぐそこにいた少年は、消えていた。
「!!」
それはあまりにも突発的な出来事だった。
飛び降りて辺りを見渡してみるものの、公園に人の気配はない。ましてや、子供の姿なんて見当たらなかった。
「どうなってやがんだ……!?」
あり得ないことが起こってしまった。
そんな衝撃に、恐怖よりも早く驚きで頭が満たされる。
そんな俺を、ふと影が覆った。
ほぼ反射的に振り仰いだ先に、俺が見たものは――
「なっ……」
狐。それも尾が九つある。
街頭の逆光のせいかはよく分からないが、そいつは影のように黒かった。
そしてなにより目を引いたのは、鋭い紅蓮の眼球。
その姿は、まさに、
バケモノ、だった。
そいつは今さっきまで俺がいた場所に、しなやかな姿勢で居座り、俺を見下ろしていた。
ガラス玉のような赤い瞳に反射して映る俺の顔は、笑えるほど間抜けなものだ、なんてことを、この状況で客観的に思う。
そのことから、俺は決して目の前のこいつに怯えていないことが理解できた。
そして、少し後から恐怖を抱いていない理由に辿り着く。
こいつにあの餓鬼の面影を感じたからだ。
――『俺、一人なんだ』
ああ、そういうことか。
少年の言葉が、漸く繋がる。
「お前も、一人なんだな」
微かに小さく、優しい笑みを浮かべて、どこか納得したように声をかける。
するとそいつは、一度俺を真っ直ぐに見据えた後、タンッと僅かな音を立てて、軽やかに宙へと舞った。
光を浴びる黒い毛並み。
風に靡く九つの尻尾。
不気味でしかない筈の瞳は、ルビーのようにも見える。
――ひどく現実離れした、光景だった。
ザアァ……と、波打ち際のような音を立てて、強い風が通り過ぎる。
思わず目を瞑ってしまった俺が次に瞼を持ち上げた時、そこには既にそいつの姿は消えていた。
着地してそのまま何処かへ駆けて行ったのか、幻のように呆気なく消えてしまったのかは分からない。
だが、それでいいと思った。
あいつはこの世に存在する。
この街の、池袋の、日本の、世界の何処かに存在している。
不思議と確信していた。
きっと俺とあいつは、再び出会う時が来るのだろうと。
同じ『一人ぼっち』だからこそ、俺達は引き寄せられる。
俺は何もない空間に含み笑いをすると、家路へと踵を返した。
まさかその再会が、すぐ訪れるとも知らずに。
その再会が、最悪なものであることも知らずに――。