池袋某所

 池袋で人と会う約束を終えた臨也は、普段着ないような色の服に身を包み、街中を優雅に歩いていた。
 普段彼は池袋の街を暗躍しているため、昼間から街を堂々と歩く事は珍しい。天敵の平和島静雄がいるため、羽を伸ばして池袋の街を満喫する事は今までなかった。
 ――ジャケットは白でボトムはグレー。流石にインナーは黒にしたけど、色眼鏡も付けてるわけだし、すぐには俺だと見破れないだろう。いくらシズちゃんでも、そう簡単には――


「イーザーヤーくーん?」


 ――……。簡単には……分かるわけない……よね……?
 脳に響いた声は大嫌いで大嫌いで……大嫌いという言葉では足りないほど、憎く鬱陶しく殺意さえ芽生える聞き慣れた聞き飽きた男のもので。
 思い浮かぶ人物は、やはり一人しかおらず……。
 正面の雑踏に目を凝らせば、金髪とバーテン服というディープインパクトな容姿の男が、真っ直ぐにこちらへと大股で迫ってきていた。
 ――ここで反応しちゃダメだ。だって俺の恰好を見て! 普段と全然違うんだよ? 超爽やか系お兄さんじゃん! バレるわけないよ! しかもあんな遠目から? ……大丈夫。バレてない。きっとシズちゃんは普段の俺と似た恰好をした奴と俺を間違えたんだよ! このまま通行人Aとして横を素通りする。OKそれで行こう。
 そう心に決め、臨也は踵を返すという選択を切り捨てて足を進めた。
 一歩足を進める度に、静雄との距離が縮まる。
『今からでも背中を向けて逃げよう』という脳の指示を無理矢理無視して、意地になって前進する。
『逃げ出したい』
『いける。前進』
 二つの選択がグルグル廻る。
 平静を装って通行人Aを演じ続ける臨也だったが、内心は焦りで一杯だった。
 ――なんでこっち見てんの。
 ――なんで迷わずこっちに向かってくんの。
 ――……俺の後ろの人? 俺の後ろの方角に、君の言う『イザヤくん』はいるのかな?
 ――バレてる。いや、バレてない。
 ――バレるもんか。この完璧な変身を……
 ――面影一つ残らないファッションを見て、俺と分かるわけないじゃないか!
 あと数歩で接触するという距離でピタリと足を止めたのは静雄。
 動じず、臨也は歩みを進める。
 そのまま道の妨げである静雄を一般人がするように避けて通過できればクリア。
 顔は伏せずに、でも目は合わせない。自然体を維持して、一歩、一歩――
「……。――シカトしてんじゃねえ!!」
「っ!!!?」
 静雄を通過して一歩踏み出した地点。
 ミッションクリアと思い、安堵して胸を撫で下ろそうとした瞬間――
 静雄の長い腕が、臨也の白いジャケットのフードをガシリと掴んだ。
 それも、グレーのファーが毟り取れてしまいそうなほど、強く。
 ――あ、ヤバい。
 ――バレてるよ、これ。
「……」
「……」
 街中。
 バーテン服と白服。
 通行人Aを演じ切る予定でいた青年は――
 観念したように息を吐きながら肩を竦めると、サングラスを押し上げてから静雄を睨み上げた。
「なんでバレたの? 普段付けない香水も付けたんだから、君の言う『俺の匂い』は消えてると思うんだけどなあ……?」
「……手前は服装やらサングラスやら香水やらで誤魔化そうとしてたみてぇだが、どうやら俺には通用しねぇらしい。俺には直ぐに手前だって分かった」
「理屈じゃないってか? ハハハ!こりゃ面白い。実に滑稽な話じゃないか。君が如何に俺を見てきたか――」
「ああ、見てきたとも」
「……は?」
 底知れぬ違和感。
 普段の静雄なら絶対にブチギレるような発言をしたにも拘わらず、殴られも怒鳴られもしない。
 思い返せば今日の静雄はやけに冷静だ。
 ――……待ってよ。今のは否定するところじゃないか?
 思わず首を捻る臨也をよそに、静雄はあろう事か臨也のフードを引っ張って路地裏へと足を進める。
「ちょっと!」
「俺は手前を見てきたさ。常に手前が視界にちらついて。面見る度にイライライライラ。うぜぇうぜぇうぜぇうぜぇ……!」
 まるで溢れる感情を言葉にして募るものを吐き出すかのように。
 何かを呟きながら無遠慮な歩幅で奥へ奥へと突き進む静雄に、臨也は抵抗するのも忘れてただ引っ張られ続けた。
 どこか剣呑な雰囲気がひどく痛い。
 ブツブツ、ズカズカ。
 ズカズカ、ブツブツ……。


♂♀

街外れの道端

「……」
「……」
 ――なに、この状況……。
 白い服を身に纏った折原臨也が、居心地を悪くしているのには理由がある。

 街中で静雄に見つかってしまった臨也は強制的に何処かへ連行されてしまった。
 連行されて数分後、静雄は人気のないこの場所に辿り着くと、とっ捕まえていた臨也を解放して立ち止まった。
 さらに数分後、今に至る――。

「……」
「……」
 ――なんなの、こいつ。なんで、だんまりなの?
「……」
「……」
 静雄はただ自分の爪先を睨み付け、両膝の横で拳を作ったまま停止している。
「……」
「……」
 静雄はただ自分の爪先を睨み付け、両膝の横で拳を作ったまま停止している。
「……」
「……」
 静雄はただ自分の爪先を睨み付け、両膝の横で拳を作ったまま停止している。停止している。
「……」
「……」
 静雄はただ自分の爪先を睨み付け、両膝の横で拳を作ったまま停止して――
 ――あぁぁああぁ!! もうっ!
「シズちゃんさあ、俺に何か言いたいことでもあるの? だからこんなところまで俺を引っ張って来たんでしょ? 折角わざわざ俺が大人しくついてきてあげたんだから、機会を有効に使いなよ。シズちゃんが黙ってたら意味ないじゃないのさ?」
 永遠と続きそうな沈黙に痺れを切らした臨也が、イライラを押し込めた声で尋ねてやる。
 話を切り出してやることによって、先に進めると思ったからだ。
 すると静雄は露骨に苛立った顔を浮かべて眉根を寄せる。
 ――そんな顔したいのはこっちだっていうのに、まったく配慮に欠けるねぇ……。
 含み笑いの裏で憫笑する臨也。
 瞳が憫笑していることに気がついた静雄は、より深く眉間に皺を刻むと、不機嫌な声で呟いた。
「いちいちウルセーなぁ……雰囲気が壊れるだろが」
 ――何を言ってるんだ、こいつは。
 静雄の言っている意味が全く読めず理解に苦しむ臨也は、思わずこめかみを押さえると『やれやれ』と言った動作で首を振った。
「なんかよく分かんないけど、とりあえず用件はなに? 人前じゃ言いにくい事なんでしょ? あまり焦らすと俺帰るよ?」
「分かった。分かった言う。だからまだ帰るな。つーかさせねぇ俺の膂力で阻止する」
「……だよねぇ」
 ここに辿り着いてから『逃走』を試みてはみたが、全て静雄によって無言のまま速やかに阻止されたことを思い出し、臨也の唇は歪な半円を描く。
 静雄はタバコを取り出し指で挟むと、口に咥えた。
 そして、ライターで火を付ける。
「……」
「……」
 穏やかな表情で、タバコを吸っては煙を吐き出す。
「……」
「……」
 タバコを吸っては煙を吐き出す。
「……」
「……」
 タバコを吸っては煙を吐き出す。吐き出す。
「……」
「……」
 吸って、吐く。吐いたら吸って、再び吐く。また吸って、吐いて、吸って、吐いて――
「帰る」
「待て」
 本気でこの場から退場しようとした臨也の腕を、静雄は難無く捕まえて、ただ一言、『待て』と言った。
 ――まだ待てと!? ここまで待ってあげたのに、まだ待たなくちゃならないの!? シズちゃんと俺が逆の立場だったら、即行俺を殴り飛ばしているってのに……!?
 あまりの理不尽さに、絶句する。
 しかし、次第に静雄に対する苛立ちと怒りが、熱湯に浸かる温度計の如く上昇し――
 堪忍袋の緒が切れた。
「ふざけないでよ! もう待ってらんない!! 言いたい事があるんならハッキリ言えば!?」
「う……うっせえな!! この状況で何も察しない手前が悪いんだよっ!」
「はあ!?」
 逆ギレだ。逆ギレされた挙げ句、『手前が悪い』とは、とんだ言われようではないか。
 その静雄の言葉が臨也の怒りに拍車をかける。
「意味分かんない!」
「なんでだよ!『ずっと見てきた』っつやぁ、大抵予想はつくだろが!!」
「ずっと見てきたぁ……? ああ、あれね。あの後何かブツブツ独り言言ってたよね。 ……あれが、なに?」
「鈍感っ! 気づけよバカッッ!!」
「ば……馬鹿ぁ……!?」
 思わずカッとなって顔が赤くなる。
 そんな臨也とは対照的に、静雄は別の意味があって顔が赤かった。
 臨也はそのことに気づかない。
「馬鹿に馬鹿って言われたくないね!」
「いいや、手前のがバカだ、大バカだ。俺もバカだがお前のが遥かにバカだ」
「っ、馬鹿馬鹿言うな! シズちゃんなんかと比べられたくないね、この単細胞!」
「んだとお……!?」
 もはや小学生の喧嘩だ。
 臨也はフンっと鼻を逸らすと、嘲るような声で静雄に言葉を刺した。
「だいたい、なんなのそのキレ方。しかも、好きな奴に告白する人みたいな顔しちゃってさぁ……」
「……」
「……あれ? どうして黙るの?」
「――っっ……やっぱり手前は鈍感大バカ野郎だあぁぁあぁあああ!!!!」
「なんでっ!!!?」


 その後、二人はいつものように追いかけっこをして、池袋を飛び出し、関東某所の海辺まで仲良く喧嘩をしたそうだ。
 海辺でどうなったのか。
 その真相は、仕方なく静雄と共に電車に乗って新宿に戻ってきた臨也と、池袋に戻ってきた静雄自身に訊く他ない。
 もっとも、それは命が幾つあっても足りない行為であるから、お勧めはしないが……。
 自殺志願者は、是非、逝ってらっしゃい。







意中之人……心の中で密かに想いを寄せている人。
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