目に見えるのに触れられないというのはもどかしいもので。今日も私は、同級生の傍らに浮いている緑色の物体を盗み見る。
同じクラスの影山茂夫君、通称モブ君は超能力者だ。小学生の頃から知ってるからそれは認識している。いつの頃からか、まだ義務教育なのにどこかでバイトをしているという話も聞いた。昔から幽霊が見える体質だった私は、相談がてら他の女子よりは比較的彼と話す方だと思うので、モブ君の大まかな情報は知っているつもりだった。
だけど。幽霊を飼い始めたなんて知らなかったし、生きてる人間と同じように愉快そうに会話する幽霊がいることも知らなかった。
「ん? お前、シゲオんとこのクラスの」
こんなに気さくに話しかけてくる幽霊は、このエクボくらいのものじゃないかと思う。少なくとも、今までの私の人生で見てきた幽霊は、未練の言葉や生前の恨み辛みを現世にぶちまける陰鬱な存在で。緑色にぼんやりと光って見えるエクボは、下手をすれば私の中では幽霊とも違う小動物のような認識になっていた。
「モブ君は一緒じゃないの?」
「俺様はいつもシゲオと一緒な訳じゃねーよ」
「大体一緒じゃない」
「お前は何やってんだ、こんな街中で」
「おつかいだよ」
へらりと笑って持参したエコバックを見せれば、興味なさげな「ほぉ〜」という渋い声が返ってきた。「ついてくる?」と尋ねると、「散歩がてら護衛してやるよ」なんて、お互い触れもしないのにそんなおどけた返事をしてくれる。親しみやすい幽霊だなぁ、と思わず声を漏らして笑った。
他愛もない話をしながら街を歩く。ちょうど帰宅する会社員や学生が多くて、夕暮れの街を歩くのは少し窮屈だった。エクボは普通の人には見えないから、あまり堂々と話してると変な人に思われてしまう。何でもない話をしているのに、なんだか内緒話をしているみたいで楽しい。
「そこのデパートで買い物するんだよ。ここでしか売ってないドレッシングがね、すごく美味しいの」
「ほぉ〜、拘ってんなァ」
大きな交差点の横断歩道で、知らない人達と信号待ちをしながらひそひそ話す。隣に立ってるおじさんに何だか変な目で見られてる気がしたけど、この場限りの縁だから多少は気にしないことにした。
「はあ、寒いなぁ。エクボあったかそう」
「悪霊に何言ってんだお前」
「だってほっぺ赤いしさ。触れたらいいのに」
緑色に手を伸ばすけど、案の定すかっと空を切る。わかっていたけど少し寂しくて思わず苦笑すれば、エクボも呆れたような顔をしていた。ちょっと違うけど、撫でようとした猫に逃げられた気分。
信号はまだ変わらない。車が行き交う音が殆ど耳を支配している。
「ッおい!!」
だからだろうか。後ろではしゃいでいる高校生の声が聞こえなかった。
気を抜いていた体は、不意に後ろからぶつかられた衝撃で前傾する。頭から突っ込んでいく先は、先に
言った通り車が行き交う交差点で。
頭の中の冷静な部分が、あ、死んだ、なんて呟いた。その瞬間、前に傾いていた体が突然後ろ目掛けて方向転換。ぐらりと揺れた視界の目の前で、大きなトラックがこれ見よがしに横切ったのを捉える。一瞬周りの全ての音が消えてしまったような気がした直後、周りにいた人達が一斉にわぁっと歓声を上げた。落ち着いて分析すると、私の腕は隣に立っていたおじさんに掴まれていて、私はこの人に助けられたんだと分かった。
――いや、違う。これは。
「気ぃつけろ、間抜け」
知らないおじさんの声で伝えられる、この言葉は。
「……エ、ク」
名前を呼ぼうとしたところで、エクボはおじさんの体から抜け出した。そのまま私の手が届かない上空まで飛んでしまって、私は疑問符を上げるおじさんを褒め称える群集に構わずそれを見上げる。
既に青色に変わっている歩行者信号の傍らで、エクボは私を見下ろした。ニヤリと、整っているとは言えない顔面を緩ませて。
「護衛してやるって言っただろ?」
そのままふわりと風船のように去ってしまった彼を呆然と見送る。
不思議な幽霊で、小動物みたいに思ってた、のに。
(ああすれば、触れられるんだ……)
ドキドキとうるさい心臓には、危機を回避できたものとも少し違う理由がある。それはきっと、彼への感情が小動物を通り過ぎてしまった証拠なんだろう。