エマージェンシー、エマージェンシーです。わたしはとてもピンチです。ピンチはチャンスだなんてカッコイイ事を言っている余裕はありません。人生最大の危機に瀕していると言っても過言ではありません。
もう秋も通り過ぎ、冬がこんにちはしているこの時期、吹く風はわたしの肌を乱暴に通り過ぎます。誰が通って良いと許可しました? ……いえ、すみません。軽いパニック状態です。それくらいにわたしは窮地に立たされているということです。
「よお、嬢ちゃん。どうした? こんな所で震えてよ。風邪か?」
その時、聞き覚えのある降ってきました。天祐です。神はわたしをポイ捨てしなかった!
「神様仏様エクボ様ぁっ!」
「うっお?! なんだ……今日は嫌に積極的」
「助けてください」
ふよふよと宙を行く緑の物体――幽霊エクボの小さな手をガシッと掴みました。ギョロっとした目を不思議そうに瞬かせ、頭に疑問符を浮かべたような顔をしています。
それもそのはず。わたしと彼はこうして手を取り合って仲良しこよしな間柄ではありませんから。どちらかというと、天敵。こいつは茂夫さまを良いように利用し、己の目的を達成しようという悪しき霊。茂夫さまが除霊しなくても良いと仰るのでわたしは彼を生かしているのです。
けれど、背に腹は替えられません。今は猫の手も、悪霊の手すらも、借りれる物は何でも借りたい気持ちなのです。
「エクボ、前の方にいる人に憑依しなさい」
「……いつもの嬢ちゃんに戻ったな。まぁそれでこそ嬢ちゃんだし、落ち着くけどよ。で、なんだって憑依しねぇといけないんだ?」
「御託はいい。可及的速やかに憑依し、豆大福を十個、買ってきなさい」
「……はぁ? 豆大福だぁ?」
土曜日ともなると早朝から近隣住民のみならず遠方から人が押し寄せるこの和菓子屋。最近わたしの中に唐突に訪れた第一次豆大福ブームに乗って様々な口コミを調べ、辿り着いたのがこの群森堂という店でした。
三大豆大福制覇の第一歩を踏み出した途端に、このザマである。なんと、私の目の前で売り切れの可能性があると言うのだ! ここにいる全員が上限数買ってしまうとわたしにまで回ってこない!
皆勤賞を狙っている私は平日に学校を休んで店に来る訳にもいかず、こうして真面目に土曜に早起きして来店したというのに。
「そんな下らねえことに俺様を巻き込むなよ……」
「下らなくなんてありませんよぉ……わたしは今日という日をカレンダーに書き込み、指折り数えてきたんです……わたしは、今日、ここの豆大福を買わないと死んじゃう体なんです……」
「んな大袈裟な……泣くなよ……」
この涙は本当です。霊幻さんに時給300円で、都合も問わずこき使われている身としては、今日の休みは貴重なのです。それに茂夫さまにわたしのお仕事をお任せして、来たのですから尚更のこと。食べないと死んじゃう体は嘘ですけど。エクボは本当に焦っているようです。チョロいなこの悪霊。
「……俺様にも一個、食わせろよ?」
そう、肩越しに振り向いて見せた笑顔がとても格好良く見えて、わたしの心臓がドクンと大きく跳ねました。な、なんなのですか。わたしは、茂夫さまが好きなのに。こんな気持ちになってしまうなんて。
――そうです、こんな気持ちはニセモノです。
霊幻さんも言ってました。わたしは年上に惹かれる年頃なのだと。
思考を巡らせているうちに男性に憑依したエクボが豆大福を買ってきてくれました。
わたしは下を向いたまま、紙袋を受け取りました。
「あ、ありがとうございます……」
「食いたかったんだろ? ま、この兄ちゃんが可哀想だけどなぁ」
エクボが憑依した男の胸を立てた親指でトンと叩きました。その動作に、またドキリとしました。くそ、くそ……なんだというのですか。
早速、豆大福を食べようと思い、わたしたちは近くの神社にある石造りのベンチに並んで座りました。
出来立ての豆大福は、口の中でふわっと、溶ける様に消えていきました。大粒の豆の食感がとても楽しいです。程よい甘さの餡が上品で、これはなるほど、口コミにあったようにいくつでも食べられてしまいます。
なのに、わたしの気持ちは、今、念願叶った豆大福ではなく、エクボへと向いているのです。
「え、え、え、エクボの、馬鹿野郎ーッ!」
「え、ちょ、おい……?!」
八つ当たりもいいとこです。けれど、わたしはこのままだと本当にエクボを好きになってしまいそうでした。そんなのは、間違ってる! 残りの豆大福はエクボに押し付けて、わたしは走り出しました。