特に用事はないが、茂夫の元を離れ街を見回っていた。珍しいこともなく、これなら学校に戻って茂夫といたほうが暇が潰れそうだなと考えていた矢先、建物の陰にいる見知らぬ男女の姿が目に飛び込んだ。
「離してください、人呼びますよ。」
「そんなこと言わないでさ。どうせ人なんて通らないんだし」
よくある、タチの悪いナンパのようだ。霊体であるエクボの姿は見えていないのだろう、男は今にも女を襲いだしそうだ。
仕方ない、暇だしな。
めんどくせぇな、と毒づきながら左手に力を溜める。
「ちょっと遊ぼうって言ってるだけじゃ……うおわぁぁあ!?」
エクボが男の頬を殴りつけると、男の体はすぐ近くのビルの外壁に叩き付けられた。やりすぎたか、と思うと同時に、まだこの程度の力しかないか、と改めて自身の弱体化を認識する。
「……エクボ?」
少女の声に吸い寄せられるように振り向くと、やはりそこには知らない女がいる。
いや、この感じは。
「……なまえ、か?」
公園に場所を移し、なまえはベンチに座り噴水を見つめている。
「さっき、助けてくれたのよね。ありがとう。」
返事をする気にはなれない。この女ならエクボが助けずとも自力でなんとかできる力があったはずだ。先ほどの男に抵抗しなかったのは、『普通の女』を演じていたのだろうか。
その胸中を察したのかはわからないが、なまえはフッと微笑んでこちらに向き直った。「ところで、」
「ずいぶんかわいくなったのね。野望は潰えた?」
「からかってんじゃねえよ。お前こそ、なんでそんなガキに取り憑いてんだ。」
「あら、この子に頼まれたのよ。生きるのに疲れちゃったんだって。」
なまえは悪霊だ。昔組んでいたこともあるが、他にやりたいことがあると言い残して消息を絶っていた。やりたいことが何なのか、エクボは今でも知らない。
「ねえ、エクボ。家族のことって、覚えてる?」
「あ?なんだ突然。何年前だと思ってんだ?覚えてねえよ。」
訝しげな視線を送ってやると、なまえは困った様に首を傾げてから噴水に視線を戻した。
「この子……この体の子ね。家族にすっごく愛されてるのよ。私も親のことすらよく覚えてないんだけど……人間だった頃は、こんな感じだったかな、って」
「……お前」
「怖い顔しないでよ。なにもこの子の体をもらっちゃおうなんて思ってないわ。」
声を上げて笑う顔の持ち主はエクボの知っているなまえではないはずなのに、懐かしく感じた。
「……私、さみしかったのかもしれない。」
エクボが神様になっちゃったら、きっと私のことなんて構ってくれなくなるでしょう?
そう言って立ち上がるなまえの顔は見えない。エクボには見られたくないのかもしれない。
「ま、この子かわいいし、今は構ってくれる人も多いから平気よ。」
さっきみたいにね、と付け足すのは、皮肉なのか本気なのか。どちらにせよ、エクボの心をざわつかせた。
先ほどのような男についていくこともあるということか。
気にする必要はないはずなのに、口が動いた。
「その体、返せよ。」
「この子が心配?悪霊なのに律儀ね」
「ちげぇよ。」
エクボの否定の意味がわからない様子で、無言で言葉の続きを催促している。
「体、本人に返したらよ。」
「?」
「俺様んとこ来いよ。体はねえけど、話し相手くらいはしてやれる。」
なまえの喉からヒュッと空気が漏れる音がする。目は見開いて、エクボを捉えて離さない。
それはエクボも同じで、なまえから目が離せないでいる。
「……ほんと?デートも?」
「してえのかよ」
「したいわ」
「……おう。」
我ながら中途半端な返事だがなまえには充分だったようで、借り物の体を通してくしゃりと笑った。
「ふふ。そんなに満たされて、成仏しちゃったらどうしよう。エクボのせいよ。」
笑い飛ばしきれない冗談を言うと、つん、とエクボの頬をついた。
お互い様かもな、とエクボが呟いたのを、なまえは聞き逃さなかったろう。