あたしは今、駅のホームの隅っこで息を潜めている。
 薄汚れた点字ブロックを見下ろしながら、気になってるのは次に来る電車の時間じゃない。目の端にうつる霊のことだ。背の高いスーツの男の人と、大人しそうな男子のそばに浮いている、緑色の人魂みたいなもの。
 あれは絶対強い霊だ。特に意味もなく幽霊が見えるだけの、あたしの体質。これまでの経験からわかる。あんなにはっきり見えるなんて。
 あの二人のどっちかに取り憑いてるのかな。ほっといたらそのうち死んじゃうよね。つたえるべき? 電波女と思われることは確実だけど。
「おいお前、俺様が見えてんな?」
 急に近づいてきた人魂に声をかけられて、心臓が止まるかと思った。目をつむる。
「霊とは目を合わせちゃいけない。わかってんな。だが、俺様はお前に危害を加える気はねえ。能力持ってんならお仲間がいるぜって、教えてやりに来ただけだ」
 こんなに積極的に話しかけてくる霊なんか初めてだ。
「あたしは見えるだけ。能力とかすごいのじゃない」
「そりゃ苦労したな」
 霊に慰められるなんて変な感じだ。
「あの人たちに取り憑いてるの?」
「いや。面白そうだからたまに構ってやってるだけだ」
 安心した。通りすがりとは言え、人が死にそうなのをほっておくのは心苦しい。
 ふうん、となにやら声を出して、霊は言った。
「お人好しのお前に教えといてやろう。霊に反応しちゃいけない。神になる男からの忠告だ」
 相手が俺様でよかったな、と言い捨てて、人魂は二人の元に帰っていった。


 電車の中で、あたしはまたしても息を潜めている。
 ほとんど人のいない車内で、座っているあたしに密着してきた見知らぬ男。湿った視線で舐めるようにあたしを見ている。腕を組んで隠したその指先が、不審に動く。
 痴漢だ。
 でもどうしたらいいんだろう? このガラガラの車内で「やめて下さい!」と叫んで何になるのか。殴られたらどうしよう。
「おい、よく聞け」
「ひっ」
 降ってきたのはさっきの霊の声だった。変態と霊と、両方が間近にいる。たすけて。
「俺様がコイツに憑依するから、この人痴漢です、って叫べ。あとはなんとかなるから」
 言うが早いか、隣の男が呻いた。すこし痙攣して、静かになった。
 そして、さっきコソコソしていたのが嘘みたいに、あたしの太ももをわしづかみにした。大きな手が内ももに滑り込んで、鳥肌が立つ。
 このひとちかんです、と口に出したあたしの声は、恐怖にひきつれて、冗談みたいに小さい。
 それなのに、離れたところに座っていたスーツの人と男子が駆け寄ってきてくれた。
「次の駅で降りましょうか。モブ、見たな?」
 男の手を掴んでスーツの人が呼びかける。
「は、はい。この人痴漢してました」
 男子が緊張した顔でうなずく。拘束された男が声を上げる。
「あでで、霊幻いてえ! あとで覚えとけよ」
 それはたしかに、あの霊の声だった。
「うるせーこの悪霊、どさくさに紛れて女の子に何してんだバカ」
 スーツの人とやりとりする男の両のほっぺたには赤い丸が浮かび、陰湿な雰囲気はかき消えている。
 目と目があうと、男は口の端をつりあげて笑った。
「ひとつ貸しだぜ、嬢ちゃん」



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