夕焼け
「忍足! いま! どこ!?」
どうやら六限目はしっかり眠りこけてしまったようだ。
震える携帯電話に揺り起こされ通話に出れば、らしくなく声を張り上げるヒナちゃん。
「教室、やけど」
寝起きの回らない頭で答える。
教室にはクラスメイトたちの姿はすでになく、時計を見上げれば長針は5に差し掛かっていた。誰か起こしてくれてもええやんけ。
硬い机に背を丸めてつっぷしていたせいで、身体中が凝っている。
大きく伸びをした瞬間、廊下を走るバタバタという音がした。そうかと思ったら、教室のドアが力いっぱい開かれる。
「全国! 行けるんだって!?」『全国! 行けるんだって!?』
生の声と電話越しの声が少しの時間差で耳に刺さる。飛びつくようにこちらに駆け寄り、ヒナちゃんはぐっと顔をこちらに寄せた。
俺らも昨日聞かされたばかりだというのに、さすが新聞部。耳が早い。
まるで自分のことのように喜ぶその表情がくすぐったくて、「そうなったらしいわ」となんとなく斜に構えた返事をしてしまう。
するとヒナちゃんは何か言いたげに口をパクパクさせてから、困ったように眉を下げた。
大人っぽく見える彼女には珍しい表情だ。その今にも泣き出してしまいそうな顔は、俺の胸をぎゅっと締め付ける。
ヒナちゃんの大きな目に、諦めの色がよぎる。
それから――。
「――ッウェイ!」
反射的にずっこけてしまう。
なんやねんそれ、全然自分のキャラちゃうやろ。
そう茶化そうとしたが、ヒナちゃんの目はあまりに必死で、言葉が出てこなくなった。
まるで俺の瞳に答えが書いてあるかのように、こちらを見つめるヒナちゃんの顔は切実だ。長いまつげが西日を受けて金色に光っている。
こんな真剣な表情を見るのは二回目。一回目は、この間の大会の時。
俺は彼女のことをなんにも知らなかったんだなと気付かされた。
見た目は大人っぽい美人さんで、だけど中身は調子のいいおしゃべりが上手なおもろい子。人付き合いが上手で、見栄っ張りで、結構いいやつで、納豆が嫌い。
一緒にいて居心地のいい、きやすい女友達。
そんな風に思っていた子が、こうやって不器用に、必死に言葉を悩んでくれている。
そう思うと、なんだかたまらない気持ちになった。
――カタン。
ヒナちゃんの携帯が床に落ちる音。それから間髪入れずに、両手をぎゅっと握りしめられる。
「どないしたん」
返事はない。
いつもは雄弁な唇は固く引き結ばれて、その代わりとばかりに強く強く手を握られる。その手は、小さく震えていた。
――頑張れだとか、おめでとうだとか、もしかしたら不本意かもしれないけどだとか。
華奢でひんやりとした手が、ヒナちゃんの精一杯の言葉を尽くしてくれる。不覚にも、視界がにじみそうになってしまった。
またあいつらとテニスが出来る。まだ、終わっていない。俺は、俺達はもっと上にいける。
震えるほどの喜びが体を支配して、ようやく全国大会に出られるのだという実感がこみ上げてきた。
だって『大会開催地枠』だなんて。質の悪い冗談のようだ。それで全国に行けることになったとして、喜ぶのはおかしい。頭のどこかでそう思っていた。
でも、きっとそれは違うんだろう。
「ヒナちゃん」
かすれた声で名前を呼ぶ。頑張るからとか、ありがとうとか、それ以外の言葉にならない気持ちとか。
勘のあまりよろしくない彼女にも、どうか伝わってくれたらと思った。
――瞬間、全ての光が赤になる。
振り返って窓の外に目をやると、空が煌々と燃えていた。
鮮烈な夕焼け。
その色は今まで見たどんな赤よりも美しくて、ぞっと肌が粟立った。向かいからは息をのむ音がする。
瞳を朱に染めこむような夕映えは、全てを黒い影にしてしまうほど明るい。本当に、なにもかもが燃えてしまっているようだ。
恐ろしいほどの夕焼けは、あっという間に色を変えていく。それでも、俺にはあの赤い一瞬が永遠のようにも思えた。
本当に、奇跡のような瞬間だった。
「……すごい」
重なっていた手を再び強く握りしめられ、やっと我に返る。
「せやな」と窓から視線を戻して――、一時に色んなことが起こりすぎて頭がパンクしそうだ。
夕焼け空があまりにも赤くキレイで世界を燃やすようだったので、俺は向かいで呆けた顔をする女の子を『運命の人』だったのかと勘違いしてしまったようだ。
やって、あんまりに出来すぎやないかこんなん。
誰に言い訳するでもなく、俺は否定できない事実を苦し紛れに肯定してみせる。
名残の茜色に焼かれたヒナちゃんの頬はバラ色で、まるで映画の中のヒロインのようだ。女の子はまとう色でこんなにも雰囲気が変わってしまうのかと驚かされる。
「忍足と一緒に見れて、ほんとうによかった」
急に、ヒナちゃんが特別な女の子に見えた。
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