└2
私の中学最後の夏は、そんなスタートではじまった。
だけど私が恋だとか恋じゃないとかで一喜一憂している間にも――忍足の戦いはとっくに始まっている。
彼の所属する男子テニス部は都大会を駆け抜けて、明日はいよいよ関東大会の一回戦だ。
当事者でもないのに、なんだか緊張してしまう。
ベッドに転がりながら、携帯のアラームを設定する。さきほど忍足に送った応援メールには、『まあぼちぼち頑張るわ』と彼らしい返事がきた。
我らが新聞部は、この時期は毎年テニス部を追っている。それは私が入学してくる前から恒例で、ここ数年の氷帝男子テニス部の強さは凄まじいものだった。
私は他の部活ばかり記事にしていたけれど、それでも彼らの活躍は耳に届く。今年の夏は、私が男子テニス部の記事を担当することになった。別に、下心があるわけじゃない。
部長たちはなんだか生ぬるい微笑みで過去の記事を見せてくれた。下心があるわけじゃないって言ってるじゃないか。
面映い思いで寝返りを繰り返していると、握りしめていた携帯が鳴る。
ディスプレイには、そろそろ見慣れた『おしたり』の文字。
こちらの返事を待たずに送られてきたメールの内容は、『応援しにきてくれるんやろ?』の一言だけ。忍足のメールはいつも短い。
『もちろん。ヒーローインタビューするからね』と打ち込んでから、送信ボタンを押す手が止まった。プレッシャーになるだろうか。
そんなタイプではないように思えるが、同級生の忍足のことは大分わかってきても、テニスプレーヤーとしての忍足のことを私は何も知らない。『千の技を持つ天才』だったっけ。跡部が誇らしげに吹聴したのがはじまり、かどうかは知らないけれど。
とりあえず考え直して『もちろん、新聞部だからね』と送った。
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わっと歓声が上がる。
青学の桃城の強烈なスマッシュに、忍足のカウンター技が見事に決まった。テニスコートに立つ忍足の真剣な表情は、こんな時だけれどすごくかっこいい。彼が天才と言われる所以が、わかったような気がした。
彼の強さは勿論努力に裏打ちされたものなのだろうけど、しなやかな動きから繰り出される技の数々はまるで魔法のようだ。
そのまま相手に有効打を打たせないまま、ゲームカウントは4−0。試合運びは、完全に忍足たちが握っていた。辺りに湧き上がる応援の声にも一層の熱が入る。
第一試合目にして、圧倒的な強さを見せつける氷帝。今年は関東大会優勝、それどころか全国だって――。
そんなムードを切り裂いたのは、奇しくも再び繰り出された桃城のスマッシュだった。
そこからの青学の追い上げは、凄まじいものだった。みるみるスコアは縮まって、ついには6ゲームを連取されてしまう。
ただただ呆然してしまった。どこかで、忍足たちが負けるわけがないと高をくくっていたんだろう。
……けれど、試合はまだ一戦目だ。団体戦の勝敗はここからだって取り返せる。
私は俯いてしまいそうな体を必死に抑えて、第二試合がはじまったテニスコートを見つめる。
忍足の表情は、フェンス越しの背中からでは伺えない。
D2、D1、S3、S2――。
戦況は目まぐるしく移り変わり、見ているこちらにすら息をつくヒマを与えない。苦しくて、それでもいつまでも見ていたくなるような試合ばかりが続く。
そして迎えた、S1。
「――氷帝! 氷帝!」
『彼』の試合は、お決まりのコールではじまる。
一勝二敗ノーゲームという劣勢だけれど、跡部の表情に焦りは見られない。いつも通り不遜な笑みで、傲慢な態度で、彼の背中は、涙が出そうになるくらい頼もしかった。
魂を削り合い、研ぎ澄ましていくような試合は、一時間半を越えて、タイブレークを迎える。
――それでも永劫にも続くように思えた試合は、7−6というスコアで幕を閉じた。勝者は、跡部。二人への惜しみない賞賛の拍手が空を覆う。
ゲームカウントは、これで二勝二敗ノーゲーム。
控えの選手による第六試合が行われることになった。
準レギュラーの日吉若という二年生に、勝敗が託される。相手はまだ一年生のルーキーらしいけれど、それでも彼にかかる重圧は並大抵のものではないだろう。そんな恐ろしい状況であるというのに、ここから見る彼はまるで自然体のようだ。ゆっくりと柔軟を終えて、コートに入っていった。
初夏の真っ白な太陽が照りつける下、私はただ祈るように手を握りしめることしか出来なかった。
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「以上により、三勝ニ敗一ノーゲーム。――青学の勝利です」
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生け垣のふちにへたり込んだまま、立ち上がることができない。
ティッシュを探すのも億劫で、私は行儀悪く鼻をすすった。――こういうのは、何度味わっても慣れない。
部活動が盛んな氷帝学園では春夏秋冬、どこかの部活がなにかの大会に出ては、勝ったり負けたりしている。優勝するまで勝ち続けなければ、当たり前だけど負けてしまうのだ。もちろん優勝以外だって素晴らしい結果だ。それでも、新聞部として色んな大会を見に行く度に、苦しいなあと思ってしまう。
勝負の世界というのは、門外漢の私からすればとてもうつくしく、残酷に見える。
「ヒナちゃん」
共に悲しむのが正解なのか、それともその美しさを賞賛すればいいのか。どうしようもないことを考えている私に、聞き慣れた声が振ってきた。
顔をあげると、帰っていったはずの忍足の姿があった。
正直いまは会いたくなかったんだけど。
掛ける言葉が見つからない。
いつもならいくらでも話せるのに。こんな時は、口なんてなければいいのにと思ってしまう。口がなければ、なにか言わなきゃいけないなんて思わずにすんだ。
でも残念なことに私には立派な口がある。なので優しい忍足は、私がなにか言うのをじっと待っててくれている。
それでも、やっぱり私は彼に掛けられる言葉を見つけられずにいた。
ぎこちない沈黙に、忍足の唇から小さくため息が落ちる。
「……インタビュー、せえへんの?」
こんな時まで、笑ってくれなくていいんだけどなあ。
「それできてくれたの?」
「慈郎が、ジャージ忘れてもうてな」
そう言ってから、視線がそらされる。
テニスコートを焼き付けるように見つめる横顔は、途方もなくうつくしかった。そう思ってしまう自分が嫌だった。
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