スニーカーとハイヒール

 降り納めとばかりに、激しい雨がアスファルトを叩く。これが終わればきっと梅雨も明けるだろう。
 そう思えば、この溺れてしまいそうな湿気と雨の匂いもそう悪いものじゃないように思えた。

「すっごい雨やなあ」

 多分それは、隣に忍足がいるからというのもある。
 まだ恋じゃない。まだ恋じゃないけれど、私はこの気のいい関西人といる時間が好きだ。

「そうだねえ。あ、傘もうちょっとそっちにやっていいよ」

「女の子が体冷やしたらあかんで。って、これセクハラか?」

「いいえ、優しさ」

 忍足は穏やかで、面白くて、意外といじわるで、やさしい。
 登校中の満員電車で傘をバキバキにしてしまった私が昇降口で途方に暮れていたところ、通りがかった忍足が「どうせ一緒だから」といれてくれることになった。
 友だちはみんな逆方向なので、正直とても助かった。氷帝は閑静な住宅街の真ん中にあるので、駅へもコンビニへも少し距離があるのだ。

「あ、購買で買えばよかったのか」

 しかしふと思い立ってしまう。忍足も隣で「あ」と口を開いた。その顔が可愛らしいのと自分の迂闊さに、つい笑ってしまう。

「まあいいや。忍足と相合傘出来たし」

「よかないわ。肩びっしょびしょやでほんま」

「テニスプレーヤーが肩冷やしたらあかんで」

 そう言って横に半歩近づく。雨の匂いに混じって、忍足の匂いがした。「しれっと言いよるわあ」と言う忍足の笑い声が、耳に心地いい。多分別々の傘だったら、雨音がうるさくてこんなにちゃんと聞き取れなかった。
 忍足には悪いけれど、やっぱり傘が折れてしまってよかったなと思った。

 お詫びとして駅で暖かいコーヒーを買って渡したら、「また飲めへんのに買うたんか?」だって。





 今日は梅雨が明けて一回目の土曜日。外はじっとしているだけで汗ばむほどの暑さで、もう夏なんだなあと思った。
 折角の晴天の休日。友だちと買い物に行こうという話になり、今は電車を待っている。10時のホームはいつもと違って、色んな色に溢れている。今年の夏服はかわいいなあ。

 今日は新しいワンピースを見て、あと出来ればサンダルが欲しい。そんなことを考えていると、カバンの中の携帯電話が鳴った。待ち合わせている友だちだろうか。
 ディスプレイに出ている名前は、『おしたり』。確かにこの間メールアドレスを交換したけれど、うっかりまじまじと眺めてしまう。

「――あ、電話か! もしもし」

 慌てて出ると、「おはよう」『おはよう』と二重で忍足の声がした。

「……おはよう」

 いつの間にか現れたのか、彼は隣に立っていた。それからこちらに気付かないふりをして「今なにしてるん?」とのたまう白々しさ。
 ここで笑ってしまうのも悔しくて、「わたしメリーさん。いまあなたのとなりにいるの」と呟いてやった。

「ほんまや」

 わざとらしい目を見開いて、悪びれなく言う忍足。「ほんまやじゃないよ。びっくりした」と批難してはみせるが、やっぱり堪えきれずに笑ってしまう。
 はじめて見た忍足の私服は、灰色のTシャツとベスト、それにベージュのパンツ。靴は黒のスニーカー。私の趣味ではなかったけれど、顔とスタイルがいいのでよく似合っていた。

「後ろ姿だけじゃ判別できんくてな。でも声かけて、ちゃうかったら恥ずかしいやんか」

「ひどい。友だちなのに」

「まあこんなまっきんきんな髪、そうおらんよなあ」

 これは金じゃなくてローズゴールドです。
 彼は細かいと思ったら急に大雑把になる。





 どうやら忍足も同じ駅で岳人たちと待ち合わせらしく、また二人で電車に揺られる。
 「今度は乗り過ごさないようにせなな」と、忍足は電車を同じくするたびに言う。「起こしてね」と言ったら「ヒナちゃん、後は頼むわ」と返された。頼まないで。起きてて。

 いつもは長い移動時間も忍足と話しているとあっという間だ。
 一気に降りる人混みに流されないようにしながら、階段へと向かう。そこで忍足は「今日オシャレしとるから危ないやろ。肩掴まってええで」となんでもないことのように言った。

「あ、ありがとう」
 
 あんまりにも手慣れたエスコートに、言われるがまま肩を借りる。大きな駅なので降りる人も多く、階段の手すりにはつかまれそうになかった。
 手を乗せた友人の肩は骨ばってしっかりとしている。男の子なんだなあと、改めて感じた。

 ――他の女の子にもこうして肩を貸したんだろうか。忍足は優しいから。
 胸の奥にふわりと黒いものが入り込む。名前はわからないけれど、多分嫉妬とかそんな感じのものだろう。……まだ好きじゃないけど。いや、好きだけど。好きだけど、まだ恋じゃない。

「姉ちゃんがな、カカトのたっかい靴履いてる時にうるさいんや」

 忍足は時々、まるで私の気持ちを読めるかのような発言をする。

「ふうん、仲良しだね」

 口では平気なふりをするけれど、忍足の勘の良さにはいつも驚かされてしまう。驚かされてしまうのは、その一言で一気に気持ちが軽くなってしまう自分にもだ。
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