かわいい人

 忍足と付き合って一ヶ月が経つ。
 彼は本当に、恋人として優秀な人だ。

「ヒナちゃん、アイス食べたない?」

 お昼休みのカフェテリアはいつも賑わっている。一面窓ばりなので、とても明るい。私たちもその一角で食事を取って――今日は牛肉のキャセロール。「これがキャセロール……」と驚いていたら忍足に笑われた。――、食休み中だった。
 大分夏めいてきたけれど、冷暖房完備の校内はいつでも過ごしやすい。それでも私は忍足の提案に一も二もなく頷く。
 それから拳を作って「じゃんけん――」と、言うが早いか、忍足はもう一度口を開いた。

「一緒に買いに行こ」

 かわいい。
 そうなのだ。見た目が格好いいばかりに勘違いしそうになるが、忍足はものすごくかわいい。付き合う前から薄々感じていたけれど、かわいい。

「……クラスちゃうから。出来るだけ一緒におりたいやん」

 私の無意識の笑顔が、からかっているように見えたのだろう。忍足は目線を窓の外にやりながら、気恥ずかしそうにつぶやいた。

「そ、そういうとこだよ忍足」

 気遣い上手なところとか、話してて面白いところとか。付き合ったらきっと幸せだろうなあと思っていた彼の長所はたくさんあった。 
 でも実際付き合ってみると、なにより、この人かわいいなあ……!と思うことが多い。そういう一面を見せられる度にどんどん好きになってしまうのだから、こちらとしてはたまったものじゃない。

「なんやねんいきなり」

「なんでもない。行こ」

 私の恋人は本当にかわいい。

 購買は昼食どきを過ぎたので、いつもよりは空いていた。
 一番奥にあるアイスケースを二人で覗き込む。新味のソフトクリームも気になったけれど、それはまた今度にしよう。

「なににしよっかなー」

「イチゴにしよかな」

「なんでこっち見ていうの」 
 
 ストロベリーブロンドなんやろ。と忍足。惜しい。ローズゴールドです。

「じゃあ、イチゴは一口もらうとして」

 なんでや。とツッコむ声を右から左に流す。まあまあ、私のもあげるから。
 ――よし、キャラメルナッツにしよう。

 ケースの蓋をスライドさせ、ようとしたところ、同じく手を伸ばした忍足と手が重なる。
 ピリッ。
 忍足は弾かれたように、勢いよく手を引いた。
 
 ほらかわいい。
 指先が触れただけのことで、なんて初初しいリアクションだろうか。「忍足くんって手慣れてそうだから、付き合ったらすごいリードしてくれそう」と噂話に花を咲かせていた頃の私――外野とは得てして勝手なものだ。――に見せてあげたい。
 
「ヒナちゃん、顔赤いで」

 ……私もかわいいー。
 最近、忍足に触れると、触れた箇所から甘酸っぱい静電気のようなものが走る。そのおかしな電気信号が顔に血を登らせるんだろう。きっとそうだ。

「いや、その、他者との身体接触に、慣れてないの」

「人工知能みたいなこと言うやん」

「これが――心?」

「照れ隠しへったくそやなあ」

 改めてアイスを取り出す。それからクスクスと笑い合いながら、レジに並ぶ。

「お互い様だね」

「……せやな」

 顔は、まだ少し熱かった。





 とまあ、ああ見えて照れ屋な忍足と、どう見えてるかしらないけどこう見えて乙女な私では、それはもう進展がない。
 なんの進展かと言えば――、スキンシップその他それに類するものについて。
 つまり、まだ手も繋げていない。





「ヒナちゃんがめっちゃ褒めるから、髪くくりにくくなったわ」

「それが、心だよ」

「これが……心――? ってなにやらせんねん」

 部活を終えて校門前で待ち合わせ、それからの帰り道。閑静な住宅地を通り抜けて、駅へと向かうこと十数分。
 忍足と家の方角が同じで本当によかった。

「ロボット忍足くん」

「なんですか?」

「敬語の忍足ってすごい違和感ー。標準語だからかな」

「やらせといて」

「イントネーションは微妙に違うけど」

 よかった、けど。忍足とは、時間の合う限り一緒に帰っている。つまりこれで十回以上になるのだけれど。

「ロボたりくーん」

「はーいはい」

 手ぇつなご。の一言が言えないまま、十回以上を過ごしてしまった。
 かわいい恋人はどんなかわいい反応をしてくれるのか。見たくてたまらないのは確か。

「て、」

「て?」

 それ以上に、触れたいという気持ちが強い。
 恋心を自覚してから、どうにも、忍足に触れたくて仕方がない。
 一度だけ握りしめたことのある、大きくて豆だらけの手の感触を思い出して体温が上がる。意外と暖かった。その熱に、もう一度触れたい。

「テレビ電話」

 そんな下心を持っているせいだろうか。どうしても恥ずかしくて、本題を切り出せない。

「そんな機能はついとりまへん。この顔で我慢してや」

「あらあ」

 て、て、手。

「かっこいいから、その顔で手を打ちます」

 手だけに。なんちゃって。

「おおきに」

 くだらないことを考えていれば、あっという間に駅についてしまった。
 今日も言えなかった。ため息をこらえて、ちらりと横を歩く忍足の顔を見上げる。伏目がちな長い睫毛が、一本だけ癖づいている。そんなことがどうしようもなく可愛かった。好きだなあと、思う。
 明日こそ頑張ろう。そう、心のなかで決心をする。

「電車、何分後かな」 

 改札前の電光板には、十八時四十五分と書いてある。

「えっとなあ」

 忍足が腕時計を確認すると同時に、電車到着のアナウンスが鳴った。

「あ」
 
「――ヒナちゃん、走るで」
 
 忍足はそう言って、私の手を引いて走り出した。
 ようやく触れられた彼の手は、記憶よりも暖かくて口からは細い悲鳴が出てしまう。嬉しいとかドキドキするとかよりも真っ先に、「私の決心を返せ」と思ってしまうのだから、まったく褒められた性格をしていない。

「……頼むから、なんも言わんといて」

「……は、はい」

 実際に口に出来たのは、か細い返事だけ。
 一歩後ろを走りながら、もう一度見上げた忍足の薄い耳はほんのりと赤くなっていた。多分、きっと、私の顔はもっと赤いんだろう。
 繋いだ手に込められた力は強くて、男の人で、この時ばかりは「かわいい」だなんて思えなかった。
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