入学式
そこに踏み入れるまで、彼女はごく普通の少女だった。
だった。
「あ、」
なんの変哲もない、私立の中等部の正門。
そこをくぐり抜けた瞬間に、彼女は気付いてしまった。思い出してしまった。変わってしまった。記憶が二重写しになっていく。ブレていく。ずれていく。流れ込んでくる。
膨大な知らない人間の記憶。溢れ出る感情。とどまることのない欲望。
処理の追い付かない脳がぐらぐらと回る。足元が、まるでゼリーのように感じる。思考回路が熱で焼き切れる。
「大丈夫?」
崩れそうな彼女の体を、まだ発達途中の華奢な腕が支えた。はじめて聞く、聞き慣れた声。
「た(ああそうだ)ば(私は百人の子どもと)こ(石油王三人を庇って)す(庇って?)いたい(ここはどこだ)」
「え?」
「あ?」
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入学式というのは長い挨拶と長い挨拶に次ぐ長い長い式典だ。
過半数の生徒はあくびを噛み殺し、残り数少ない入学生は希望に胸をふくらませていた。
彼女、かやは――、
「(死んで、生き返った。違う。死んで、もう一回やり直した。もう少し違う)」
流れ込んできたもう一人の自分の記憶を、必死に整理していた。そう、自分だ。家庭環境やその他のスペックの大部分は違っていたが、考え方や生き方、どれもが今のかやになんの違和感もなく入ってきた。
むしろ先の体験から時間が経つほど、二人の自分が併合してくる。
「(2×+14=今って感じだ)」
併合すればするほど、かやにとってその事実はどうでもよくなってくる。
思い出すのは、先ほど己を支えてくれた温かい手。
「(乾貞治!!)」
演台で入学生代表の答辞を読んでいる少年。
「(大石秀一郎!!)」
隣の席。
「(菊丸、英二……!!)」
見知った姿よりも大分幼い、いやこの姿でさえ知っている少年たち。かやに流れ込んできたもう一人の自分の世界では、『漫画の中のキャラクター』だった。
己の記憶を遡ると、他にも二重に見知った顔が現れる。
「(そんなことより、煙草吸いたい)」
かやの口からは、深い溜息が落ちた。
「やっぱり、退屈だよな」
まるでそれをすくい上げるように、隣からひそめられた可愛らしい声がする。
「(あの記憶が本当なら、この子は)」
「菊丸英二だよん。とりあえず、一年間よろしく!」
「……うん、よろしく」
邪気のないの笑みを浮かべる菊丸とは対称的に、かやは含みのある深い笑みを浮かべた。
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