恋人はサンタクロース
冬休みがはじまって三日目。そんなことよりクリスマスだ。
今日は乾貞治と迎えた三回目、付き合って初めてのクリスマス。私は、浮かれていた。
それはもう浮かれていた。いつものことではないかと思われてしまうと思うが、輪をかけて浮かれていた。今朝張り切ってピンクのブラウスに腕を通した瞬間、私は己の浮かれっぷりに愕然とした。そして自分が所詮デートにはピンクを着てしまうような女だったということに呆然とした。
それはそれとして、クリスマスだ。
待ち合わせ場所は私の家の最寄駅。乗り物酔いをする私を慮って、乾は時々そうしてくれる。『時々』なのは、毎回だと私が恐縮してしまうから。だと言うけど、私の辞書には恐縮だとか遠慮だとかは載っていないのだから杞憂だ。
勿論我らがデータマンの乾貞治は、「そうってことにしておいてもいいけど」と訳知り顔で微笑む。
――私の、無神経に見えて意外と気にしいでかつ大雑把というあまり褒められない性質を、彼はこの三年間で随分と理解してくれていた。
恋人がデータマンと言うのは、気恥ずかしいけれど結構いいものだ。
そんなふうに考えていた時期も、私にはありました。
乾と合流して、遅めの昼食を取ろうと向かった洋食屋。
今日の乾はトレンチコートに黒のハイネックセーターというあまりにもかっこよすぎる服装だった。出会って三秒即死亡。佐波かやよく死ぬ。
そんな男前の前でガツガツと貪れるはずもなく、楚々としてオムライスを食した後、乾から手渡された輸入雑貨店の包装を解けば――静電気防止のブレスレットとヘアピンが顔を出した。
「メリークリスマス。気に入ってくれると、嬉しいんだが」
はにかむ乾の顔は百点満点!
しかし、私のリアクションがワンテンポ遅れてしまったことを誰が責められるだろう。
かわいい。品は確かにめちゃくちゃかわいい。台紙に結び付けられた三連のブレスレットは、白い猫が付いているモノ以外とてもシンプルでこれなら学校にも付けていけそうだし、同じシリーズだろう銀のヘアピンも石がついた華やかなものとシンプルなものがセットになっている。あまり装飾品を付けない私でも気負わずに使えそうだ。
「ありがとう! 嬉しいよ!」
勿論、これだって心からの言葉だ。手の上のそれらを見つめれば、自然と笑みが溢れる。石が店の照明を受けて放つキラキラとした光が、私の瞳をじんわりと滲ませた。
それでも頭の片隅にあるのは、静電気に困ったこともヘアピンをつけたこともねえなあ! という益体もない言葉だった。百年、もとい三年に渡るラブ・アピール(ラブ・アピール)において、彼の、こと恋愛においてのポンコツっぷりは痛いほど理解していたが、己の性格の悪さにはほとほと嫌気がさす。
――いや、一度だけ静電気を理由で、彼の提案を断ったことがあった。もしかしてそれを根に持っているんだろうか。そうだとしたら、乾だって随分と意地が……。
「そっか。ブレスレットのネコが、なんとなく佐波に似てると思ってね」
はい百点!!
私はいそいそとヘアピンを付けて「似合う?」と満面の笑みを浮かべた。恋する乙女なんて、例え性格が悪くたってこんなものだ。
「うん」
素直に同意されてしまい、顔が熱くなる。いつもは俯いてごまかせたが、ヘアピンのせいでそれも出来ない。赤くなった頬と耳を隠す術が奪われてしまった。
こいつ、これも計算づくで……?
「よく似合ってる」
しかし伺う彼の表情に含みはなく、どうやら私が勝手に穿って考えていただけのようだ。ますますばつが悪くなって、グラスに残っていたアイスティーを飲み干す。
ブレスレットだってヘアピンだって、本当は、本当に嬉しかった。
ただあまり女らしいとは言えない性分なので、素直にこういう可愛らしいものを身につけるのは苦手なのだ。きっと乾が考える女の子へのプレゼントからは、随分と悩んで私らしいものを選んでくれたのだとは思うんだけど。
「ブレスレットの方も、つけてみてくれないか」
やっぱり、可愛らしすぎる。
耳の上で光っているだろうヘアピンも、今つけたブレスレットも、どことなくいつもと違う乾の視線も、どうにも私の尻の座りを悪くさせる。だってここで出る単語が尻だもの!
先日相談に乗った友人にも言ったけれど、アクセサリーというのは『あえて』付けるものだ。その『あえて』にどれだけの気合を必要とするかは人それぞれだろうが、それでも誰でも『あえて』アクセサリーをつける。
どうも私にはその『あえて』が苦手らしく、気恥ずかしくてどうしようもなくなる。
「思ってたとおり、似てるな」
くすくすと小さく上がる笑い声が、ますます体温を上げた。
こういう甘ったるい雰囲気も苦手だ。乾の可愛いところベストテンを叫び出したくなる。
「ところで、どうしてそのブレスレットが静電気防止になるかは知っているか?」
こちらの気も知れず、乾は意気揚々と仕入れてきた知識を語りはじめた。こんな時、恋人がデータマンで本当によかったなあと思う。『コロナ放電』だとか『導電性繊維』だとかの単語は、甘い空気を断ち切るのに十分だ。
楽しそうに語る乾にうんうんと相槌を打っていれば、恋人の佐波からファンの佐波に移ることは容易だった。
ファンとしてなら、散々悩んだプレゼントだってどうにか渡すことが出来る。
「じゃあ、私からも。メリークリスマス」
紺地に赤い星が散らばった袋を手渡すと、「ありがとう」と柔らかな声が返ってきた。ファンサとして過分なお言葉だ。
「エプロンなんだけど、お家に帰ってから開けてね」
どうせ飲まされるドリンクがまずいなら、走馬灯くらいは良い夢が見たい。そんな思いから選んだプレゼントだ。
黒いエプロンをしゃっと着こなした乾を思いながら失神できるのなら本望よ。
「……今あけちゃだめ?」
は、はわわわわ〜! 乾の喋り方って食べ放題みたい〜〜〜〜!!
そうやってはしゃいでいるうちに、デザートのチーズケーキもやってきた。オムライスも美味しかったけれど、チーズケーキ! すごい!
「お口にあったみたいだね」
「すごい!」
「うん。なんとなく伝わった」
すごい味。感受性とボキャブラリーに乏しいので詳細は省きます。すごい味でした。美味しい。
最後の一口を名残惜しみながら飲み込んで、「さて、次のプランは?」と向かいでコーヒーを飲む乾――カップを傾ける姿のかっこよさたるや。――に水をむける。今日の予定はまるっと彼におまかせだ。
「そうだな」
ちらりと腕時計を確認して(え、やだ、かっこいい!)、にんまりと笑みを浮かべる乾(え! 本当にかっこいい! 嘘でしょ!? これが、リアル……)。
「とりあえず、出ようか」
「う、ん!」
▼
十二月も暮れに差し掛かり、冬の寒さは本番を通り越して、通り越して、なんだこれは。
「さーむーいー!」
空は雲一つない晴天で、真っ白な太陽は小さいながら照っている。それでも、寒い。
店を出た瞬間、私はコートのポケットに手を突っ込んで、背中を丸めた。隣の乾は相変わらずしゃんと背筋を伸ばし、ブルドックのように顔をしかめる私を楽しそうに見ている。
「なに笑ってんだおら」
浮かれたクリスマスソングが流れる商店街を通り抜け、多分向かう先は駅だろう。
「寒そうだなあ、と」
「寒いわよ。で、どこにつれてかれるの?」
「まずは映画を見に行って」
勿論チケットは買ってある。と得意げだ。可愛い。となると目的地は二駅先。
「その後、青色LEDのイルミネーションを見に行こう」
――となると、目的地は……何駅先になるんだ。
まあいい。年に一度くらいは、そういうイベントモノに乗っかるのも悪くないだろう。なにより乾は随分とウキウキとしているようで、科学少年の鱗片が垣間見えるその横顔はやっぱりとてつもなく可愛い。開発されたばかりの実現不可能と言われていた『青』。乾の琴線にビシバシ触れたことだろう。
「人混みが酷いだろうけど、私も気になってたし」
「ああ、人が大勢いるだろうな」
いるだろうなあ。ニフラム、ニフラム。私よりレベルが低い人はクリスマスにイルミネーションなんか見に行かないか。
「でも、いきなり犬が飛び込んでくることはないと思うんだけど」
詮無いことを考えていた私に、乾が手を差し出す。
一瞬何を言っているのか分からなかったが――、理解して、理解して、恥ずかしくなる。
「それに」
「……静電気対策も、してあるし?」
恋人がデータマンというのは、厄介だ。下手なことを言って提案を断れば、きっちり解消法を持ってきてしまう。
犬が来た時逃げられないから。静電気がするから。私が『手を繋ぐ』という彼の提案を断った理由だ。
「そうだな」
乾の大きくて暖かい手が、私の手を包み込んだ。
――歌います。
乾と接触状態 、show time、冗談抜きに状態異常、大変だから勘弁してちょうだい。
「――〜〜〜〜無理だッ!」
「わけを聞かせてもらっても?」
「乾に触ってる状態は、ステータス異常」
「ひ、人を毒沼みたいに」
ステータス異常:恋。効果は『死』。
大きな幸せの代償に、私は大きな対価を払っている。三歩歩くごとにHPが一万減る。オーバーキルもいいところだ。
逃げた手を、乾はもう一度握りしめてきた。再び、全身が心臓になってしまう。
「三分ごとに離せば、いいかな」
それでも、あんまりにも幸せに微笑まれてしまうから。柔らかく繋がれた手を、振り払うことなんて出来なかった。
「こっち、見ないで」
「佐波が照れている確率」
「……なによ」
「いや、言ってしまうのは無粋だな」
「いっそ言えよぉ!」
恋人はサンタクロース。本当はデータマン。
ブレスレットの白い猫の仏頂面も、どことなく幸せそうだ。
[ 41/41 ][*prev] [next#][
back to top ]