携帯電話2
家に帰ってもからも、携帯電話から手が離せない。
いま幸せは、私の手の内にある――。
それは噛み締めても噛み締めても味のある、アタリメのような幸せだ。……例えが酷い。
内面はもう遅いとして、せめて外面だけでも努力しようとうろ覚えの美容体操に精を出す。今の私、変な形してる。なんだこれ。
ちょっとした混乱状態にありながら脳裏によぎるのは、「最近ちょっと受け身すぎやしないだろうか」ということ。
呼び捨てだって、料理に挑戦したのだって、このメールアドレスも。全部乾から持ちかけてくれたものだ。これはいけない。このままでは行き着くところは飽食の豚だ。
気高く餓えなければ勝てない。誰かがそう言っていた。
ということで手始めに、自分から乾にメールを送ろう!
――決意したはいいものの、携帯電話を見つめたまま一時間が経過した。ドキドキする。恋しちゃってるな多分……。
乙女気分を出すために、音楽を流すことにする。選んだのは勿論この恋にふさわしい、『ミッション・インポッシブルのテーマ』だ。ここでラブソングを流せないあたり、私のヒロイン力(ぢから)の限界を感じる。
結局メールを送ることが出来ないまま、晩御飯もお風呂も済ませてしまった。もう言い訳に出来ることはない。ミッション・インポッシブルにはいい加減飽きたので、音楽は一旦止める。
……携帯の前で正座して、文面を考える。
………やっぱりなんか流そうかな。DVDとか。
…………駄目だ。この家、哀川翔しかない。
………………うわ! 携帯鳴った!
「あ、亜久津か」
また一歩怠惰なフォアグラに近づいてしまったかと思ったが、ディスプレイに表示された名前はいとしの乾ではなかった。
何を送っても怒りの絵文字マークが返ってくるのが面白くて、ついつい色んなことを試していたのだ。「十字路!」に「怒りマーク」が返ってきたときは、亜久津が十字路を絵文字で表現している……と一人でツボに入った。
「錨の絵文字」に返ってきたのは、やっぱり「怒りマーク」。さながらラップバトル。
「……おもしろい。次はカニでも送っておくか」
ばかやろう。電子の海に海産物を放流し続けている場合か。いい加減にしろこの骨なしチキン。
私の頭の中のハートマン軍曹がマイルドに私を叱咤する。
いやでも無理だ。なんて送ればいい。ハートマン軍曹代わりにメール書いてくれ。
「俺の尻にキ……」
確実に正気を失っている。まずちゃんと見てないしな、『フルメタル・ジャケット』。
落ち着こう。なにをそんなに緊張することがある。ただのメールじゃないか。ただの連絡ツールだ。いつも通り、普通に話しかければ……。
読書感想文みたいなメールが出来た。作文用紙にでも書いとけばかやろう。
私の頭の中の北野武、今日絶好調だな。どうした、髪切った?
「気が狂いそう……」
なんだ私の頭の中の北野武って。
このままでは、頭の中におっさんを生み続けただけで日付が変わってしまう。この間に亜久津の元に届いたカニは4体だ。
私は深く息を吸い込んで、覚悟を決める。
「今度、部活がやすみ……おやすみになったら……」
どうせ気合を入れるなら一つも二つも同じだ。私はかねてから考えていた、乾をデートに誘うという挑戦に出る。デートですって。
他校を偵察に行くときは、本当に偵察だけで解散だ。私はもっと乾と話したいし、それに、なんというか。なんというか……。
「恋する女の子って強いなあ」
一文字一文字打つ度に、吐き気がこみ上げてきた。緊張のしすぎて胃がキリキリしているからだ。
『こんばんは 来週の日曜日どっか遊び行きませんか』
……ゲロ吐きそう。人を好きになるのってこんな地獄なのか。感情を失いそうだ。
「ああもう! 送っちゃえ!」
勢いに任せて送信ボタンを押す。もう後戻りは出来ない。
――悪あがきで送信したメールを消してしまう。意味はないのはわかっているんだけれど……。
とりあえず頑張った! 頑張ったぞ私! 偉い! ご褒美にピザポテト食べな。
今度は返事を待つという地獄に陥るのだが、なんとか約束は取り付けられた。ピザポテトを片手に胃を痛めた甲斐があったというものだ。
『楽しみにしてる』と書かれたメールを、私は眠りにつくまで何度も何度も見返した。
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