夏休み2

 他校への偵察もこれでー、えっと、大分回数を重ねた。乾の研究熱心さはやっぱりすごい。
 今日はいよいよ、氷帝学園だ。
 氷帝学園か。重ね重ね言うが、私が前世で憧れていた王子様は乾、赤澤、そして忍足侑士。ルドルフの二の舞いにならないよう、とりあえず死ぬ程腹筋をしてから待ち合わせ場所の駅へと向かった。以前の失態は、体力が有り余っていたことが招いた不幸な事故だ。

「おはよう」

 日焼け止めを塗っても塗ってもこの身を焦がしてくる太陽より、乾のかんばせは眩しい。毎朝乾と挨拶を交わせるだけで、どれだけ幸せか。これ以上を望むのは、やっぱり不相応ではないだろうか。
 せめてもう百人くらい石油王を救って死ねていれば……と思わずにはいられない。

「おはよう。氷帝って色々すごいんだよね」

「うん。今年入ってきた一年生がいきなり部長になってから、大分変わったらしいよ。そうでなくても、二年前から全国区レベルの強豪校だから」

 電車に揺られながら、楽しそうに事前に調べた情報を教えてくれる乾は今日もウルトラスーパーかわいい。大丈夫。氷帝にどれだけかわいい仔猫ちゃん達がいようとも、隣の乾が私にとっては一番。好きよ、好きよ、好きよ。



 ――うっわーー! 忍足侑士(中学一年生)めっちゃくちゃかわいい!
 もうこのパターンにも慣れてきた。私はそろそろ自分の度量を知るべきだろう。ここのところ、即落ちのてんどんがひどい。
 広い広い学校の広い広いコートで跳ね回る妖精のような岳人と、そんな彼と息を合わせ、時にはフォローし、時には果敢に攻め込む、そんな忍足侑士は……忍足侑士は……。

「ッかわいい……!」

 ダブルスっていいな。すらりと伸びた四肢に、美形じゃないと許されない無造作な長髪、まだあどけなさの残る顔立ち。白皙の横顔はあんまりにも美少年すぎて、ヴェニスで死ぬところだった。

 乾が少し離れた場所にいてよかった。私のうめき声は届かなかったようで、彼は忍足たちの隣のコートを熱心に見つめている。その横顔は、彼がテニスコートに立っているときと同じ。戦う人の顔だ。
 浮ついた己を恥じて、乾のそばに歩み寄る。それから彼が見つめる先のコートに向き合った。当たり前だけどすでにレギュラージャージに身を包んだ跡部景吾が、その華奢な体躯に似合わない力強いサーブを決めていた。

「やっぱり、彼はすごいな」

 てらいなく他人を賞賛出来るところが、乾の美点の一つだと思う。そしてその声に滲む闘志に、私はわけもなく泣きそうになってしまう。

「乾もすごいよ」

「え?」

「なんでもない」

 そうしているうちにも跡部は次々と点を決め、あっという間に試合形式の練習は終わってしまった。
 乾は一気にノートになにかを書き付けて、今度はさっきまで私が見ていたコートに目をやった。私もそれにならうと、忍足と岳人がこちらを見つめていた。
 そして鮮やかに、挑発的に笑う。
 もちろんそれは私に向けられたものではない。見上げた乾の顔には、彼らと同じような好戦的な笑みがたたえられていた。







 家に帰ってからも、あの光景が網膜に焼き付いている。
 乾は小学生の頃、ジュニアダブルスを牽引する選手だった。多分、二人はそれを知っていたんだろう。
 なんだかずっと目の奥が眩しくて、胸が苦しい。流れ弾を食らったみたいだ。勝手に食らったんだけど。どうしてこんなに胸が塞ぐのか。この気持ちを言葉にするのはとても難しい気がする。

 ただ、私が踏み入ることの出来ない話で、私には関係のない話なんだろうな、とは思う。

 それでも、あの青い青い空と美しい笑みが、どうしても忘れられない。あれは『ダブルスプレイヤー』である乾に向けられた挑発だった。
 私でもわかることが、乾にわからないはずがなくて……乾はあの時、どんな気持ちで笑い返したんだろうか。
 ――今夜は、うまく寝付けそうにない。


 あーんこんな気持ちじゃ眠れないよー! は完全にたわごとだった。すっきり快眠。私も体育会系の端くれくらいにはなれたようだ。
 まだどことなく気分は晴れないけれど、それだって乾の顔を見ればきっと大丈夫なはず。
 しかしカーテンを開けると、残念なことにしっかりと雨が振っていた。タイミングよく、部活中止のメールが届く。今日一日悩めと!?
 こんな悩んだって仕方のないことで?
 普段から頭を使わない弊害だろうか。らしくないことをしたせいで、頭痛までしてきた。
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