夏休み1

 言葉は有限なのだと思い知る。
 この気持ちを吐き出すのには千の言葉で足りようとも、彼の美しさを語るには万、億の言葉を尽くしてもちっとも足りない。言葉とはなんて矮小でちっぽけなものなのだろう。
 それでも無理やり形にするのならば――水着の乾貞治(中学一年生)は、いいぞ。

 そして夏休み! そんなことよりも乾の日焼け跡(三種類)の話をしよう。Yシャツと、体育着と、水着。なんて愛しいグラデーション! なんて儚くも鮮やかな陰影!

「佐波。今から走り込み行くから、タイム測ってもらっていいかな」
 
 部長が私の肩を叩いた。もう大和先輩じゃないんだな、と少しだけ寂しく思う。テニス部は太陽が殺意を持って照りつけようとも活動する。健やかに動き回り、煩わしそうに汗を拭う姿は青春だ。
 ――関東大会も都大会も、駆け抜けるように終わった。ひたむきに夏を燃やすのは『漫画』では語られなかった選手たちも同じだ。この夏の残滓が、いつか三年生になる彼らの瞳に突き刺さって溶けないんだろう。





 スミレちゃん先生に「これでアイスでも差し入れしておやり。アンタたちもね」と手渡された諭吉を手に、先輩マネージャーと近くのスーパーへと向かう。先輩はあまり話したことのない華やかな美人さんで、私の三歩前を颯爽と歩いている。ふわりと風に乗っていい匂いがした。

「あのさァ」

 恋に落ちるところだった。
 もうそろそろ目的地というところで、先輩はふいに話しかけてくる。「はい」と素直に返事をすると、「アンタたち、あんまり男に媚売るのやめなよね」とトゲのある声が刺さった。
 もしかして青学にマネージャーの姿がないのはこのせいか。おかしいと思ったんだ。三年生が引退したばかりで減ってはいるけれど、それでも今現在マネージャーは6人いる。
 『漫画』を読んでいた時は、中学生の部活にマネージャーはいないだろと気にしていなかったけれど。

「私は乾くん一筋だし、もうひとりの子は他校に彼氏がいます」

 なるほどなるほど。相変わらず、『テニプリ』のモブは妙に性格が悪い。
 先輩は勢いよくこちらを振り返り「……はぁ」とキョトンとした顔で言った。かわいい。前言撤回しよう。今の私にとってこの世界が現実で、目の前にいる先輩はモブではなく彼女の人生の主役だ。私いまいい事言った。

「誰か好きな人いるんですか?」

 私は足を早めて先輩の横に並び、そのキレイな顔を見上げる。

「……新しく部長になったやついるでしょ」

 ああ、さっきの。照れたように目線をそらす先輩の姿は完全に恋する乙女で、さっきまであった少しの苛立ちは消え失せた。
 やり方としては褒められたものじゃないけれど、それを咎められるほど私は聖人じゃない。どっちかと言わなくても、性格は悪い方。

 だから、気がかりになるのもまあわからないでは、ない。
 「アンタたち」に含まれただろうもう一人の一年生マネージャー、みいちゃんは女の子らしくて可愛い。いつもにこやかないい子だ。――もちろん彼女が傷つくようなことがあったら、私はこの先輩を許さなかっただろうけど。

「あいつ、ロリコンだからなんか怖くなっちゃって。その、ごめん」

 対して私は……何を危惧したんだ。と思ったが、そういうことか。

「ロリコンって。一つ違いだし、そもそも先輩たちもまだ中学生じゃないですか」「それでもー! ていうか佐波の好きな乾? ってどれよ」「眼鏡の」「ああ、手塚くんじゃない方」「はァッ!?」「ご、ごめん」

 そうしてわいわいとはしゃぎながら、スーパーでアイスを買った。
 戻ったコートで乾貞治が選んだのはソーダーバー! 爽やかな水色が大変よくお似合いで。にこにこしながら眺めていれば、「ほんとに好きなんだね。なんで気づかなかったんだろ」と先輩が言った。

「『じゃない方』とか呼んでるからじゃないですか?」

「だから、ごめんって」

 私は根に持つタイプです。いいんだ、乾はいつだって私の一等星だから。トゥインクルトゥインクルシューティングスター、なんとかかんとかインザスカイ。馬鹿なことを考えていたらアイスが溶けた。

「なにやってんの」

 そう言って先輩がハンカチを貸してくれる。さっきとはうってかわって親しげな笑みで、恋とは恐ろしいものだと思う。
 私もいつか、乾貞治を慕う誰かにスポーツドリンクをかけたりするんだろうか。
 今のところそんな予定はないけれど――長い長い夏休みはまだ始まったばかりだ。
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