誕生日1

 6月だ。
 つまり、乾貞治の誕生日だ。乾貞治の誕生日。この世で最もめでたい日だ。国民の休日に制定するべき日だ。
 今年は流石に『シャトーブリアン』は贈れないので、なにがいいだろうかと、ここのところずっと頭を悩ませている。それすらも楽しい。楽しすぎて転んだ。もう慣れた。
 そして6月といえばもう一つ、衣替えだ。夏服の乾貞治が拝める素晴らしい日々のはじまり。真白い襟足が、とても眩しかった……。

 中休みの間も、私の視線は乾の背中に注がれている。清潔なシャツに身を包んだ彼の、いまだ未発達な肢体。よだれがでそうだ。
 ……乾貞治、お逃げなさい。森のくまさんの気持ちが痛いほどよくわかる。
 イヤリングも落としていないのに野獣に狙われる乾貞治は、どうやらクラスメイトに宿題の質問を受けているようだった。聡明。好き。
 相手はクラスメイトの、大人しそうな女の子。髪の毛は真っ黒でサラサラで、乾と並んでお似合いなくらい清楚な雰囲気を醸し出している。
 ――原作に出ていたら、乾貞治とのNLがさぞや捗っただろうに。
 なんて図書館デートが似合いそうな二人! 惜しみながらも、幸せを噛みしめる。女の子と話す乾貞治萌え。女の子と並ぶと、中学一年生でもちゃんと男の子だということがわかる。腕の感じや首筋が全く違う。
 萌え。

 その後、なぜか不二が紙パックの烏龍茶をくれた。ありがたく受け取ったが、「佐波には佐波のよさがあるよ。大丈夫」と励まされたのがひっかかる。
 多分乾と話していた女の子について思い悩んでいると思われたのだろう。友情って素晴らしいな。でも私のよさってなんだろうか。
 問い詰めたいがやめておいた。

「ありがとう」

「暴れられても困るからね」

「飼育員さん」







 私は浮かれていた。4月5月に続いて浮かれていた。梅雨を目前にした湿気すら、愛おしく思えるほど浮かれていた。
 山ほどのタオルを洗う手にも力が入る。

「ご機嫌だね、かやちゃん」

 同じくマネージャーのみいちゃんが、追加の洗濯物を持ってやってきた。

「もうすぐ、乾くんの誕生日だからね」

 汗を拭いながら答える。6月の日差しは暖かく、日向にいるだけでじんわりと汗が滲んだ。

「プレゼントどうしようかな」

「ふふ、楽しそう」

 楽しいとも!
 地味なマネージャーの仕事も、耳をすませば聞こえてくる部員たちの声を聞きながらなら楽しい作業だ。こんなに毎日が楽しくていいのだろうか。そろそろバチが当たりそうだ。

「ねえ、告白とかしないの?」

 これが罰か。
 ――開いてはいけない記憶の扉が開きそうになる。そっと閉じる。

「それとも、こないだの日曜日にもうしたの?」

 開いた。
 なんてガバガバなドアなんだ。己の雑な作りの脳みそを恨みつつ、私はみいちゃんから目をそらした。
 視界の端で、彼女の顔がぱっと輝く。不二もだが、なんでそんなに他人の恋愛に興味を持てるのかな。いや、私だって乾貞治の恋愛事情はとても気になる。もうクラスに気になる子は出来たのだろうか。それとも新たに人妻に恋をして、ほろ苦い失恋を味わっているのだろうか。
 とても気になる。

「もしかして!」

「違う違う。そんな、告白とか、ねえ? まだ知り合って、半年も経ってないんだよ」
 
 乾貞治の甘酸っぱい青春に思いをはせても、現状と開いてしまった扉は変わらなかった。前世から数えれば、片思い歴は×年目です。
 乾とはなんとなくあの時の話にはならない。けれど「乾くん」と呼ぶたびに、一人で気まずくなってしまうのは否めない。あれは悪手だった。どうか忘れてくれと切に願ってやまない。
 最終手段として、私が乾汁制作に着手することも視野に入れている。あまりのまずさに記憶を失うほどのやつを。

「ふーん」

 友人の意味ありげな微笑を視界からおいやり、私は一心不乱にタオルを洗う。
 告白、告白、うう。結局未だ呼び捨ても出来ていないというのに……。 





「佐波」

 そんな苦悩の部活を終えた私の背に、声が届く。聞き間違えるはずなんてない。

「……さん」

 振り返ると、やはりそこには乾が立っていた。テニスコートと夕日を背にした彼は、まだレギュラージャージを着ていない。
 ――ん゛ん゛っ!!
 私は舌を噛みちぎらんばかりにして、湧き上がるうめき声を抑えた。なんて愛しい歩み寄り方なんだ。結婚してほしい。

 彼はどことなくいたたまれなそうに、それでいてしっかりとこちらを見つめる。
 中学一年生の男の子が、どれほどの覚悟をもって私の名前を呼んでくれたのか。涙が出そうなくらい美しい光景だ。道徳の教科書の表紙にしたほうがいいと思う。

「呼び捨てでいいよ。私も、乾って呼ぶね」

 「前言ってくれたもんね」と言えば、乾は照れくさそうに笑った。その姿は、どんな宗教画よりも尊い。
 最近、己の拗らせ方が恐ろしくなる。こんな風に崇めてるうちは、告白なんて夢のまた夢だ。
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